3.多面的なロシアと向き合う-今井雅和

ロシア国旗

ロシアには幾つかの異なる顔がある。ビジネス制度においては新興国、消費市場としては先進国的特徴を備えた中進国、研究開発立地としての特徴は先進国的である。本稿では、このようなビジネス立地としてのロシアの多面性を確認し、同国とどのように向き合うべきかを考える。

1.はじめに

新興大国4カ国がBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)としてグルーピングされて久しい。しかし、当たり前のことであるが、BRICsの4カ国を十把ひとからげにするのは乱暴であるし、新興国市場戦略のヒントも見過ごされてしまう。せいぜい、成長著しい新興大国というのが共通点ではないだろうか。ロシア以外の3カ国は1990年代から徐々に経済的離陸を準備し、21世紀に入り成長を加速させたが、ロシアはミゼラブルな1990年代と実質的な経済破綻を経験した。2008年のリーマンショックの影響を最も受けたのもロシアであり、2009年は7.8%のマイナス成長を記録し、BRICsからの脱落の可能性を指摘する声も聞かれた。特に日本では、両国間に横たわる歴史的、政治的な負の遺産に加えてロシア地域との距離が離れていることもあって、BRICsの中でロシアの影が薄い印象も否めない。

しかし、20年前の旧ソ連時代は多くの問題を内包しつつも、米国に対抗する超大国であった。
航空・宇宙、原子力など軍事技術を中心に、機械、化学などの分野でも世界レベルの基礎研究、応用研究が行われた。そのため、理系学生が第2外国語としてロシア語を選択することも多かった。他方、中国とインドは近代化の波に乗り遅れ、20世紀を通じて最貧国の代表であったといえる。市場経済への移行といっても、出発点がそもそも異なるのである。

豊かさを示す代表的な指標である、1人当たりのGDPを比較してみよう(表1参照)。ロシアとブラジルが1万ドルを超えているのに対し、中国は4,439ドル、インドは1,460ドルにすぎない。購買力平価で換算すると、中国とインドは物価の低さからそれぞれ2倍程度となり、ロシアも1万5000ドルを超えるレベルとなる。ロシアの消費市場が他国と性格を異にすることは明らかである。

多面的なロシア資料表

本稿では、ビジネス立地としてのロシアの多面性を確認するとともに、そうしたロシアとどの
ように向き合うべきかについて考える。まずは、次節で国際ビジネスをどのように捉えるかを簡単に整理する。その上で、ロシアの立地資産と企業活動を関連付けて、幾つもの顔を持つロシアとの付き合い方について考察する。

2.国際ビジネスを見る目

筆者は国際ビジネスを、ビジネス立地と企業活動が相互に影響し合い、進化してきたものと理
解する。ビジネス立地は、企業に提供する販売市場、生産のための要素市場(生産立地)、研究開発のための科学技術開発資源(人的資源を含む、研究開発立地)によって構成される立地資産を一方の構成要素とする。もう一つは法律、政府の政策、物理的距離、社会インフラ、企業間関係によって構成されるビジネス制度である。前者へのアクセスが企業の市場参入目的であるのに対して、後者は、多くの新興市場ではビジネス遂行上の取引コストを生み出す要因になっている。

各国のビジネスコストを数値化し、ランキングしている世界銀行の「Doing Business 2011」によれば、ロシアは123位、中国が79位、ブラジル127位、インド134位となっている。新興大国は先進国と異なり、ビジネスの制度化に踏み出して日が浅い。また、シンガポール(1位)やエストニア(17位)のような小国に比べ、迅速な対応が不得手で、変化に時間がかかるため、軒並みランキングが低い。ロシアもビジネス制度が未成熟であり、新興国市場に典型的な取引コストの高い市場といえる。

もっとも、混乱が続いた1990年代を振り返れば、ようやくロシアも他の新興国と肩を並べる
ようになった。ロシア市場を研究し、国内のキープレーヤーとのネットワークを構築するとともに、慎重にビジネスを進めることにより、大きな問題(不確実性)に直面することも少なくなったといえるだろう。

3.ロシアの立地資産

(1) 販売市場

近年、発展途上国の貧困層を対象に、援助ではなく、ビジネスを通じて(財務規律を維持しつ
つ)社会の発展に寄与するというBOP(Base of the Pyramid)ビジネスが脚光を浴びている。また、インドなどの低所得者比率の高い新興国市場で、基本的な機能に集中した超低価格の商品(例えば、タタ・モーターズが開発・販売した小型自動車のタタ・ナノ)に注目が集まり、そうした商品の開発が不得手な日本企業が苦戦している。BOPビジネスの成功例をヒントに、新興国のマス市場(ピラミッドの中間という意味で、MOP:Middle of the Pyramid市場ともいう)をいかに攻略するかが、日本企業にとって喫緊の課題となっている。

この点について、新宅純二郎氏は、先進国向けの製品から周辺的な機能を削ぎ落してもコスト
ダウンできる余地は限られており、ゼロベースから必要な機能のみに特化した開発が求められると指摘する。また、当該市場の消費者が何を求めているのかを知るためには、現地市場に深く入り込んだマーケティング調査が必要で、市場が求める機能を、顧客が認知できるように訴求、つまり「見える化」することで、価格と認知品質を一致させることができるという。

ロシアは先にも触れたように、インドや中国などと異なり、購買力と購買性向(プレミア志
向)から言えば先進国的特徴を持った中進国であり、ブランド製品への憧憬(しょうけい)が強い。丸紅経済研究所の集計によれば、1億4000万人の人口中、最上位の20%(2,800万人)の1人当たりの所得(年間)は2万6000ドルで、次の2,800万人の1人当たりの所得も1万ドルを超える。実際、近年厚みを増してきたロシアの中流層は、60m2の自宅アパートに住み、7割が自家用車を、パソコンは平均1.4台を保有している。また、週末には大型スーパーで買い物をし、月1回
は外食をしている。さらに7割が海外旅行の経験があり、2割は定期的に海外に出掛けているという。例えば自動車では、こうした消費者の多くが価値を見いだすのは中間クラス以上の外国ブランド車であろう。実際、各社が現地生産を行い主要商品と位置付けるのは、そうした車である。他方、苦戦気味の家電、エレクトロニクスは新興国市場マーケティングの経験を直接生かせるかもしれない。市場自体が平均所得7,300ドルの中位層の20%と同5,000ドルの下位層の20%まで下方(最上位から下位までで全体の80%を占める)に拡大することも要因であるが、何と言っても用途が生活に密着していることが特徴であり、ロシア人の生活を深く知ることが不可欠である。単なる「品質」ではなく、消費者にとって価値ある品質を提供することによって、価格とのバランスを実現できるからである。中国などで一部メーカーが行っているような、現地人スタッフによるマーケティング調査部門(パナソニックの中国生活研究センターなど)を活用した製品開発が求められる。

ロシアの消費市場は、先進国的特徴を備えた中進国市場である。ロシア市場を重視するのであ
れば、消費者がどのような生活をし、何に価値を見いだしているのかを踏まえた、現地密着のマーケティング活動が不可欠である。

(2) 生産立地

ロシアは物価水準と同様に、賃金水準も中進国レベルであり、2010年の平均月額賃金は約700ドルである(The World Bank, 2011)。これに加え、運輸、通信などのハードインフラ、非効率な制度面のソフトインフラに伴う取引コストがかさむため、工業製品の生産地として適しているとは言い難い。実際、ロシアに生産拠点として進出した外国企業のほとんどは、ロシアの国内市場への供給を目的としている。少なくとも、東アジアの新興国で安価な労働力を用いて行うような労働集約的な生産の条件を備えていない。

1990年代半ば以降のルーブル高に直撃された軽工業、中でも縫製業は、輸入が容易なこともあ
って、ロシア国内での生産がほとんど途絶えてしまった。しかし、グロリアジーンズ(ロシア企業)のように、国内生産を中心に成長を遂げた企業もある。国レベル、産業レベルでの比較劣位を理由にするのは簡単であるが、企業レベルでのさまざまな工夫によって、ハンディキャップを克服する戦略を策定し、組織能力を高め、実行する余地があることをこの事例は示している。他方、ソフトウエアの生産立地として、ロシアが比較優位を持っていることは、これまでもしばしば指摘されてきた。漸増しているとはいえ、プログラマーの賃金が能力に比べ、明らかに安価だからである。もちろん、ハード、ソフトのインフラコストが低く、ソフトウエア開発拠点の運営コストが低いこともその要因である。

ロシアは生産立地としては中進国と特徴付けられる。このことを前提として、比較優位があり
輸出基地になり得る産業はないか、国内市場向けの供給拠点として、競争力のある工場を作ることはできないか、検討の余地がある。比較優位の活用にとどまらず、競争優位を構築するための企業の戦略策定と組織能力が問われるの
である。

(3) 研究開発立地

ロシアは理系人材が豊富で、世界レベルの研究が行われ、研究開発立地としての可能性が高い
といっても、それは全ての分野にいえることではない。外国企業にとって、何がどこでどのような形で研究され、誰がその中心的な役割を担っているかを知ることは容易ではない。また、安全保障や国の成長戦略に組み込まれて、政治的にセンシティブな領域も存在する。メタナショナル経営論が指摘するように、世界に偏在する優れた経営資源を見つけ、アクセスする第1プロセスも容易ではない。しかし、少ないながらも、ロシアの理系人材や研究開発資源にアクセスし、自社の事業に取り込み、競争優位の構築につなげている事例はある。味の素の研究開発子会社(Ajinomoto-
Genetika Research Institute)、1,000人以上のエンジニアを擁し、研究開発やソフトウエアの開発に従事するインテル、1,500人を超える航空宇宙エンジニアや科学者を雇用し、自社の747、777、787航空機の主要部品の設計を担わせているボーイング社などがそうである。

このように、研究開発立地としてのロシアは、幾つかの分野で明らかに先進国的な能力を有し
ている。従って、外国企業はこれらの優れた経営資源にアクセスし、自社事業の競争優位性の構築につなげることができるかどうかが問われている。多くの困難を伴う挑戦的な課題であるが、それが可能となれば、単に研究開発能力を獲得するだけでなく、これまでの日本企業に乏しかった、異質性の高い力を活用する組織能力を磨くことになるのである。

4.結びに

これまで見てきたように、ロシアには幾つかの異なる顔がある。ビジネス制度は新興国、立地
資産は中進国と一部先進国の顔である。さらに、販売市場の一部と研究開発立地としての特徴は先進国的である。このギャップを活用できる分野、すなわち販売市場と研究開発の一部、それにソフトウエア開発に国内外の企業が注目している。そうした魅力的で競争力のある分野を拡大するためには、ビジネス制度に伴う取引コストを引き下げる必要があり、それは主に政府の仕事である。しかし、企業はそれを待っているわけにはいかない。まずはロシア市場の自社にとっての位置付けを明確化し、重視するのであれば、販売、生産、研究開発の活動ごとに、ロシア市場から得られるものはないか、検討することである。ロシアには天然資源のみならず、今でも多くの経営資源が未開発のまま眠っているのである。

参考文献:
Doz, Yevs, Jose Santos and Peter Williamson(2001), From Global to Metanational, Boston:Harvard
Business School Press.
Economist Intelligence Unit(EIU: 2011), Country Report, July, each country.
今井雅和「新興大国ロシアの国際ビジネス」(中央経済社、2011年3月発行)
丸紅経済研究所「主要新興国の政治・経済動向」(2011年1月31日)
「ロシアビジネス戦略」(日本貿易振興機構:JETRO 2007年7月発行)
「ロシアのビジネス環境」(日本貿易振興機構:JETRO 2008年12月発行)
大坪祐介「ロシア投資入門」(2011年4月12~24日付 日本経済新聞)
新宅純二郎「新興国市場開拓に向けた日本企業の課題と戦略」(「国際調査室報」第2号、2009年、国際
協力銀行)
The World Bank(2010), Doing Business 2011.
The World Bank(2011), Russian Economic Report, No.25, June.

[執筆者]今井 雅和(専修大学経営学部教授)

(※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信してい
るウェブサイトMUFG BizBuddyに2011年8月3日付で掲載されたものです)

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205


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