
概要
多国籍企業による直接投資は、欧州連合(EU)内の雇用調整を先導する役割を果たすだけでな
く、経済が進化しながら東方シフトしていくことを示している。ヨーロッパ市場への進出や事業展開を考える際には、市場の再編と東方シフトを見据えた多国籍企業の動きを念頭に置き、戦略を練ることが必要であろう。
多くの論者が指摘するように、サブプライムローン問題に端を発する一連の金融危機において、資本の国際的移動が重要な役割を果たしている。国際資本移動には、証券投資と直接投資の2種類があり、両者には類似点と相違点がある。確かに、両者は共に必要とされる資源を国際的に外部から移転することを通じて、受け入れ国の経済発展を促す面がある。証券投資は、経常収支や財政収支の赤字をファイナンスし、そうした赤字が生じていれば必要となったであろう景気抑制策の緩和や先送りを可能にする。直接投資は、受け入れ国にない技術、技能、国際的な生産・流通ネットワークのような無形資産(intangible assets)の移転を通じて、生産性の向上や効率性の改善につながっていく。量的、質的な違いはあるが、両者は共に経済にポジティブなインパクトを持つことになる。両者の相違点は、その移動速度の違いである。通信技術の進歩と規制緩和によって、証券投資は瞬間的かつ大量に国際間を移動する。そのため、証券投資は短期的に受け入れ国に流入することによってバブルの発生とその膨張を促し、経済の悪化局面では急速な逃避によって危機を加速するものとして、ネガティブな評価を受けることとなる。1980年代のラテンアメリカ累積債務問題や1997年のアジア通貨危機に際して言われたことが、今はユーロ危機の文脈において問題視されているのである1。
他方、直接投資は無形資産を受け入れ国に移転しているために埋没費用(sunk cost)が大きく、短期的な経済状況の悪化がすぐさま投資企業を「撤退」に導くことにはならない。また、直接投資を行い得る多国籍企業は、その資金力を含めて一般的な国内企業よりも危機への耐性は強いであろう。このような想定が正しければ、リーマン・ショック以降の経済危機下での経済や雇用の落ち込みに対する抑制効果が期待できるため、直接投資はよりポジティブに評価されることになる2。
だが、上記のような直接投資に対する評価は、多国籍企業が経済状況に関係なく雇用を維持するということを意味するわけではない。むしろ、市場が統合されながら生産面での多様性が構造的に残り、しかも加盟国間で経済パフォーマンスが異なるEUのような地域統合体では、多国籍企業はより積極的かつ特異な生産雇用調整を行うことになる。また、雇用を削減するばかりでなく、時にはそれを拡大することもある。このことをより具体的に確認し、その意義を考えていこう。
多国籍企業による参入や撤退を実際に跡づける作業は、決して簡単なものではない。確かに、国際収支表などによる直接投資の送り出し、受け入れ、収支は、関係国の直接投資の状況を示してはいる。しかし、それだけでは多国籍企業による生産雇用調整を知ることはできない。概してこの種のデータの取得は困難であるが、EUの一機関であるEurofoundによるEuropean RestructuringMonitor(ERM)データベースは、多国籍企業ばかりでなく、公的機関も含む大規模なリストラ情報(雇用の縮小と拡大の双方を含む)を提供している3。このERMデータベースを利用して、多国籍企業によるEUにおける雇用調整を見ていこう。その際、国連貿易開発会議(UNCTAD)のWorld Investment Report 2003年版にある在外資産で見た非金融系多国籍企業上位100社について、筆者がERMデータベースから抽出整理したデータを基本にしている。ただし、上位100社のうち実際にERMデータベースでリストラ事例が報告されているのは、雇用減で80社、雇用増では69社にすぎない4。
ERMデータベースは、EU加盟国におけるリストラとして2004~2011年までに総数1万1977件、241万8110人の雇用増、381万8244人の雇用減を報告している。この中で、主要な多国籍企業が極めて大切な役割を演じている。ERMデータベースから得られる情報によれば、同じ時期に多国籍企業が27万1103人の雇用増と47万1841人の雇用減を行ったことが確認できる。これらの数字は、全体のそれぞれ11.2%、12.3%に当たる。つまり、わずか80社ほどの多国籍企業が、ERMデータベースが補足しているEUにおけるリストラ全体の1割以上を行っているのであり、この点は重要である。
多国籍企業によるリストラは、その規模が大きいというだけでなく、リストラを先導する役割を果たしていることも特筆すべきである。2004~2011年に至るリストラの推移を時系列的に追っていくと、多国籍企業の全体に占めるシェアは、雇用減に関してはリーマン・ショックのあった2008年に18.9%とピークを迎えた後で低下している。他方、雇用増に関しては2009年以降逓増傾向を示し、2011年には12.4%を占めるまでになっている(表参照)。
出所:ERMデータベース
確かに、証券投資ほどの急速な国際移動ではないにしても、多国籍企業の調整スピードもまた、EU経済の全般的なそれを上回る傾向が見て取れる。このことは、EUや北米自由貿易協定(NAFTA)のような地域経済統合の進展に伴って、統合前後に多国籍企業の反応速度が速くなるという、これまでの研究とも合致している5。
雇用の増減双方を伴う多国籍企業のリストラは、同時にEU内における東方シフトを主導している。巨大多国籍企業は、西欧では11万9446人の雇用を生み出しているが、同時に44万2750人の雇用を削減し、ネットで30万人以上の雇用を減らしている。他方で、中・東欧の新規EU加盟国では15万1657人の雇用増に対して2万9091人の雇用減で、12万人を上回る雇用純増をもたらしている。賃金水準や経済成長率などの東西格差、EU加盟のための「アキ」(アキ・コミュノテール、acquis communautaire)6の導入によるビジネス環境の改善・安定が、このような東方シフトをもたらしたといえよう。同時に、西欧では研究開発(R&D)拠点の拡充のように、直接投資の高度化が進んでいることも指摘されている7。
さらにもう1点付け加えておかなければならないのは、多国籍企業の東方シフトと同時並行的に、中・東欧でも雇用調整が進められていることである。特に目立つのがチェコ、スロベニアにおける多国籍企業の雇用調整であり、程度は落ちるもののブルガリア、ハンガリー、ルーマニアでもそうした動きが確認できる。チェコでは多国籍企業による雇用増(1万7532人)の8割以上に相当する雇用減(1万4629人)が行われており、スロベニアでは雇用増(1,553人)の約3分の2に当たる雇用減(1,042人)が確認されている。
よく知られているように、この2カ国は新規EU加盟国の中でも比較的経済が発展しており、特にチェコは早くから巨額の直接投資を受け入れ、経済を発展させてきた。そのため、両国は拡大EU内部でも新興経済という位置付けから西側加盟国に近いポジションに移りつつあり、それが多国籍企業のリストラパターンにも表れているといえよう。これは、他の新規加盟国もその経済発展に伴い、一方的な直接投資受け入れ、雇用増という立場から、撤退や雇用減を含む混合型にシフトする可能性を示している。
以上、多国籍企業の雇用調整を具体的に見てきたが、それがEU全体における雇用調整の主要かつ先導的な役割を果たしていることを確認できた。これは単に景気情勢に対応した循環的な性格ばかりでなく、EUの東方シフトや受け入れ国の経済条件の発展を反映した進化的な性格も併せ持つものである。ヨーロッパ市場への進出や事業展開を考える際には、ユーロ危機下で進められている個々の企業のリストラが、実は東方シフトを見据えた多国籍企業戦略に主導されたヨーロッパ市場の再編プロセスの一環であることを見落としてはならないだろう。
1
この問題を強調するものとして、例えば『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』(竹森俊平著、日本経済新聞出版社)が挙げられる。
2
南欧、アイルランドに続く財政問題を抱えるスロベニアに関するThe Economist(Aug. 18th, 2012)の記事は同時に、同国の直接投資受け入れが低水準であることを問題として指摘している。
3
Eurofoundの正式名称は、The European Foundation for the Improvement of Living and Working Conditionsである。またERMデータベースは、以下のウェブサイトでほぼ毎日報告されている。
http://www.eurofound.europa.eu/emcc/erm/index.php?template=searchfactsheets
4
詳しくは「在欧多国籍企業の事業拡大と縮小にかんする試論」(安藤研一著、「経済研究(静岡大学)」17巻4号、2013年2月刊行予定)を参照されたい。
5
EUに関しては、例えば、Filippaios, Fragkiskos and Papanastassiou, Marina(2008)”US outward foreign direct investment in the European Union and the implementation of the Single Market:Empirical evidence from a cohesive framework”, Journal of Common Market Studies, vol. 46, no. 5, pp. 969-1000を、NAFTAに関しては、Peter J. Buckley, Jeremy Clegg, Nicholas Forsans and Kevin T.Reilly(2007)”A simple and flexible dynamic approach to foreign direct investment growth:The Canada-United States relationship in the context of free trade”, The World Economy, 2007, February, pp. 267-291を参照されたい。
6
EU法の総体を指し、新規加盟国はそれを受け入れ、国内法の改廃が求められるが、それによって旧加盟国と同等の条件が整備される事になる。
7
在欧R&D拠点があるが、そのうち462拠点が西欧に設立されている。
[執筆者]安藤 研一(静岡大学人文社会学部経済学科教授)
※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2012年11月28付で掲載されたものです。
ユーラシア研究所レポート ISSN 2435-3205