ユーラシア研究所のご案内

ユーラシア研究所所長ご挨拶

このたび、齋藤治子前所長のあとを受け、ユーラシア研究所の所長を務めさせていただくことになりました。今後2年間、どうぞよろしくお願いいたします。

ソビエト研究所として1989年に出発したユーラシア研究所は、今年で創立20周年を迎えました。ソ連解体にともなう改称を含め、さまざまな模索の末、『ロシア・ユーラシア経済―研究と資料』、『ユーラシア研究』、「ユーラシア・ブックレット」という3本の柱からなる出版活動と、毎年春の総合シンポジウムをはじめとするさまざまな研究集会の開催とを軸とする活動の姿が定着し、今日に至っています。

「研究所」を名のっているとは言え、専任の研究員がいるわけでも、独自の資料的基盤があるわけではありません。施設も事務局を支えるスペースをかろうじて維持しているにとどまります。会費によって支えられ、毎年のシンポジウムを活動の柱としているという点では、むしろ学会に似ているかもしれません。しかし、学会でもありません。

私の理解では、ユーラシア研究所が暗黙のうちに築いてきた理念的基礎は、次の二つにあるのではないか、と思います。 ひとつは、ロシアをはじめユーラシア地域に関心をもつ研究者の営みと市民とをつなぐ、ということです。この点で、主として研究者の集まりである学会とは異なります。例えば、「ユーラシア・ブックレット」は、研究者の研究成果をわかりやく市民に伝えるという役割をもっていますが、それだけではありません。研究を職業とはしていない方々を書き手として発掘するという役割をもはたしています。『ユーラシア研究』も多かれ少なかれそのような性格を持っていると言えるでしょう。その一方で、『ロシア・ユーラシア経済―研究と資料』という、より専門性の高い刊行物もしっかりと維持している、ということになります。
もうひとつは、研究者の営みと市民とをつなぐということの中味として、ロシアをはじめユーラシア地域についての冷静でバランスのとれた認識を共有する、ということです。

ペレストロイカの頃、当時勤務していた大学の演習で「日本人のソ連観」というテーマをとりあげ、その初回に「知ソ度チェック」なるものを行ったことがあります。「ソ連の正式な国名は?」ではじまり、「マルクスの思想によれば、共産主義社会とはどんな社会?」で終わる100の質問です。「第二次世界大戦後の日ソ平和条約はいつ締結された?」というひっかけ質問や、「『アラ・プガチョーワとは18世紀ロシアの農民反乱の指導者である』というのは本当か?」といういささか悪のりの質問も含まれていましたが、まずは学生たち自身のソ連認識を自覚してもらおうというわけです。「知ソ」という言葉は世の中では使われていませんでしたが、「親ソ」「反ソ」というレッテル張りに抗したいという気持ちであったと思います。最近では、思想状況の変化もあってか「親ロ」「反ロ」という言い方はあまり耳にしなくなったように思いますが、「反日」的という表現で他者を非難する言説があなどりがたい力をもっている国内の言論状況を考えると、それが「親ロ」「反ロ」言説に容易に反転する可能性も否定できないように思います。また、それとは別の次元で、ロシア・ユーラシア地域の複雑な相貌そのものが、冷静でバランスのとれた認識を困難にしているという問題も無視することができません。

故丸山真男氏は、私が「知ソ度チェック」を行った当時出された『「文明論之概略」を読む』のなかで、「知の建築上の構造」について次のような説明を与えています。一番下に土台としてのwisdom(叡智)―「庶民の智恵」とか「生活の智恵」といわれるもの―があり、その上に「理性的な知の働き」としての intelligence(知性)がくる。叡智と知性を土台として、いろいろな情報を組み合わせたものとしてのknowledge(知識)―解答として明らかな誤謬は指摘できるが、「正解」というものはない―が積み重なり、一番上に「真偽がイエス・ノーで答えられる性質の」information(情報)がある。このようにとらえたうえで、「底辺に叡智があり、頂点に情報が来る三角形の構造が、逆三角形になって、情報最大・叡智最小の形をなして」おり、「叡智と知性が知識にとって代わられ、知識がますます情報にとって代わられようとして」いるというのが、「情報社会」の問題性についての丸山氏の診断でした。今日のロシア・ユーラシア認識について言えば、「情報最大」と単純に言うことはできないことは明らかだと思いますが、もちろん、三角形の構造が成りたっているとは決して言えないでしょう。

丸山氏の所説で示唆的なのは、庶民の「叡智」を土台とし、それを提供することが研究者の最低限の役割である「真偽がイエス・ノーで答えられる性質の」情報が一番上に来るという知の構造の把握です。ユーラシア研究所の第1の理念として「研究者の営みと市民とをつなぐ」という表現を用いましたが、それは決して研究者から市民へという一方向的なものではなく、「知性」や「知識」を含む総体としての<知>をともに育み、獲得することをめざす、困難でやりがいのある仕事なのだ、と考えたいと思います。もちろん、私たちにできることは限られていますが。

以上が、ユーラシア研究所の理念的基礎について、この機会に私が考えたことです。これとは違った考えがあるかもしれません。議論のきっかけになればと思います。

「研究所」を名のる、学会に似た、しかし学会ではない独特の組織としてのユーラシア研究所が、この20年のあいだに築いた活動の実績と培った可能性を今後どのように生かしてゆくべきか、皆さんのご意見を出していただきながら、ともに考えてゆきたいと思います。

ユーラシア研究所所長 小森田秋夫