
「海のエコラベル」と呼ばれる海洋管理協議会(MSC)の水産物に関する認証制度が、ロシアの漁業を揺るがせている。マクドナルドはMSC認証ラベ ル導入を機に、ロシア国内で獲れた魚の使用をやめてしまった。エコラベルという第三者認証制度を通じた流通・消費面への働き掛けが、密漁と乱獲に悩まされてきたロシア漁業の在り方を変える契機となることが期待されている。
「海のエコラベル」
一般的に環境ラベルもしくはエコラベル(以下「エコラベル」の表記を用いる)とは、 地球環境の保全に役立つと認定された商品に付けるマーク(デジタル大辞泉)のことを指し、日本では公益財団法人日本環境協会が発行する「エコマーク」が代 表的なエコラベルとして知られている。環境に配慮した商品の購入を消費者に促す試みの一環として始まったが、近年は企業・業界団体が取扱商品のイメージ アップや環境経営のアピールを図る手段として、その普及を推進している1。
エコラベルの中には、特定の商品を対象としたものが幾つかあり、水産業界では「海のエコラベル」と称される水産物の第三者認証制度が注目を浴びている。日本国内の雑誌論文・記事の検索サービスであるCiNii Articlesを用いて、エコラベルでキーワード検索すると、ヒットした86件中の30件が水産関連のエコラベルを扱っている(2013年6月18日現在)。
世界の漁獲量と水産物の消費量は右肩上がりで伸びているが、1990年代以降の増加分はもっぱら養殖業による供給に頼っており、天然魚の漁獲量は横ばいの状況にある2。 水産資源の適正管理と持続的利用は漁業国にとって重要な課題で、その対応策の一つとして世界各地で取り入れられ始めた施策が「海のエコラベル」である。すでに複数の認証制度が登場しており、日本では社団法人大日本水産会によって2007年に設立されたマリン・エコラベル・ジャパンが運営母体となり、生産段 階認証と流通加工段階認証を行っている3。
米国やアイスランドの水産団体も同じような試みを始めたが、世界標準の「海のエコラベル」となりつつあるのが、英国の海洋管理協議会(Marine Stewardship Council:MSC)による第三者認証制度である。MSCは、環境非政府組織(NGO)の世界自然保護基金(WWF)と冷凍魚の取扱量で世界最大手級のユニリーバが1997年に設立し、1999年に独立した非営利団体である。MSCは持続可能な漁業と水産物のトレーサビリティーに関する二つの基準を設け、第三者機関の専門家による審査にパスした水産物の販売に青色の認証ラベルの使用を認めている(下記、ロゴマーク入りのラベルを参照)。
現時点で、このラベルが付いた商品は世界全体で1万7000点以上に上り、認証済みの天然魚は漁獲量の1割近くに達する。認証を受けた事業者の所在地は北米と欧州が中心で、日本を含むアジアの事業者は出遅れの感が否めない4。既述のマリン・エコラベル・ジャパンによる認証手続きは国内向けであり、欧米諸国への輸出を考える場合には、MSC発行の認証ラベルの取得が前提になりつつある。
1 環境省のウェブサイトには、小売り商品を選ぶ際に参考となるエコラベルとして30点、企業の取り組みを示すエコラベルとして16点、地方自治体が独自に設 けたエコラベルとして64点、国が取り決めたエコラベルとして2点のロゴマークの一覧を掲載している(http://www.env.go.jp /policy/hozen/green/ecolabel/f01.html)。
2 FAO Fisheries and Aquaculture Department, The State of World Fisheries and Aquaculture 2012, pp.3-19.
3 マリン・エコラベル・ジャパンのウェブサイトを参照(http://www.melj.jp/)。
4 MSCがウェブサイト上で提供する認証済みもしくは審査中の事業者データを参照
(http://www.msc.org/track-a-fishery /fisheries-search/@@search_results?status=&species=& fisheryName=&display=table)。
マクドナルド・ショック
漁獲量で世界の十指に入る漁業国でありながら、MSC認証の取得が進まない国の一つが ロシアだ。ウラジオストクのロシアスケトウダラ協会の会長が「これは200カイリ規制の大波と同じだ」と語るように、その影響力の大きさをロシアの漁業・水産関係者に痛感させた出来事が2013年初頭に起きた。世界最大級のファストフード・チェーンであるマクドナルドが発表したMSC認証ラベルの使用と、 それに伴うロシア産スケトウダラの利用停止である5。
スケトウダラの漁獲量ではロシアが世界一で、そのすり身は加工食品の原料として広く用いられている。マクドナルドが提供する看板商品の一つフィレオフィッシュもスケトウダラを原料としており、従来は主にロシア産を用いていたとみられる。しかし、MSC認証ラベルの導入を機にロシア国内で獲れた魚の使用を完全にやめたため、特にロシア極東のスケトウダラ漁は大口の顧客を失う羽目になった。
スケトウダラはオホーツク海で最も漁獲量の多い魚種 で、サケやカニと並ぶ極東漁業の主力産品であるため、その影響は深刻だ。米国アラスカ州を拠点として、北西太平洋のベーリング海とアラスカ湾を漁場とする At-sea Processors Association(APA)が、世界で唯一スケトウダラ漁のMSC認証を取得していることから、現在のフィレオフィッシュは米国産のスケトウダラを 使用していると考えられる。
MSCの公式ウェブサイトに掲載された情報を整理すると、ロシア近海では、オホーツク海およびベーリング海のスケトウダラ、カラフトマス、シロザケ、ベニザケ、ギンザケと、バレンツ海のマダラ、ハドックの漁に関して、MSC認証の申請が行われた(詳細は下記の表を参照)。
いずれも輸出向けの水産物として位置付けられ、認証済みの商品の一部はすでに日本にも入っている。しかし、現時点でMSC認証を取得できた漁は4例にとどまり、欧州だけで年1億個が売れるといわれるマクドナルドのフィレオフィッシュに姿を変えていたロシアのスケトウダラの漁は、2008年9月に審査を始めてから、すでに5年近い月日が経過した。通常は1年から1年半で終了する審査期間が長引いているだけでなく、その過程で外部からの異議申し立てが行われたため、審査内容をいったん差し戻し、再検討するという決定が下された(2013年6月19日付けMSC公式発表)。マクドナルドの関係者によると、ロシアのスケトウダラ漁がMSC認証を取得した場合には、同国産の魚の使用を再開するようだが、その道のりはまだ遠そうである。
注:事業者の所在地は、中国(香港)に登記されたOcean Trawlers Groupを除いて、全てロシア極東である。J.S.C. Gidrostroyは、認証期間(1期5年)の更新を求めて現在審査中。
出所:MSCのウェブサイト(http://www.msc.org/)に掲載の情報に基づき筆者作成。
5 マクドナルド・ショックの詳細については、『朝日新聞』2013年1月25日付記事「ロシアの魚 使わない:マック、乱獲防ぐ認証導入」ならびに『WEDGE』2013年3月18日付配信記事「モスクワのマクドナルドが国産スケトウダラを使用しない理 由」(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130318-00010000-wedge- bus_all)を参照。マクドナルドの広報によると、同社はMSCと契約を結び、認証ラベルの使用料(金額は非公開)を支払っている (「McDonald’s tightlipped on MSC ‘sweetheart deal’ talk」 undercurrentnews:seafood business news from beneath the surface, 11 February 2013, http://www.undercurrentnews.com/2013/02/11/mcdonalds-tightlipped-on-msc- sweetheart-deal-talk/)。
エコラベルとロシアの資源開発
ロシアでMSC認証の取得が進まない理由の一つは、全国的な社会問題になっている密漁と乱獲のまん延とされる。特にロシア極東では、ソ連崩壊後に商業的価値の高い水産資源を中心に不正漁獲が横行した。たびたび報道されるよう に、ロシア政府は極東産水産物の輸入国(日本、韓国、中国など)に対し、水産資源の保全と持続的利用を目的とした規制強化への協力を呼び掛けてきたが、漁業従事者とのいたちごっこの状況は解消されていない。
水産業に限らず、生産面での規制強化だけでは、実効性のある資源管理体制の構築は難 しい。それ故、エコラベルという第三者認証制度を通じた流通・消費面への働き掛けには、資源管理体制の実効性と水準を高める役割が期待されている。この点 は、まさにロシアの極東漁業に当てはまる。密漁と乱獲を防止する有効な仕組みが構築されない限り、ロシアの事業者がMSC認証を取得することは難しいといわれているため、この認証制度が極東の漁業を変えていく重要な契機になるかもしれない。
実は、エコラベルがロシアの資源開発の在り方を変 えてきた先例は、すでに存在する。森林管理協議会(Forest Stewardship Council:FSC)による森林認証制度である。MSCと同様に、事業者による認証申請を第三者機関が審査し、適正な森林管理がなされていると判断されれば、そこから切り出された木材と、これを用いた木材製品に独自のロゴマークの使用を認めている。家具製造販売のグローバル企業であるイケアが、取引する納入業者や製造会社に対してFSC認証の取得を求めたことで、一躍知られるようになった。
ロシアでは漁業と同様に、林業でも違法な事業活動(乱伐・盗伐や密輸出など)がまん延し、特に極東地域の森林開発は環境NGOの間で最も評判の悪い事案の一つであった。こうした中で、FSCの認証制 度を通じて、ロシア林業の在り方を変える試みが1990年代末から始まり、一つ一つ実績を積み重ねてきた6。 その際、ロシア企業と提携した外資企業がFSC認証手続きの実務を担当する例は珍しくなく、エコラベルの存在そのものが商機にもなっている。例えば、住友 商事の公式発表によると、同社はロシア沿海州の大手林産企業チェルネイレスによるFSC認証の取得手続きを、長年にわたりサポートしてきた。
エコラベルは決して万能薬ではなく、その効き目の即効性は期待できないが、ロシアのように環境ガバナンスの向上に多大な期待を持ちにくい場合は7、時間はかかるとしても着実な効能が見込める「良薬」として、広く受け入れられるかもしれない。
6 柿沢宏昭・山根正伸 編著『ロシア 森林大国の内実』日本林業調査会、2003年1月、第8章 違法伐採と森林認証。
7 詳細は、徳永昌弘『20世紀ロシアの開発と環境』北海道大学出版会、2013年3月、第3章を参照。
[執筆者]徳永 昌弘(関西大学商学部准教授)
※この記事は、2013年7月2日付で三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。
ユーラシア研究所レポート ISSN 2435-3205