正念場を迎えるウクライナと日系企業のビジネスチャンス-服部 倫卓

ウクライナはサッカーの欧州選手権という国際イベントを成功させたが、その後は景気が後退し始めるなど閉塞感も否めない。一方、初の対ウクライナ円借款供与によるボリスポリ国際空港新ターミナル完成は大きな朗報である。また現在、政府開発援助(ODA)の活用を念頭に各商社がプロジェクトの発掘に努めている。日系企業としては、同国のカントリーリスクを見極めながらビジネスの糸口を探っていくことが求められよう。

はじめに

2012年6月8日~7月1日、ウクライナとポーランドの共催により、サッカーの欧州選手権 (UEFAユーロ2012)が開催された。ウクライナ国内では、首都キエフ、リヴィウ、ハルキウ、ドネツィクという四つの町が開催都市となった。ここ数年のウクライナは、この大イベントを目指して走ってきたと言っても過言でない。ちなみに、ウクライナ代表はグループステージで1勝2敗に終わり、決勝トーナメントに進出することはできなかった。それでも国民的英雄であるアンドリー・シェフチェンコがスウェーデン戦で二つのゴールを挙げ、ウクライナ代 表に勝利をもたらしたことは国民に大きな感動を与えた。国際的なイベントを成功させ、ウクライナの人々にも自信めいたものが芽生え始めているように見える。

しかし、その後のウクライナを待ち受けていたのは厳しい現実だった。同国の景気は後退し始め、内政・外交ともに閉塞感が漂っている印象も否めない。日系企業としては、正念場を迎えているウクライナのカントリーリスクを注意深く見極めながら、ビジネスの糸口を探ることが求められる。

ウクライナ経済の軌跡

図1に見るように、ウクライナでは旧ソ連時代の末期に経済改革が開始されてから、 1990年代を通じてマイナス成長が続き、旧ソ連諸国で最も長期化した不況を経験した。底となった1999年の国内総生産(GDP)は、1990年の40.8%の水準にすぎなかった。国際的な石油価格の高騰を受けてロシア経済が成長に転じた結果、ウクライナからロシア向けの鉄鋼・鋼管の輸出が急増したため、ウクライナ経済は2000年にようやく独立後初めてのプラス成長を記録した。その後は、耐久消費財をはじめとする内需が活発化し、経済成長が本格化することになる。

【図1 ウクライナの実質GDP水準の推移(1990年=100)

【図1 ウクライナの実質GDP水準の推移(1990年=100)

出所:ウクライナ統計国家委員会(2011年まで)、2012~2013年は国際通貨基金(IMF)による予測

ただし、ウクライナ経済は構造的な弱点を抱えたままであった。同国の産業は、鉄鋼や化学肥料など付加価値の低いコモディティーの生産を主力とし、その生産性などには問題点もある。それでも、2000年代以降の中国特需や新興国ブーム、エネルギーおよび資源価格の高騰などを背景に、ウクライナ製品に対しても旺盛な世界的需要が生まれ、ウクライナ経済も成長を謳歌(おうか)できた。外国から資金が流入し、それを原資としたクレジット販売で自動車や家電も飛ぶよう に売れ、ウクライナの人々は消費ブームに酔った。
 しかし、ウクライナの主力輸出品である鉄鋼の国際価格が、2008年夏に急落する。もともとウクライナの鉄鋼業には(1)輸出比率が高く、(2)輸出はスポット契約が主流で、(3)半製品中心の付加価値の低い構造、という難点があった。スポットで半製品を輸出するというビジネスは、景気の良いときはいいが、いったん市況が悪化するともろさが出る。市況の激変を受け、2008年暮れごろにはウクライナの高炉の半数近くが停止する事態となった。
 そして、2008年9月にリーマン・ショックが発生すると、外国の資金が一斉にウクライナから引き上げ、通貨フリヴニャも急落した。これらの要因が重なり、ウクライナは世界的に見ても金融・経済危機の被害を最も深甚に被った国の一つとなってしまった。そして、折からの経済危機に、大統領選をにらんだ政争やエネルギー危機(ロシアから輸入するガスの値上がり)が加わり、ウクライナ情勢は「トリプル複合危機」の様相を呈した。

2008年11月には、IMFからの融資164億ドルを受けることが決まった。2009年のウクライナ経済は14.8%という大幅なマイナス成長に見舞われた。図1に見るように、2000年代の経済成長により、ウクライナの経済成長は1990年の74.2%の水準まで回復したが、そのかなりの部分が経済危機でふいになってしまった。2008年後半以降の世界経済危機では、直前にバブル景気を謳歌していた国ほど深い傷を負っている傾向がある。ウクライナもその典型例の一つといえ、一時期活況を呈していた乗用車販売にも急ブレーキがかかり、2009年の販売台数は前年比74%もの減少を記録した。
 こうした中で2010年1~2月に実施された大統領選挙で、地域党のV.ヤヌコーヴィチ氏が新大統領に選出された。同年3月には、地域党を中心としたアザロフ新内閣も成立。地域党政権は、選挙の際に国民に示したマニフェストを実行しつつ、財政赤字を許容範 囲内に抑えてIMFとの協力関係を維持するという、難しいかじ取りを迫られることになった。地域党政権は、発足後ほどなくして行政・立法・司法、そして地方まで含めた権力を固め、比較的安定した体制が成立した。その下でウクライナ経済が2010年に4.1%、2011年に5.2%とまずまずの経済成長を達成したのは、新政権のもたらした安定が一つの好材料となったことは間違いない。また、UEFAユーロ2012に向けた政府主導の大規模な投資も経済拡大に寄与した。図1に見るように、2011年現在の同国経済は、1990年の69.2%の水準まで盛り返してきた。

再び変調を来す景気

しかし、UEFAユーロ2012の夢から覚め、ギリシャ問題に端を発する欧州危機が 暗い影を落とす中で、2012年後半に入るとウクライナ経済の変調を示す兆候が目立つようになってきた。また、天然ガスの価格をめぐるウクライナ・ロシア間の交渉も、一向に妥協点が見えてこない。現在ロシアからのガス輸入は、2009年に当時のティモシェンコ首相の下でロシアと結んだ協定に基づいて行われており、ウクライナ側はその条件が自国にとって極めて不利と見なしている。ちなみに、2012年第1四半期の輸入単価は1,000立方メートル当たり 416ドル、第2四半期は同425ドル、第3四半期は同426ドル、第4四半期は同432ドルとなっている。ウクライナ当局は、こうした価格があまりに高いとして、ロシアに対し輸入量の削減を求めている。

従来、ロシアの欧州向け天然ガス輸出の8割前後はウクライナ領のパイプラインを通じて行われてきた。これがウクライナにトランジット収入をもたらすとともに、対ロシア交渉カードともなってきた。それが、ここにきて状況が大きく変わってきている。2012年のウクライナ領を通じた天然ガスのトランジット輸送は842億立方メートルとなり、前年比19%低下したのである。シェールガス革命などにより世界のエネルギー地図が塗り替えられ、またロシアがノルド・ストリーム、サウス・ストリームというウクライナを迂回(うかい)する天然ガスパイプラインを整備する中で「トランジット立国」たるウクライナは岐路に立たされている。

ウクライナの2012年通年のGDPは、まだ発表されていない。しかし、UEFAユーロ2012による経済効果のあった2012年上半期にはプラス成長を記録したのに対し、下半期がマイナス成長となるのはほぼ 確実とみられている。また通年では、わずか0.3%程度の成長にとどまると予想されている。2012年10月時点のIMFの経済見通しに基づき、2012 年:3.0%、2013年:3.5%と想定しているが、今となっては非現実的といえる。

鉱工業生産指数はすでに2012年通年の数字が出ており、前年比1.8%減となっている。中でも、ウクライナ経済の浮沈を握る冶金(やきん)工業は同5.2%ものマイナスを記録している。景気を敏感に反映する乗用車の生産は、2012年には約7万台にとどまり、前年比で21%もの減産に見舞われた。図2に示したように、ウクライナでは例年、年末にかけて 自動車生産量が高まっていくパターンが見られるが、2012年は逆に失速している。

【図2 ウクライナの月別乗用車生産台数】 (単位:1,000台)

【図2 ウクライナの月別乗用車生産台数】 (単位:1,000台)

出所:ウクライナ統計国家委員会

(写真は2012年のモスクワ・モーターショーにおけるZAZの展示。筆者撮影。

(写真は2012年のモスクワ・モーターショーにおけるZAZの展示。筆者撮影。

ウクライナのザポリージャ自動車工場(ZAZ)は、2013年1月1日から丸1カ月間、操業を停止すると発表した。この間はサービスや出荷業務だけとなり、 生産は全面的に休止となる。同社はその理由について、ロシアによるリサイクル税(廃車税)の導入で輸出が低迷していること、ウクライナ国内の金利が高く国内市場の売れ行きが芳しくないことを挙げている。

日本人の駐在員

現時点でキエフには、200人余りの在留邦人が住んでいるということである。そのうちビジネスマンは、30人程度とされる(家族を除く)。進出企業は、大手商社と自動車・家電メーカーがメーンである。キエフでは「日本商工会」が組織されており、21の日系企業(2011年3月現在)が加盟して情報交換などを行っている。

最近の日本・ウクライナの二国間経済関係に関しては、残念ながら大きな盛り上がりはないようだ。2011年1月にヤヌコーヴィチ大統領が来日した際には、日本の財界でもウクライナへの関心が高まったが、具体化しているプロジェクトはまだ多くはない。キエフに進出している日系企業数も、ここ何年かは横ばいである。ただ、日本のウクライナに対する初の円借款供与第1号(約191億円)のプロジェクトとして進めてきたキエフのボリスポリ国際空港の拡張事業において、新ターミナル(ターミナルD)がようやく完成し稼働にこぎ着けたのは、大きな朗報である。本件は、ウクライナの国内事情により作業が停滞する場面もあったが、2012年5月28日にヤヌ コーヴィチ大統領らの列席の下、完成式典が開催された。現在は、第2弾以降のODAの活用を念頭に置いて各商社がプロジェクトの発掘に努めているようだ。 日系企業としては同国のカントリーリスクを十分に見極めながら、ビジネスの糸口を探っていくことが求められよう。

[執筆者]服部 倫卓(ロシアNIS経済研究所次長)

※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2013年2月6日付で掲載されたものです。


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