モスクワ住宅市場の20年 -道上真有

ロシア・モスクワ住宅事情

概要
1991年末にロシアで住宅の私有化が認められて以来、20年がたった。本稿ではモスクワの住宅市場(マン ション市場)の20年の歩みを概観し、ロシアの住宅市場の特徴について明らかにしてみたい。

はじめに

1991年末にロシアで住宅の私有化が認められて以来、20年がたった。首都モスクワは、1,155万人(2011年1 月ロシア統計局発表)の人口を擁する都市で、中心部の高級マンション価格は世界でも最高水準にあり、不動産市場が急速に発展したように見える。1990年代当初はハイパーインフレをはじめとする市場経済化の混 乱の中、国民の間で私有化された住宅の資産価値に対する理解が著しく異なり、そのことがまたモスクワの 不動産取引をも混乱させた。しかし、1998年のロシア金融危機を経てロシア経済が大きく成長を遂げる2000 年代に入ると、モスクワの不動産市場も徐々に制度化されるようになった。

2006年ごろからは住宅金融制度の拡充など本格的な住宅政策も導入され、モスクワ市にとどまらず市郊外のモスクワ州でも住宅開発が盛んに行われるようになった。その後2008年の世界金融危機の影響を受け、モスクワの住宅価格は一時大幅に下落したが、現在は危機前の水準に戻りつつある。ロシアの住宅の多くはソ 連時代の国営住宅を私有化したものであり、居住環境の改善の余地は大きい。このため住宅需要は依然として底堅く、またモスクワへの労働者移入も引き続き増加していることから、賃貸住宅の計画的な建設も含め てモスクワ市およびモスクワ州の住宅市場が発展する可能性は極めて高い。

しかしながら、モスクワの住宅市場の発展には、不動産市場における腐敗体質の排除や住宅金融制度の普及拡大など克服しなければならない課題も山積している。本稿では、モスクワの住宅市場の過去20年の歩み を概観することで、ロシアの住宅市場の特徴を明らかにしてみたい。なお、本稿で対象とするのは、一戸建て 住宅ではなくマンションである。ロシアでは一戸建て住宅は農村部に多く、モスクワ市内には一戸建て住宅がないからである。

1.モスクワ市の住宅価格の推移

図1は、モスクワ市とロシア全体の新築住宅と中古住宅の1平方メートル当たりの平均価格(ドル・実質値)と、 GDPとCPI(消費者物価指数)の対前年比を示している。1999年から2008年の世界金融危機まで、ロシア全国およびモスクワ市の平均住宅価格(新築、中古)は消費者物価上昇率を上回るスピードで上昇し、特に2006~2008年は住宅価格が急騰した。この背景には、(1)ロシアが資源輸出を背景に高成長を達成し、この間に外資が大量に流入したこと、(2)2006年ごろからロシア政府による住宅政策の実施や、公的住宅ローン制度の拡充と住宅ローン証券に対する政府保証が認められたことなどが影響していると考えられる。中でもモスクワ市の住宅価格はロシアの全国平均価格の水準を大きく上回り、ピーク時は新築住宅で2007年4,624ドル(1平方メートル当たり、以下同、ロシア全国平均では同年1,934ドル)、中古住宅は2008年5,284ドル(同1,922ドル)を記録した。

モスクワの住宅価格はここまで右肩上がりに上昇してきたが、2008年の世界金融危機の影響を免れることはできなかった。図1の年次データではその影響を明らかにすることができないため、別途、不動産価格情報サ イトMetrinfo.Ru調べによるモスクワ市の住宅価格を参考に見てみると、2008年第3四半期のモスクワ市の住宅価格(新築・中古を合わせた平均値)は1平方メートル当たり6,057.8ドル(実質、以下同)から、2009年第3四半期の3,878.4ドルまで、1年間で36%の急激な価格下落を市場経済化以降初めて経験した。最終的にこの2009年第3四半期の価格が底値となり、2009年第4四半期から再び上昇し始め、2011年第3四半期で5,011.1ドルと危機前の8割程度の水準にまで回復してきている。

【図1 モスクワ市の住宅価格と経済指標】

モスクワ市の住宅価格と経済指標

モスクワ市の住宅価格と経済指標

出所:ロシア統計局ウェブサイトより筆者作成

モスクワの住宅市場の目下の話題の一つは、この回復のテンポが価格下落のテンポと比べて遅く、上昇基調にあるとはいえ価格動向が不安定であることである。直近の2011年10月の住宅価格は、1カ月間で再び10%も急落した。11月に入って再び5%程度価格が上昇に転じたことで、ようやく危機前の8割程度の水準にまで持ち直すという状況にある。この20年でロシア国民の間に住宅に対する資産価値としての認識もかなり広まっており、資産運用の手段の一つとして投資目的で住宅を購入する世帯も多くなった。このため、住宅価格情勢に対する国民の関心は非常に高いものがある。

もう一つの話題は住宅ローンに関するもので、(1)2008年の世界経済危機や最近の欧州危機の影響から住宅ローン返済が滞り不良債権が生じ始めていること、(2)再び世界的な金融危機がロシアにも波及するのではないかという懸念を41.9%の国民が抱いていることから(Metrinfo.Ruウェブサイト2011年10月31日世論調査)、国民が住宅ローンの利用を手控えているとみられる。その結果、政府の思惑通りに住宅ローン利用が拡大しておらず、ロシアの住宅ローン融資残高の対GDP比は2010年の段階で2%程度でしかない。住宅ローン金利は2009年ごろから引き下げられてきたとはいえ、2010年の数値で13%前後である。ロシア国民にとっては依然としてローン金利が高く、住宅ローンそのものに対する国民の不信感が根強いことも、ロシアの住宅ローンの低利用に影響している。

次に、ロシアの住宅価格の特徴について幾つか列挙しよう。まずロシアの住宅価格は、新築住宅価格と中古 住宅価格の二つに分類される。ロシアの住宅価格の第一の特徴は、中古住宅価格が新築住宅価格より高くなるケースが多いということである(図1参照)。ロシアの新築住宅の場合、契約によっては内装や設備が完備されないまま購入者に引き渡されるケースが多く、その場合は住宅購入価格に内装設備費用を追加して 購入者が個人負担しなければならない。このため、追加負担を嫌ってあらかじめ内装や設備が完備されている中古住宅に需要が集まることが中古住宅の価格を押し上げている。さらに、中古住宅の価格を押し上げる要因にはロシアの住宅の品質に対する評価も関係している。

ロシアの住宅価格の第二の特徴は、ロシアの住宅品質分類ごとの価格評価にある。ロシアの住宅品質分類は、壁の材質や建築工法、建築規格タイプや設備の付帯状況に応じて幾つか細かい分類があり、新築住宅の場合は平均的な品質と価格帯のエコノミークラス、それより上のビジネスクラス、最高級クラスのエリートクラスの三つに分類される。中古住宅の場合は、さらに年代による分類や歴史建造物に対する評価も加わり4分類になる。中古住宅の最高級クラス・エリートクラスになると、19~20世紀初頭に建てられた歴史的建造物 としての価値のあるマンションや、主要幹線道路沿いや都心の交通至便な立地のスターリン時代(1930~1950年代前半)に建設されたスターリン様式のマンションが含まれ、その便利さと居住空間の広さから高く評価される。このことも中古住宅の平均価格を押し上げる要因になっている。

逆に、最下級クラスの中古住宅は、18~20世紀にかけて建設された低層階の木造集合住宅やレンガ壁集合住宅、1950年代半ば~1960年代のフルシチョフ政権時代に建設された5階建てのコンクリートパネル集合住宅(フルシチョフカ)が、最安値中古住宅として分類される。この中古住宅に共通する特徴は、建設当初から安普請で建設された物件が多く、現時点ですでに耐用年数を過ぎ修復が必要な物件であることと、内部の居住空間がおしなべて狭いことにある。

ロシアの住宅価格の第三の特徴は、賃貸住宅市場が日本のようにまだ広く制度化されておらず、(1)大手不動産会社が扱う高級賃貸マンション市場、(2)個人の部屋貸し、住宅賃貸情報を集約した一般賃貸住宅市場との市場のすみ分け(あるいは断絶)が大きいことにある。また、日本の定期借家法に定められているような 借り主の保護の概念やその制度がロシアではまだ十分広まっておらず、家主による一方的な立ち退き要求や、1年未満の賃貸契約を家主が結びたがるといった慣行も存在している。これはロシアの標準品質の賃貸 住宅が、不動産開発業者の賃貸住宅建設によって供給されるのではなく、個人の空き家や投資目的で購入された個人住宅が主要な供給源となっており、その住宅の次の買い手が見つかるまでの「つなぎ」として賃貸住宅に回されるからである。

家主の主目的は保有物件の転売を繰り返して利ざやを稼ぐことにあり、賃貸収入を当てにした継続的な賃貸経営を目的としていないため、借り主の権利が保全されないのである。つまり、ロシアの住宅市場は新築、中古ともその売買が市場取引の支配的部分を占めており、高級賃貸マンションを除く一般的な住宅の賃貸市場は、補助的な役割でしかない。ロシアの一般的な賃貸住宅市場ではこのようなインフォーマルな取引形態が多く、主に短期間居住する移民労働者向けの市場であるといえる。従って、雇用を求めて地方から都市に 定住する場合、住宅購入を第一に考えなければならず、都心部の住宅価格の高騰から周辺部の住宅に購入需要が波及することになる。その結果、モスクワ市周辺に位置するモスクワ州の住宅団地開発が促され、その地域の住宅価格も高騰してしまうのである。

2.モスクワの住宅市場の課題

(1)ロシアで最も腐敗体質が深刻な部門
メドヴェージェフ大統領は大統領に就任する前の2004年から、医療、教育、農業、住宅の4部門の国家優先プログラムの担当大臣として住宅部門改革にも本腰を入れ、大統領就任以降は、ロシアの不動産市場における腐敗体質の排除を目指し汚職摘発キャンペーンにも乗り出した。2012年はプーチン首相が大統領に返り咲き、メドヴェージェフ大統領は首相に就任することが予定されているが、このような政権移譲が行われた後も住宅改革の進展と汚職摘発は継続されると予想されている。

2010年秋にモスクワ市長を解任されたルシコフ前市長とその夫人バトゥーリナ氏が所有していた大手不動産デベロッパー・インテコ社をめぐる不正融資事件は、モスクワの住宅市場の腐敗を象徴する事件である。モス クワ市長在任18年の間に、モスクワ銀行から夫人の経営する会社に127億6000万ルーブル(約4億1400万ド ル)もの不正融資が行われていたことが発覚した。この間、バトゥーリナ夫人は資産11億ドルを有するロシアで最も裕福な女性億万長者として評されたが、この事件をはじめ不正蓄財など幾つかの疑惑が明るみになり、連日報道されている。この他にも大手デベロッパーと行政との癒着関係が取り沙汰されることもあり、開 発許可手続きのタイムロスが建設工事の遅れを招いているという指摘もある。このことが住宅供給の制約となり、さらなる住宅価格高騰の要因になっている可能性も考えられる。住宅市場における腐敗体質の排除は、政府が掲げる政策目標「手の届く住宅をロシア国民に」を達成するために解決すべき重要な課題である。

(2)居住環境水準の向上 ロシア国民の居住環境に対する不満の上位項目は、居住空間の狭さ、設備更新・修理の必要性にある。このような不満を解消するためには、国民の住宅取得可能性(Housing Affordability)を向上させることが必要となる。2006年から実施されているロシア政府の住宅政策も、住宅取得可能性の引き上げを目標課題の一つに挙げている。そのためには住宅ローン制度の普及と国民所得の増大が不可欠といえるが、現在、住宅ローンを利用してモスクワの住宅を購入できる所得層はロシア全体で2割しかいない。ロシア経済は成長したとはいえ、所得上昇に比べて住宅価格の上昇スピードが速く、また住宅ローン金利の高さ(13%前後)とその返済負担の重さも手伝い、国民の住宅ローン利用が拡大しない。このため、住宅取得可能性の指数がなかなか改善しないのが現状である。

デベロッパーが収益性の高いビジネスクラスやエリートクラス・マンションの建設を志向し、都心部ではエコノミークラスのマンション供給が相対的に少ないことも平均的な所得世帯の住宅購入を困難にしている。モスクワ市郊外のモスクワ州の住宅団地開発において多く見られたエコノミークラスのマンション建設も、今後はより収益性の高いタウンハウス型マンションやロフト型マンションが多くなると予測されている。デベロッパーのこのような開発戦略は、経済合理性の観点から当然の帰結でもあり、当面この傾向が続くであろう。

3.おわりに

ロシアの住宅政策においては、質の高い住宅の取得可能性を向上させることが最重要課題の一つとなっており、そのためには住宅ローンを国民にとってより利用しやすいものに改善する必要がある。メドヴェージェフ大統領もこの点に配慮して、住宅ローン金利の引き下げの必要性を指摘してきた(2009年8月24日付 Newsland誌 http://www.newsland.ru/News/Detail/id/402188/cat/86/)。また最近は、年金基金の運用手 段の一つとして住宅ローン証券を購入することによって、住宅ローン基金の資金調達を容易にし、ローン融資の拡大と住宅ローン金利の引き下げにつなげようとする考えも公表している(MoscowNews2011.11.17)。

ロシアもすでに少子高齢化と人口減少に直面しており、支払い能力を持った購買層の薄さにも対処しなければならない。単に手頃な価格の住宅を大量に建設する政策から、居住環境の質の向上へと誘導する住宅政策が必要となる。今後は、日本の住生活基本計画で制定されているような誘導居住面積水準と、住宅ローン融資条件との組み合わせを通じた住宅ローン制度の改善、ロシア独自のきめ細かな誘導居住環境水準の制定が求められよう。不動産をめぐる汚職が明るみに出るようになったことも、ロシアの住宅市場の改善の可能性を示している。また、一般に居住環境の改善は耐久消費財需要の拡大にも波及することを考えれば、ロシアの住宅市場の発展は、ロシア経済全体の拡大のきっかけともなり得るだろう。

参考文献*
道上真有・田畑理一・中村勝之「ロシア住宅市場の発展過程と住宅政策の効果の研究-ロシア国家プロジェクト「ロシア国民に手の届く住宅を」 の成否」(「住宅総合研究財団研究論文集第36号 2009年版」P259-268 ) 道上真有・雲和広「ロシア家計調査データ(RLMS)からみた居住環境と住宅政策の問題」(「ロシア・ユーラシアの経済と社会 2011年12月号」 P2-22)
Mayu Michigami, “Comparison of Affordability of Russian and Japanese Housing Markets” Far Eastern Studies, Center for Far Eastern Studies, University of Toyama, Vol.10 March 2011, P25-57.
Moscow News, 2011.07.18 “Moscow real estate’s rollercoaster ride”, (http://www.moscownews.ru/realestate/20110718/188851389.html)
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Moscow News, 2011.11.17 “Pensions funding mortgages”, (http://www.moscownews.ru/business/20111117/189212827.html)
The Moscow Times, 2011.11.22, “Apartment Prices Varying Wildly”, (http://www.themoscowtimes.com/article/apartment-prices-vary-drastically/448272.html)
ロシア統計局(Rosstat)ウェブサイト(http://www.gks.ru)
不動産価格情報サイトMetrinfo.Ru (http://www.metrinfo.ru)
ロシア統計年鑑Rosstat, Rossiskii Statisticheskii Ezhegodnik, 2009 and 2010
ロシア中央銀行 Bank of Russia, Bulletin of Banking Statistics, 2007-2010.
Rosstat, Informatsiia o sotsial’no-ekonomicheskom polozhenii Rossii, Jan-Oct. 2011.
Rosstat, Kratokosrochnye ekonomicheskie pokazateli Rossiskoi Federatsii, Sep. 2011.

[執筆者](新潟大学経済学部准教授)

(※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2011年12月7日付で掲載されたものです)


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