EUのICT戦略は欧州経済を救うか? -井上 淳

EU

概要

情報通信技術(ICT)は競争力、経済成長、雇用、社会的包摂に寄与する産業と位置付けられており、欧州連合(EU)も近年立て続けにICT関連政策を発表している。諸政策には過去の反省が生かされており、一概に実現性に乏しいとはいえない。デジタル単一市場計画そしてデジタルジョブのための大連合が進めば、国境を越えたICTのビジネス活用やICT関連の雇用が増加する可能性は高い。

1.新経済戦略「Europe 2020」とICT

欧州連合(EU)は2010年に新経済戦略「Europe 2020」を発表し、2020年までにスマートな成長、持続可能な成長、社会包摂的な成長を遂げるための諸政策を掲げた。そのうち情報通信技術(ICT)に関係するものは、以下の通りである。

  • EU経済の弱点に正面から取り組む政策イニシアチブ
    ICT促進のための「Digital Agenda for Europe」、研究開発投資を促す「Innovation Union」、スキルと雇用に関わる「An Agenda for New Skills and Jobs」などを提案した。
  • 「Innovation Union」を財政面から支援する「Horizon 2020」の導入(800億ユーロ)
  • デジタルジョブのための大連合(Grand Coalition for Digital Jobs)開始(2013年)
    教育、職業訓練、資格、雇用、ICTの魅力向上などといった諸課題とその連関(結節点)を鉄道路線図のように示し(図1)、取り組みを可視化した。
図1 Grand Coalition for Digital Jobs

図1 Grand Coalition for Digital Jobs

出所:http://ec.europa.eu/digital-agenda/en/digital-jobs-0

  • 政策へのマルチステークホルダー参加とオーナーシップ、パートナーシップの強調
  • デジタル単一市場を完成させるための自由化・非規制化促進

2.旧経済戦略を踏まえた戦略の実現性

上記は盛りだくさんであるが故に、実現性に乏しく映るかもしれない。しかしながら、これらは過去10年の経済戦略(リスボン戦略)の反省を踏まえて導出されており、一概に軽視することはできない。

例えばEUは、端末や回線の普及率向上はもちろんビジネス活用を促進してこそICTが競争力や経済成長に寄与すると判断するに至り、諸政策イニシアチブと Horizon 2020とを用意している。デジタル単一市場に取り組むのは、ICTの越境的性格の活用すなわち加盟国間取引促進のために他ならない。

またEUは、約100万人と推計されるICT人材不足の背景に労働力需給ギャップ、とりわけスキルギャップがあることを把握している。ICT専攻の卒業生数も減少傾向にある。図1の通り、デジタルジョブのための大連合は、ICT活性化と人材育成、雇用促進が結び付くよう設計されている。

さらに、マルチステークホルダー参加、パートナーシップ、オーナーシップの再強調は、諸々の取り組みの実現性担保を図っている。デジタルジョブのための大連合では、企業や業界団体などが自ら指定した領域で成果にコミットする計画(pledge)が50件以上進んでいる。図2のようにさまざまな組織が取り組みに名を連ねているが、単に名前が公表されるだけでなく計画目標、経過と達成度がウェブサイト上で数値化・可視化される。計画への関与が文字通り「pledge(誓約)」となり、課題解決の実現性が担保される仕組みである。

なお、Europe 2020発表前に発効したリスボン条約によって、EUは産業政策や研究開発において加盟国間相互の政策学習・監視・評価を主導することができるようになり、EU側の提案が文字通り提案で終わってしまうということも考えにくくなった。

図2 デジタルジョブのための大連合:ステークホルダーと貢献分野の例

図2 デジタルジョブのための大連合:ステークホルダーと貢献分野の例

出所:http://ec.europa.eu/digital-agenda/make-pledge

3.現時点における効果と展望

それでは、Europe 2020戦略の折り返し地点に差し掛かった現在、どのような効果が出ているのだろうか。まず研究開発については、EUの研究開発支出額の対国内総生産 (GDP)比は2010年の1.8%から2013年には1.92%へと徐々に増加し、2000年代には記録不可能だった数値を記録している(経済協力開発機構(OECD)統計)。ICT利用については、顧客関係管理(CRM)を利用する企業の割合はこの5年間で5%程度上昇(大企業の58%、中小企業の45%)している(EU統計局、以下同じ)。ICT専門家を雇用した企業の比率は、2012年から2014年にかけて大企業では微増(76%)したものの、中小企業で微減(18%)となっている。ただし、デジタルジョブのための大連合の開始が2013年だったため、もう少し推移を見守る必要がある。

ICT利用取引については、過去1年間に自国で電子的販売を行った企業の割合が、2011~2013年の間に増加している(大企業:35%から38%、中小企業:14%から15%)。ただ、同時期に他の加盟国を相手に電子的販売を行った企業の割合は、大企業では1%増の21%、中小企業では同じく1%増の7% にとどまっている。国内におけるビジネス活用は比較的順調だが、加盟国間なおかつ恒常的な取引を促進する余地が残されている。2016年末までに16の取り組みを実施するデジタル単一市場戦略(European Commission 2015)が2015年5月に採択されたため、これが加盟国間取引におけるICT利用をどの程度刺激するのか、注目したい。

このように、 EUの諸々の取り組みが官僚機構の所産であり所期の目標を達成することができないと判断するのは早計であろう。デジタル単一市場計画、そしてデジタルジョ ブのための大連合が進めば、国境を越えたICTのビジネス活用やICT関連の雇用が増加する可能性は高い。また、戦略の成否については予断を許さないが、 EUの経験は、ICTのビジネス利用の意味するところ(国境を越えた商業活動の環境整備)と成長・雇用戦略が機能する条件(マルチステークホルダー参加、 オーナーシップなど)とを、われわれに示しているように映る。


参考文献
European Commission(2010), Europe 2020 – A Strategy for Smart, Sustainable and Inclusive Growth, COM(2010)2020.
European Commission(2013), Communication on the Telecommunications Single Market, COM(2013)634.
European Commission(2015), A Digital Single Market Strategy for Europe, COM(2015)192 final.
E. Marlier and D. Natali(eds.), with R. Van Dam,(2010), Europe 2020 Towards a More Social EU?(Brussels:P.I.E. Peter Lang).
井上淳(2015)「ICT関連政策にみられるEUガバナンスの変化」『大妻比較文化』16巻、P3-16。

[執筆者]井上 淳(大妻女子大学准教授)

※この記事は、2015年6月18日付で三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。


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