12.ロシアの新しいビジネス・エリート-「プーチンの友」 加藤志津子

ロシア国旗

概要

大きなビジネスチャンスを秘めるロシアには多数の外国企業が進出し、積極的に投資を
行っている。そのロシアでは、市場経済へ移行する過程において政府が大きな役割を果たしてきた。本稿は、プーチン時代に台頭してきた新しいビジネス・エリート「プーチンの友」に焦点を合わせ、ロシア・ビジネスの一断面を明らかにしたい。
 
 

はじめに

ロシア経済はプーチン氏の政治指導(2000-2008年大統領2期、2008-2012年首相、2012年6月に大統領復帰)の下で、2000年以降、平均5.3%の高いGDP成長率を記録している。これは石油・天然ガス価格の上昇に起因する個人消費の拡大が主導する成長である。そのため、先進諸国を中心とする多数の外国企業が増大する中間層を目当てとしてロシア市場への進出を進めてきた。他方、ロシア政府は資源依存経済からの脱却を目指して外資と提携しつつ、自動車産業、家電産業、IT産業、ナノテクノロジー等新産業を成長させようとしており、多くの外国企業が直接投資にも乗り出している。日本企業もその例外ではない。大きなビジネスチャンスを秘めているロシア市場に挑むには、ロシアが市場経済へ移行する過程で政府が大きな役割を果たしてきたことを踏まえ、ビジネスの担い手たちと政府の関係について知っておくことが望ましい。そこで本稿は、プーチン時代に台頭してきたロシアの新しいビジネス・エリートに焦点を合わせてロシア・ビジネスの一断面を明らかにしたい。

1991年末にソ連が解体し、ロシアは1992年初めからエリツィン大統領の下で市場経済化
を急速に進めてきた。多数の国有企業が民営化され、私企業が成長し、経済の主要な部分は私営セクターとなった。その過程で最初に現れたビジネス・エリートたちは「ノーメンクラツーラ」(社会主義時代の指導的階層)などとのつながりを多かれ少なかれ持った人々であった。彼らは政官との関係を強め、政官に影響力を行使するようになった。特に中央では、オリガルヒ(oligarch)と呼ばれる有力ビジネス・エリートがエリツィン氏の親族をも含む「エリツィン・ファミリー」を形成し、国家捕獲(state capture)といわれる政官財の関係が生まれた。

ビジネス・エリートの交代とその概要

では、プーチン指導下のロシアのビジネス・エリートは、政官の特別な擁護なしに事業を成功させてきたが政官に反抗はしない人々だと見てよいのであろうか? 実はそうではなく、プーチン氏の擁護を受けた新しいビジネス・エリートたちが「エリツィン・ファミリー」に取って代わり成長を続けているという見方が、ロシアでは幅広く支持されているようである。「プーチンの友―ロシアの新しいビジネス・エリート―」(Mokrousova(モクロウーソヴァ)著、2011年)は、そのような見方の集大成のような書物である。以下、このジャーナリストの本を参考にしながら「プーチンの友」といわれるビジネス・エリートがどのような人々であるかを見てみよう。「プーチンの友」を、プーチン氏と知り合った場所で分類すると次のようになる。

(1)少年時代の柔道場
プーチン氏は1952年にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれた。1965年に地元のスポーツクラブに通い始め、柔道に熱心に取り組んだ。そこでRotenberg兄弟(Arkady氏とBoris氏、表参照)と仲良くなった。ソ連解体後、Arkady氏はスポーツ大会の開催業務を行う協同組合を創設した。1996年、Rotenberg兄弟はフィンランドに会社を設立し、バーター取引のビジネスを行いGazpromのガスコンデンセートも扱った。また、Severnyi Morskoi Put銀行を買い取り、その後、Boris氏も銀行業に従事するようになった。Arkady氏はスポーツクラブYawara-Nevaを創設し、プーチン氏がその名誉会長となった。

表 ロシア長者番付(2011)に見る「プーチンの友」
順位 氏名 資産額 地位 生年
17 G. Timchenko 89億ドル 石油商社Gunvor、Rossiya銀行、天然ガス企業Novatekの共同所有者 1952
63 A. Rotenberg 17.5億ドル スポーツクラブYawara-Neva会長、Severnyi morskoi put’ 銀行共同所有者、天然ガス採掘業関連建設企業Stroigazmontazh共同所有者 1951
64 B. Rotenberg 17.6億ドル7 A. Rotenbergの弟であり、ビジネスパートナー 1957
115 Yu. Koval’chuk 9.7億ドル Rossiya銀行筆頭株主 1951
182 D. Gorelov 5.9億ドル 医療機関向けサービス企業持ち株会社Petromed会長、Rossiya銀行共同所有者 1948
184 N. Shamalov 5.9億ドル Rossiya銀行共同所有者 1950
187 V. Smirnov 5.8億ドル 天然ガス企業Novatek共同所有者、副会長 1967

出所:”Reiting rossiiskikh milliarderov 2011,” Finans, no. 5 (384), 2011より作成。

(2)レニングラード国立大学
プーチン氏はレニングラード国立大学法学部に進学した。同じクラスで最も親しかった級友の一人は、V.Khmarin氏(後にRotenberg兄弟、Gazpromと共同事業)であった(以下、カッコ内は最近の肩書)。Yu.Nesmashnyi氏(石油業専門保険会社Belneftestrakh社長)も級友だった。

2012年の連邦予算では、原油価格を1バレル当たり(以下同)115ドルと想定しているが、ロシアから輸出されるウラル原油の価格は年明けの111.60ドルから6月21日には90.08ドルまで低下している(1~5月の平均値は115.6ドル)。一部の観測では、年末までに50ドルまで低下するといわれる (2012年6月18日付「Expert Online」)。2012年の財政はGDP比0.1%の赤字が予定されているが、油価低下が持続すれば、赤字幅の増大が不可避となる見通しである。このようにロシア経済が原油価格の動向に大きく影響を受けるようになったのは、原油価格が高騰し始めた2004年以降である。

(3)ソ連国家保安委員会(KGB)ドレスデン駐在
大学卒業後の1975年、プーチン氏はKGBに入った。1985~1990年にはドレスデンに駐在していた。そこでのプーチン氏の同僚として、S. Chemezov氏(国家コーポレーションRostekhnologiya会長)、V. Golubev氏(天然ガス企業Gazprom副会長)、A. Akimov氏(Gazprombank会長)などがいた。

(4)レニングラード(現サンクトペテルブルク)市政府
ベルリンの壁崩壊後、ロシアに戻ったプーチン氏は1990年にレニングラード市政府に入り、1991~1996年に対外経済委員会議長を務め、レニングラード市における外資導入や外国からの支援物資(食糧と薬)の受け入れに関わった。その過程でレニングラード市はさまざまな企業の創設者になり、またレニングラード合弁企業連合(LenASP)と協力関係にあった。V. Musin氏(Gazprom取締役)はサンクトペテルブルク国立大学法学部教授としてプーチン氏と親しかった。.Litvinenko氏(肥料会社FosAgro会長)はサンクトペテルブルク国立鉱山大学学長で、プーチン氏は同大学で修士号を取得した。V. Kolovai氏はLenASP創設者で、Rossiya銀行創設にも関わった。Yu. Kovalchuk氏(表参照)とA.Fursenko氏(Rossiya銀行元共同所有者)は、レニングラード国立大学物理学部の教員であったが、LenASPの支援を受けて実業家に転身した。V. Yakunin氏(ロシア鉄道総裁)はレニングラード国立大学で勤務していたときにKovalchuk氏らと知り合い、彼らのビジネスに参加した。D. Gorelov氏(表参照)は、1991年にPetromedが創設されたとき、プーチン氏率いる市対外経済委員会とともに創設者となった。

(5)Rossiya銀行
Rossiya銀行は、1990年6月に商業銀行として登記された。主たる発起人はソ連共産党レニングラード州委員会であった。同年8月にはソ連共産党が解散したため、いったんRossiya銀行の口座は凍結されたが、当時のサプチャーク市長と市対外経済委員会議長のプーチン氏がこの銀行を「経済安定化」のために利用することを決定した。1991年末に、LenASP幹部と関係のある幾つかの企業がRossiya銀行の持ち分を買い取った。Kovalchuk氏、Fursenko兄弟(アンドレイとセルゲイ)、Yakunin氏、V. Myachin氏、V.Kolovai氏らが共同所有者となった。

(6)石油ビジネス
1980年代末、ゴルバチョフ改革の中で、70の石油精製工場に製品を自主的に輸出する権利が与えられた。レニングラード州キリシにあるキリシ石油精製工場もその権利を得て、Kirishineftekhimeksportという石油製品輸出企業を創設した。その企業長となったのはキリシ石油精製工場工場長代理のV. Smirnov氏(表参照)であった。Kirishineftekhimeksportは1995年に民営化され、公開型株式会社Kineksとなった(49%国有、51%従業員所有)。従
業員集団を指導するのはSmirnov氏、Timchenko氏、Katkov氏、Malov氏であった。1990年代、彼らのビジネスは急成長した。Sovkomflot(ソ連時代に設立された国有商船会社)のタンカーをチャーターしたり、エストニアの港湾施設を利用した。Timchenko氏は、この時期にプーチン氏と知り合いになったと述べている(ドレスデンのKGB時代に2人は同僚であったとの説があるが、Timchenko氏はそれを否__定している)。

(7)協同組合Ozero(湖)
プーチン氏はレニングラード州コムソモリスコエ湖畔に別荘を持っていた。1996年にプーチン氏らは協同組合Ozeroを設立し、付近の別荘地開発を行った。発起人はプーチン氏の他にKovalchuk氏、N. Shamalov氏(表参照)、Myachin氏、Smirnov氏、Yakunin氏、Fursenko兄弟である。プーチン氏とSmirnov氏以外の5人は、Rossiya銀行の設立者である。このようにプーチン氏が大統領になる前、さまざまな機会にプーチン氏の知己を得た少なからぬ人々が互いにビジネス上の関係を深め、2000年にプーチン氏が大統領になって以降、実業家として大きな成功を収めていった。

おわりに

本書の著者のモクロウーソヴァ氏は次のように結論する。(1)1990年代に何人かの企業家た
ちが運よくプーチン氏の知遇を得ることができた、(2)2000年以降、プーチン氏が政権の座に就くと、彼らは長者番付に載るような人物になっていったが、それはプーチン氏との古くからの知遇のおかげである、(3)しかし「プーチンの友」といえる実業家たちが、他の実業家と大きく異なるわけではない。成功のためにはプーチン氏以外の人たちとの関係や実際の経営能力が必要とされた。

引用文献
Milov, V. et al. ed.[2011]Putin. Korruptsiya, M
(http://www.putin-itogi.ru/putin-i-korruptsiya/)
Mokrousova, I.[2011]Druz’ya Putina:Novaya Biznes Elita Rossii, M.
“Reiting rossiiskikh milliarderov 2011,” Finans, no. 5(384), 2011.
World Bank and IFC[2012]Doing Business 2012:Russian Federation

[執筆者]加藤志津子 (明治大学経営学部教授)

※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2012年8月7日付で掲載されたものです。

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205


Comments are closed.

Back to Top ↑