
概要
「ウラジオストク自由港」は、輸送網を整備し、天然資源以外の輸出産業育成を目指す経済特区であり、2015年10月から始動する。輸出産業の担い手となる人材確保など課題も多いが、中国・ロシア間の物流拠点としての役割を果たしていく中で、さまざまな産業が生まれる環境を整えることができれば、国 際ビジネスの拠点へと変貌していく可能性がある。
はじめに
プーチン大統領は、極東発展省を新設し「ウラジオストク自由港」という経済特区の設置を承認した。ウラジオストク自由港はロシア極東南部の輸送網を整備し、天然資源以外の輸出産業を育成する目的で創設され、2015年10月から始動する。輸出産業 の形成に必要な労働力の確保など課題は多いが、トランジット・ポイントとして中国東北部からの物資の受け入れ・送り出しを開始し、これを皮切りに、さまざまな産業が自然と生まれる環境を整えることができれば、国際色豊かな国際ビジネス拠点に変貌できるかもしれない。
1.極東発展省と経済特区
プーチン大統領は、人口減少が著しいロシア極東の再開発のため、2012年5 月に「極東発展省」を創設した。翌2013年には、ユーリ・トルトネフ副首相兼極東連邦管区大統領全権代表と、アレクサンドル・ガルシカ極東発展相の2人 を中心に、30~40歳代の民間企業出身者を中心とする人材が幹部として集められ、本格的な再開発計画の作成が始まった。2013年10月にトルトネフ全権代表とガルシカ大臣が示した方針は、近接するアジア太平洋地域を巨大な市場と見なし、ロシア極東を高付加価値製品の生産拠点にして、輸出産業を育成するというものであった。
それまで、ロシア極東の再開発とは連邦予算を獲得して行われる大規模公共事業である、という固定観念があった。例えば、2012年9月にウラジオストクでアジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれたが、APEC開催のために会議場、ホテル、空港、道路、橋などの整備が必要とされ、巨額の連邦予算がつぎ込まれた。一方、トルトネフ全権代表とガルシカ大臣を長とするグループは、民間企業による投資を前提とし、採算性があると判断した案件だけを実行することに したのである。2013年以降、ロシア経済が低迷する中、連邦支出を極力抑えなければならず、また、併合間もないクリミア半島の開発が優先されたといえる。
極東発展省は「優先的社会経済発展区域(TOR)」という経済特区を創設し、沿海地方に限って言えば、ウラジオストクの北西にあるナデジディンスキー地区を「産業パーク」とし、プラスチック製品・菓子製造、物流関連企業が投資する。また、もともと鶏肉生産の盛んな沿海地方中部「ミハイ ロフスキー」に養豚・食肉加工業を新設し、輸出産業化を目指すとしている。ところが「産業パーク」や「ミハイロフスキー」を含め、TORにおける投資プロジェクトの実施のために、2015~2017年の3年間、連邦予算から890億ルーブル(1,600億円弱)が支出される予定だったのが、その後420億 ルーブルに減額され、2015年については当初予算の70億ルーブルから63億ルーブルへと1割減額されてしまった。ちなみに、2009~2013年の5 年間に極東とザバイカル地域に特別プログラムとして支出された連邦予算は、この10倍以上の4,350億ルーブルである。
2.ウラジオストク自由港の優遇措置
2015年に極東発展省は、先進経済地域とは別の経済特区計画を策定した。それが、同年10月12日から具体的に動き出す「ウラジオストク自由港計画」である。
ウラジオストク自由港とは、ウラジオストク市を含む沿海地方南部の15の行政区をその領域とする、TORとは異なる法令によって定められた経済特区である。 2015年7月13日、国内外からの投資によって輸送網を整備し、輸出産業を育成することを目的として、連邦法「ウラジオストク自由港について」および関 連法が成立した。具体的には、自由港の域内では企業の活動開始から最初の5年について、連邦法人税は免除され、地方法人税は最大5%となり、次の5年では 連邦法人税は2%、地方法人税は最大10%に抑えられる。また、自由港の入居企業は土地税、資産税を免除され、国家予算外基金(社会保険料)への納付は 30%から7.6%へ引き下げられる。
さらに、外国人労働者の雇用については、毎年連邦政府が各地方・企業に割り当てる外国人労働者枠とは別に雇うことができると同時に、さまざまな手続きが簡素化される。これらに加え、海港・空港・陸上国境の通過地についても、関税・検疫・出入国管理などに関する規制が緩和される(ただし、輸出・輸入関税や税関納付金を廃止するとはしていない)。この他、国境通過に関わるあらゆる業務は一元的かつ24時間 年中無休で行われ、ウラジオストク自由港からロシアに入る外国人に限って8日間のビザ(簡易ビザ)が自動的に与えられる。また、ウラジオストク自由港の保 税区域には、ぜいたく品・美術品・骨董(こっとう)品などの見本市(センター)も常設される。
3.ウラジオストク自由港は「港」ではない
ウラジオストク自由港は「港」ではなく、北海道ほどの広がりを持つ沿海地方南部一帯のことであり、結果的には、この中に点在する海港・空港・国境通過地を指すことになるだろう。プーチン大統領は2014年12月4 日に行った年次教書演説の中で、ウラジオストク港を1862~1900年および1904~1909年のような自由港に戻すべきだと述べたが、ウラジオスト ク港自体が自由港になったとしてもその重要度は低い。
第一に、ウラジオストク市内には工業団地を造るほどの土地がない。第二に、ウラジオストクはソ連時代には閉鎖都市であり、現在もロシア太平洋艦隊の母港で、周辺は軍用地ばかりである。ウラジオストク自由港法には、国防と国家の安全保障を確保する必要があった場合、ウラジオストク自由港の期限前廃止もあり得ると明記されており、ウラジオストク港を自由港にするに当たっては軍の権益が立ちはだかる。第三に、ウラジオストク港の年間貨物取扱量は1,500万トン程度であり、規模が小さいので自由港にする利点がない。
重要なのは、ナホトカ市(ウラジオストクから車で2時間半)のナホトカ商業港とヴォストチヌィ・コンテナ・ターミナルである。特に、ソ連時代に日本の協力で建設したヴォストチヌィ港はシベリア鉄道に直結し、港湾の規模も大きく、後背地は放置状態にある。また、ナホトカ商業港はコジミノ石油港を新設したこともあって 道路整備も済んでいる。2015年9月3~5日にウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」で、国際協力銀行(JBIC)の代表者がナホトカ港湾開発への融資に言及したのは、極東の実情を熟知した上での発言だったといえよう。
4.中国との関係強化
「東方経済フォーラム」ではトルトネフ副首相兼全権代表が主管だったためか、中国 からは汪洋副首相が出席し、数の上でも中国からの参加者が目立った。中国企業によるロシア極東の先進経済地域や自由港へのさまざまな直接投資案件が話題となったが、道路改修、ロシアの海港の利用、および水産業への投資の3点が中国側の主要な関心であったと思われる。
まず、中国国境から日本海沿岸までの道路の改修が挙げられる。中国国内の公共事業は飽和状態にあるとみられ、中国政府は、事実上の政府開発援助(ODA)の形でロシアの道路改修に関わりたいのであろう。
また、中国・ロシア間の道路や鉄道が整備され、さらにナホトカ市地区やハサン地区の三つの港(スラヴャンカ港、トロイツァ(ザルビノ)港、ポシエトノ港)でのトランジット通関が可能になれば、黒竜江省や吉林省にとっては大連よりもはるかに近い海港が登場することになり、中国東北部の経済振興に寄与する。特に、ザルビノ町にあるトロイツァ港は吉林省との国境から車で30分ほどの場所にあり、1991年のソ連崩壊以降、日本、中国、韓国が多大な関心を寄せてきた。
さらに、急増している中国国内の海産物需要に応えるため、沿海地方の遠洋漁業企業が漁獲する水産物の加工や沿岸でのナマコなどの養殖 に中国が投資するという案件が出されており(ウラジオストクは古くからナマコの産地)、すでにウラジオストク市近郊で水産関連工場の建設が始まっている。
5.経済特区計画の課題と発展のポテンシャル
プーチン大統領は、就任直後からロシア極東の人口減少は国にとって脅威で、この地域の再開発を安全保障上の課題と見なしてきた。現在のロシア極東には、日本のおよそ18倍の面積に550万人ほどしか住んでいない。それ故、経済発展省には「特別経済地帯」の創設を認め、ウラジオストク市にはロシア大手自動車メーカーのソラーズと三井物産が合弁で設立したソラー ズ・ブッサン、およびマツダと設立した合弁会社マツダソラーズマヌファクトゥリングルースによる自動車生産に対し「特別経済地帯」の工業特区の地位を与えて便宜を図っている。また、これまで述べてきたように、新たに極東発展省を創設し「先進経済地域」と「自由港」という経済特区計画も承認し、とりわけウラ ジオストク市周辺の再工業化に力を注いでいる。
ウラジオストク市周辺での経済特区については「特別経済地帯(zone)」と「先進経済地 域(territory)」と「自由港(free port)」の範囲が重なっていたり、多数の関係省庁・軍・大手企業・地元勢力間の調整が不十分な点など問題点は多々あるが、最も解決が困難とみられる課題は、労働力の確保である。どの経済特区にも共通するのが、高付加価値製品の製造と、その輸出産業化を目指している点である。そうした中で、価格競争力を維持するために、高度な技能を持つ労働者を比較的低賃金で雇用するには、域外からの移民に頼ることが必要と考えられる。しかしながら、中国からの大量の移民受け入れは、ロシア極東地域において地元住民の人口増加を図ろうとする政策と矛盾する。
このように、ウラジオストク自由港は多くの課題を抱えている。しかし、ロシア極東地域のポテンシャルはやはり大きい。この地域は天然資源の宝庫であり、現在進められている開発が本格化すれば、インフラ建設の需要増も期待できる。さらにその先には、国際ビジネスの拠点へと変貌するという展望が開けるかもしれない。ウラジオストク自由港についても、まずは 単純に、トランジット・ポイントとして中国東北部からの物資の受け入れ・送り出しを開始するのが現実的であろう。これを皮切りにさまざまな産業が自然と生まれる環境を整えることができれば、国際色豊かなスターリン期以前の極東地域に戻ることができるのではないだろうか。
主要参考文献
齋藤大輔「ロシア極東羅針盤:ウラジオストク自由港構想」『ロシアNIS調査月報』(2015年6月号、P124-125)
堀内賢志「トルトネフとガルシカが主導する極東地域開発政策」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』(2015年8月号、P31-45)
安木新一郎『ロシア極東ビジネス事情』、ユーラシア・ブックレットNo.138、東洋書店(2009年)
ロシア連邦極東発展省ウェブサイト(http://minvostokrazvitia.ru/)
[執筆者]安木 新一郎(京都経済短期大学准教授・元在ウラジオストク日本国総領事館専門調査員)
※この記事は、2015年10月1日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。
ユーラシア研究所レポート ISSN 2435-3205