11.新プーチン政権の「新工業化」戦略 大橋 巌

ロシア国旗

概要

第3期プーチン政権の重要な政策目標の一つは産業構造の多角化による資源依存度の低下であり「新工業化戦略」によってそれを実現しようとしている。日本企業にとってロシアは大きな成長力を持つ消費市場として有望であり、現地に進出できるような立地環境・インフラ整備や人材育成などを通じて、産業面での持続的な需要基盤の確保につなげていくことができると考えられる。

去る5月7日、2012~2018年を任期とする第3期プーチン政権が発足した。プーチン大統領は就任当日に公布した「国家の長期経済政策について」の大統領令の中で、新政権の経済政策の長期的な目標として、(1) 2020年までに高度な生産性を有する2,500万人分の新規雇用機会を創出する、(2) 2018年までにGDPに占める総投資の比率を現状の約20%から27%以上まで高める、(3) 2018年までに国内ハイテク製品生産高を2011年比で1.3倍にする、(4) 2018年までに労働生産性を2011年比で1.5倍にする、(5)世界銀行の国際ビジネス環境ランキングにおけるロシアの地位を2011年の120位(「DOING BUSINESS 2012」)から2018年に20位まで向上させることを表明した。

就任直後の基本政策メッセージにしては随分細かい表現になっているが、ここでプーチン氏が主張したかったのは、(1) 新政権にとって、過度な資源依存にあるロシアの産業構造の改革が必須の課題であること、
(2) 政策論争に明け暮れるよりも、目に見える形で成果指標を設定し、官民の関係者を巻き込んで変化への流れをつくることであると考えられよう。

ロシアは世界有数の資源大国であるが、経済が過度にエネルギー資源に依存しているといわれる。石油・天然ガスの採掘を含む鉱業はロシアのGDPの10.6%を占めるにすぎないが、輸出に占める鉱物の比率は70.1%を占め、連邦財政の歳入に占める石油・天然ガス関連の比率は49.6%を占める(いずれも 2011年)。2011年の連邦予算はGDP比0.8%の黒字を確保したが、石油・天然ガス関連の歳入を除くと同9.6%の大幅な赤字であった。原油価格 が1ドル下落すると、財政収入は600億ドル減少するといわれる(2012年6月21日付「ヴェドモスチ」紙)。これは2011年の歳入総額の約 0.5%、GDPの約0.1%に相当する。原油価格の変動はGDP、連邦予算のみならず、為替レートや株価、個人消費にも大きく影響する。

2012年の連邦予算では、原油価格を1バレル当たり(以下同)115ドルと想定しているが、ロシアから輸出されるウラル原油の価格は年明けの111.60ドルから6月21日には90.08ドルまで低下している(1~5月の平均値は115.6ドル)。一部の観測では、年末までに50ドルまで低下するといわれる (2012年6月18日付「Expert Online」)。2012年の財政はGDP比0.1%の赤字が予定されているが、油価低下が持続すれば、赤字幅の増大が不可避となる見通しである。このようにロシア経済が原油価格の動向に大きく影響を受けるようになったのは、原油価格が高騰し始めた2004年以降である。

目指すのは「脱工業化」よりも「新工業化」

中東などの他の産油国と異なり、ロシアには資源エネルギー産 業の他、化学・石油化学、製鉄・非鉄・金属加工、木材加工・製紙、原子力、機械(軍需、航空・宇宙、造船、自動車、農機、鉄道、電機・電子など)、食品、軽工業といったあらゆる産業分野が存立している。しかし、その多くはソ連時代に形成されたもので、品質や販売力などにおける国際競争力はあまり高くない。エネルギー資源依存からの脱却とは、非資源分野における産業育成による構造改革のことであるが、ロシアにおける課題はかつての東南アジアや中国のような新 産業の創出というよりも、すでに存在する産業の構造改革、設備の近代化、人材育成、再配置にある。
新たに発足したプーチン政権の構造改革 戦略は「新工業化戦略」といわれることがある。「新工業化」とは、ロシアにおける4主要経済団体の一つである「実業ロシア」(ボリス・チトフ会長)が2011年5月に打ち出した政策提言(「新工業化計画」)で、同年12月にプーチン大統領候補(当時)が採用を表明。本記事の冒頭で紹介したプーチン大統領就任直後の大統領令における成果指標は、この提言が基になっている。同年3~5月に集中して行われたこの政策提言作りには、筆者もチトフ会長に招かれて参加したが、討論の場でロシアの課題は「新工業化」か「脱工業化」かについての議論があった。

経済団体「実業ロシア」は、プーチン政権の第2期が始まった2004年にも重要な政策提言(「成長政策」)を打ち出している。プーチン政権第2期で連邦政府が実現させた、経済特区、開発銀行、投資基金などの新政策、いわゆる「開発のための政策手段」はこの提言から生まれたものである。
昨年から今年にかけ、新政権にいかに改革に取り組ませるか、という課題に取り組むチトフ氏の動向をはたから見る機会を得たが、ロシアにおける製造業を重視する立場から、いろいろな人々と広く議論を重ねて素案を出し、論理的に肉付けし、訴求力のあるコンセプトにまとめ上げ、実現のためのロードマップを描き、それらを結果としてプーチン氏本人に受け入れさせた知恵と情熱と手腕は相当なものであった。この6月、プーチン大統領によって初の企業活動保護オンブズマンに任命されたのももっともなことといえる。

ところで、チトフ氏本人はソ連時代末期からエリツィン時代にかけて石油化学品の輸出で成功した実業家であるが、近年はロシア帝政時代に始まる発泡ぶどう酒メーカー「アブラウ・デュルソ」(ロシア南西部クラスノダール地方)の経営に軸足を置き換えていた。原料確保に関する多くの困難な課題に取り組みつつ、フランスから積極的に技術導入を図るとともに、ブランド・マーケティング戦略の徹底、ワイナリーの近代化と地域の観光開発を組み合わせ、発泡ぶどう酒を単なるアルコール飲料から人々の生活を豊かに演出するツールに脱皮させることに成功しつつある。チトフ氏は、自社の発泡ぶどう酒ビジネスの盛栄にはロシアにおける中間所得層の確立が不可欠とみている。ロシアにおける立派な「物づくり」経営者の一人といえよう。

ロシアにおける新工業化戦略の傾向の一つは、高所得化による国内需要の高度化を図っているため、輸出志向よりも輸入代替志向が強いことである。典型的な例は自動車産業で、2005年以来、一定の生産規模と規定された期間内における部品の現地調達率向上を条件として、部品輸入関税率を軽減する政策を導入して外資の進出を促進してきた。2010年に策定された「2020年までのロシア連邦自動車産業発展戦略」によると、乗用車の国内販売に占める輸入比率を2008年の60%から2020年には20%まで引き下げることが目標とされている。同様に「2020年までのロシア連邦医療産業発展戦略」でも輸入比率を2009年の82%から2020年には60%まで下げることが目標として明記されている。

野村総合研究所(NRI)がロシアの有力な経済分析機関であるマクロ経済分析・短期予測センターと共同で2011年に実施した予測作業によると、2010~2015年の輸入比率は、コンピューターでは98%から86%へ、医 薬品では79%から69%へ、香水・化粧品では70%から60%へ、窓枠・扉(プラスチック製)では23%から16%へ、それぞれ下落することが見込まれている(いずれも金額ベース、楽観シナリオによる)。

新工業化戦略のもう一つの特徴は、産業・研究開発クラスターの形成促進である。クラスター政策はエリツィン時代からもうたわれていたが、現在のクラスター戦略の基礎は、やはりチトフ「実業ロシア」会長らの提案によるものである。すでに昨年11月の時点で、革新的な研究開発・生産の拠点となるクラスターのモデルケースを政府が支援する枠組みが形成された。ロシア連邦経済発展省、経済団体 「実業ロシア」、プーチン大統領が首相時代に創設した「戦略的イニシアチブ・エージェンシー(ASI)」および政府系の対外経済活動銀行(開発銀行)が協力して、インフラ整備や人材開発などモデル・クラスターの形成を支援することになっている。

主な支援対象クラスター候補の例には、ニジニーノブゴロド州サローフ市の原子力・スーパーコンピューター・レーザー技術開発クラスター、ウリヤノフスク州の航空産業クラスター、タタルスタン共和国ニジネカムスク市の石油化学クラスター、モスクワ州プシキノ市のバイオテクノロジー・クラスター、ヤロスラヴリ州ルイビンスク市の発電設備クラスターなど が挙げられている。

「ロシアにおける産業育成には、単に環境整備による企業家の自主性だけではなく国家の積極的な支援策が必要である」とかねて主張してきたアンドレイ・ベロウソフ氏が新政権の経済発展相に任命された。プーチン大統領の復帰と「新工業化戦略」の発動、ベロウソフ大臣の就任、 ASIの創設、ボリス・チトフ氏の企業活動保護オンブズマンへの就任…これら一連の動きには一本の筋が通っている。

産業基盤の近代化に日本企業の事業機会

新工業化戦略を推進していく新プーチン政権のロシアにおいて、日本企業の事業機会をどのように見ていけばよいだろうか。ロシアにおける個人消費需要の増大が見込まれることから、消費財・サービスの販売増の機会があることは、比較的分かりやすい。加えて、ロシアの消費者は相対的に「低価格」よりも「高価値」を志向する傾向が強いため、必ずしも価格競争に陥ることなく日本の優れた製品が受け入れられやすい市場である。しかし、これからはロシアの新工業化に貢献する事業提案を行っていくことが、持続的な両国のビジネス関係の拡大にとって重要となる機会が増えてくるものと期待される。高度で安定した加工技術を有する裾野産業の育成やそれを支える人材育成を通じて、ロシアの新工業化戦略の実現に協力することにより、さらなる日本の技術・ノウハウへの需要が根付いていくことが考えられる。

現在、ロシアの新工業化は端緒の段階で、具体論は十分成熟していない。日本企業は単に製品や技術をロシア側に売るだけではなく、新工業化への道筋や人材育成の方法を一つ一つ丁寧にアドバイスしていくことにより、日本的なスペックやノウハウがロシアの産業基盤に浸透していけば、長い目で見た日本企業の需要確保につながっていく。

例えば、今後のロシアの自動車市場は日本以上の規模への成長が見込まれているが、ロシアを有望な販売市場として見るとともに、現地における組み立て拡大において、日系自動車部品メーカーが進出できるような立地環境の整備を日本からも主体的に働き掛けていくことが望ましいのではないか。産業・輸送インフラを近代化する中で現地側に貢献しつつ日本企業としても事業機会を得て、そうして進出した日系部品メーカーが立地先の人材育成に貢献することが、日本企業がロシアにおいて資本財・中間財需要を確保しやすい基盤づくりに資すると思われる。逆に、日本などからのそうした協力がなければ、ロシアの新工業化の実現は容易ではないとみられる。

強大なエネルギー資源の輸出力を有するロシアは、しばしば、いわゆる「オランダ病」にかかりやすい経済体質であり「物づくり」産業の発展には適していないのではといわれる。それはある程度事実であるかもしれないが、ロシア経済のエネルギー資源への高依存は、実のところこの10年程度で顕著になった状況であり、資源以外の産業分野における生産性の改善余地は非常に大きい。ロシア産業の近代化において、やるべきこと、できることは膨大にあり、それが日本を含む外国企業にとっても大きな事業機会となり得るのである。

[執筆者]大橋 巌(株式会社野村総合研究所モスクワ支店 ロシア代表)

※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2012年7月3日付で掲載されたものです。

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205


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