13.ロシアの航空機産業の今-伏田寛範

ロシア国旗

概要

ソ連崩壊後の20年間でロシアの航空機産業はその姿を大きく変えた。かつて航空機大国として名をはせたロシアは、西側企業との連携を強めながら、成長著しい中小型旅客機市場への参入を目指している。ロシアが再び航空機大国の地位に返り咲けるかどうかは、今後数年のうちに明らかになるだろう。

はじめに

2012年5月9日、モスクワで第二次世界大戦の戦勝パレードが盛大に催されるなか、ロシアの航空機産業の将来に暗い影を落とす事故が起こった。航空機産業の復活への期待を一身に集めた最新鋭旅客機スホーイ・スーパージェット100(SSJ-100 )が、インドネシアでのデモフライトの最中に墜落したのだ。ロシアおよびインドネシア当局の調査では、今回の事故の原因は技術的なものではなく人的な要因によるものだという結論が出ているが、ロシア製旅客機へのイメージダウンは避けがたい。

はたしてロシアは、今回の事故を乗り越え、航空機産業の復活を成し遂げることができるのであろうか。航空機ビジネスに再挑戦しようとしている日本にとっても、ロシアの経験は参考となるかもしれない。

1.ロシアの航空機産業

冷戦時代、アメリカをはじめとする西側諸国との軍事的対峙を背景に、ソ連は航空機産業の育成に国を挙げて取り組んだ。その結果、ソ連の航空機需要のほぼ100%が国産機によってまかなわれるようになった。戦闘機の開発で有名なミコヤン・グレーヴィッチ(略称ミグ)設計局やスホーイ設計局の名は、おそらく多くの人が耳にしたことがあるだろう。その他、旅客機や輸送機の開発ではツポレフ設計局、イリューシン設計局、ヤコヴレフ設計局、アントノフ設計局などが有名である。これらの設計局で開発された航空機はソ連各地の工場で量産された。ソ連時代末期、市場経済への移行が模索されるなかで、経営効率の改善や投資の活性化を目的に国有企業の民営化が進められた。だが、民営化によって、むしろ従来の企業間の技術的・経済的な結びつきが失われ、航空機の開発・生産の現場では混乱が生じ、生産は激減した。

こうした事態を重く見たロシア政府は、主要な企業を統合する方針を打ち出した。また企業の側でも、たとえばスホーイ戦闘機を製造してきたイルクート社は独自に企業グループを形成するなど、生産・技術的なつながりを再構築しようとする動きが現れていた。こうして政府、企業双方の思惑が一致する形で、2006年には主要な航空機関連の企業を傘下におさめる統合航空機製造会社(OAK)が設立された。OAKの傘下には、同社設立のイニシアチブをとったイルクートをはじめ、スホーイやミグといったソ連時代から続く有名企業が入っている。

OAKの設立を皮切りに、政府主導による航空機産業の再編が進んでいった。同じく2006年にはヘリコプター関連企業を統合したヴェルトリョートゥイ・ロシー(ロシア・ヘリコプターの意)が、2008年には航空機用エンジン関連の企業を傘下におさめる統合エンジン製造会社(ODK)が、相次いで創設された。これらの持株会社は、軍需企業のほとんどをその傘下におさめる国営公社1ロステフノロギー内のグループ企業、アバロンプロム(国防産業の意)の子会社となっている。このように、今日、ロシアの航空機関連の企業は、分野ごとに設立された政府系の持株会社の傘下におさめられることになった(図1)。

図1ロシアの航空機産業

図1ロシアの航空機産業

注:数字はロシア政府による株式保有の割合。ロステフノロギーには国防関連企業をはじめ数多の国有資産が委譲された。なお、法的には国家コーポレーション傘下の資産は「国家コーポレーションの所有」とされ、国有ではないため、政府による株式の保有割合を表記することはできない。

出所:Kolpakov S.K. “Rossiiskaya aviatsionnaya promyshlennost na rynke grazhdanskikh
samoletov(民間機市場におけるロシアの航空機産業),” 16 March 2011 (http://
www.iacenter.ru/publication-files/141/121.pdf)を基に筆者作成。

2 ロシアにおける航空機生産

冷戦の終結による軍縮と体制転換に伴う政治・経済の混乱は、ロシアの航空機産業に打撃を与え、1997年の航空機産業全体の生産高は1992年水準のわずか2割程度でしかなかった(図2)。この年の軍用機の生産高は1992年の1/4であった。民間機の生産減のピークは1998年で、1992年水準の1/8にまで落ち込んだ2。

図2

図2 航空機産業の生産高の推移 (1992年=100)

出所:Kolpakov S.K., “Istoriya aviatsionnoi promyshlennosti Rossii(ロシア航空機産業の歴史),”
P.S. Filippov (red.) Istoriya Novoi Rossii: Ocherki, interv’yu: v 3 t., SPb.: Norma, 2011, S.487,
S.510.

図3

図3ロシアの航空会社への旅客機の納入機数

出所:http://www.iacenter.ru/publication-files/141/121.pdf

2000年代に入り、ロシア経済が急成長するなかで航空機産業も増産基調に転じ、2009年の生産高は1992年水準の9割にまで回復した3。生産回復のエンジンとなったのは軍用機生産で、輸出や国防発注の大幅な増加によって生産規模が拡大している。中国やインドへの軍用機輸出が回復の契機となり、プーチン・メドヴェージェフ政権下でのロシア軍の装備更新が生産増大を本格化させた。近年では、東南アジア諸国やラテンアメリカ諸国など、新たな輸出先を開拓し販路の確保に努めていることも見逃せない。

その一方で民間機(旅客機)の生産については目立った回復は見られない。その原因はロシア製旅客機への需要が著しく落ち込んだことに尽きる。アエロフロートやトランスアエロといったロシアの大手のエアラインが経済性や快適性に劣る国産機ではなく、外国製の旅客機を積極的に導入していった(図3)。だが、中小の航空会社の多くは資金難に悩まされ大規模な機種更新はできず、資金があったとしてもロシア機ではなく西側の中古の機体をリースで導入することを好んだ。さらに、ソ連の崩壊後、かつての顧客であった旧東欧諸国の航空会社が相次いで西側の旅客機を導入したことも、ロシア製旅客機への需要減に大きく影響した。

3 ロシアの航空機産業の発展戦略

今日、アジア太平洋地域を中心に、世界中で航空輸送への需要が高まっており、今後20年のうちに世界の航空機は約2倍にもなるという4。こうしたビジネスチャンスをロシアの航空機産業はつかむことができるのだろうか。現状では厳しいと言わざるをえない。

ロシア政府はこれまで数度にわたって航空機産業、とりわけ民間機部門の建て直しと発展のためのプログラムを策定してきた。これらのプログラムでは、(1)産業再編を進め、アメリカのボーイングやヨーロッパのエアバスに伍する企業を育てる(OAKがその念頭にある)、(2)外国から先端技術を導入する、(3)ロシアの航空機産業が参入できる「ニッチ(隙間)市場」を開拓する、といった方針が明示されている。また、OAK側も政府プログラムの方針に従った企業戦略を打ち出し、官民一体を演出している。

これまでもロシアは、運用実績があり保守整備体制の整っている西側製の部品(エンジンやアビオニクスなど)を取り入れた旅客機を開発し、旧ソ連以外の国のユーザーにもロシア機を導入してもらおうと試みてきた。だが、1990年代後半にロールスロイスのエンジンを積んだ中型旅客機Tu-204の貨物型がわずかに売れたに過ぎなかった。

ロシアの航空機産業がまごついている間、世界の航空機市場では、新型機を次々と市場に投入したボーイングとエアバスによる寡占体制が確立し、もはやロシアに勝ち目はなかった。国内市場でさえもロシア機が駆逐されていったのは、前節で見たとおりである。

こうした事態に直面したロシアは、西側企業に全面的に技術協力を仰ぐ一方で、ボーイングやエアバスによって占められていないニッチ市場の開拓を試みるようになった。特に有望とみられているのが、50~100席クラスの短距離用小型ジェット機(リージョナルジェット)と100~200席クラスの短中距離用中型機の市場だ6。とりわけリージョナルジェットはボーイングもエアバスも製造しておらず、新興勢力がしのぎを削っている7。また、短中距離用中型機の市場では、現在運用中のボーイングやエアバスの旅客機が近い将来に引退するのを見越して、新型機の開発競争が繰り広げられている。

ロシア勢では戦闘機で有名なスホーイ(現在はOAK傘下)が、イタリアやフランス、アメリカなどの企業の協力を得て、新型リージョナル機スホーイ・スーパージェット(SSJ-100)を完成させた。また、同じくOAKの傘下企業であるイルクートが中心となって、新型中型機MS-21の開発に取り組んでいる。MS-21の開発過程でもSSJ-100と同様に西側企業の広範な参画を募り、有力企業の協力を得るにいたっている。なお、SSJ-100もMS-21もロシア政府の積極的なサポートを受け、国内の航空会社を中心に多数の受注を確保している。

このように、ロシアは欧米の有力企業(主要コンポーネントの供給企業が主)の協力を仰ぎつつも、ボーイングやエアバスといった巨大完成機メーカーとの直接の競争を避ける戦略をとり、世界の民間航空機市場への参入を目指している。こうした戦略が実を結ぶかどうかは今後数年のうちに明らかになるだろう。

おわりに―復活なるかロシアの航空機産業

2012年8月、ロシアはWTOに加盟した。WTO加盟に伴い、ロシアは今後4~7年のうちに民間機の輸入関税を引き下げなければならない(現行20%→7.5~12.5%)。関税の引き下げ幅と期限は機体の大きさ等によって異なるが、リージョナルジェット(SSJシリーズ)や短中距離用中型機(MS-21)といった分野では、WTO側から最大限の譲歩を引き出すことに成功した(今後、7年間のうちに12.5%まで関税を下げる)。

また、ロシアは非関税障壁を撤廃することも求められており、これまでのようなあからさまな政府による航空機産業への支援策は採りづらくなることは確実だ。もちろん、WTOのルールに反する政府援助を実施したからといって、直ちにロシアに制裁が課せられるわけではないが、ライバル国に提訴されれば、結果として制裁を受けることになりかねない。いずれにせよ、今後4~7年間の「猶予期間」のうちにロシアは産業政策のツールを見直しつつ、民間航空機部門を立て直さなければならないのだ。

その矢先に、最新鋭旅客機の墜落事故が起きてしまった。ロシア製旅客機へのイメージダウンは避けがたい。だが、この事故によって航空機産業の復活への道が絶たれたかといえば、そうとは言い切れない。事故を乗り越えた企業も存在するからだ。エアバスの中型機A320もデモフライトで重大事故を起こしたが、その後改良を重ね、今ではベストセラーとなっている。エアバス自身もボーイングと並ぶ巨人に成長した。SSJがA320のようにはなれないと判断を下すには時期尚早だろう。

今後、ロシアが民間航空機市場でシェアを獲得してゆくには、今回の事故原因を徹底的に究明し、再発防止策を講じることはもちろん、地道に販売活動を続け、アフターケア体制を整備し、新型機の運用実績を積み重ねることが不可欠である。失った信頼を取り戻すのは容易ではないが、決して不可能ではない。エアバスは良いお手本となっている。ロシアの航空機産業は今、まさに正念場にある。

1 ロシア語では国家コーポレーションと呼ばれている。国家コーポレーションとは 1996 年 1 月12 日付連邦法 No.7「非営利組織について」によって規定されている法人であり、「社会的機能、経営機能あるいはその他の社会的に有益な機能を果たすためにロシア連邦の特別法によって創設されるメンバーのいない非営利組織」と定められている。
2 Kolpakov S.K., “Istoriya aviatsionnoi promyshlennosti Rossii,” P.S. Filippov (red.) Istoriya Novoi
Rossii: Ocherki, interv’yu: v 3 t., SPb.: Norma, 2011, S.487.
3 Ibid, S.510.
4 日本航空機開発協会『平成 23 年度版民間航空機関連データ集』2012 年 3 月、III-3 ページ
http://www.jadc.or.jp/3_Forecast.pdf
5 「2015 年までの航空機産業の発展戦略」「2002~2010 年および 2015 年までの時期におけるロシアの民間航空機発展プログラム」「2007~2011 年における国家技術基盤プログラム」「2007~2010 年および 2015 年までの時期における軍需産業の発展プログラム」など。
6 注 4 に同じ。
7 リージョナルジェットの市場では、ブラジルのエンブラエル、カナダのボンバルディアが有力。わが国の三菱も新型旅客機 MRJ を携え、この市場に参入しようとしている。

[執筆者]伏田寛範(日本国際問題研究所研究員)

※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2012年8月30日付で掲載されたものです

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205

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