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61.女性駐在員の進出が目覚ましい在ロシア日本企業-労働許可取得の新条件が追い風に ー菅原 信夫

ロシア国旗

概要

モスクワの女性駐在員数が増加している。総合商社の業界でいえば、女性駐在員が活躍するようになったのは2000年以降と、本当につい最近である。増員の追い風になっているモスクワの労働環境の変化、特に労働許可取得の新条件について取り上げてみたい。

女性駐在員が少なかった時代

最近のロシア経済指標は、ご存知の通りマイナスの羅列で、心をワクワクさせるような数字はどこを見ても出てこない。だからと言って、元気が出る数字がないこともない。例えば、モスクワの女性駐在員の数だ。
私のいた総合商社という業界において、女性駐在員が活躍するようになるのは2000年以降で、本当につい最近の出来事である。それまでは、女性社員が出張に来たりすると、大変な歓迎とともに、臆することなくロシアに乗り込む女性として、男性陣の尊敬を一身に集めるような時代だった。

ロシアに女性駐在員が少なかった理由は、
1)かつて物資の少なかった旧ソビエト連邦(ソ連)/ロシアでは、駐在員の生活を担うのは駐在員の夫人であった。また、娯楽の少ない中、家庭に来客を招き接待するのも、駐在員とその家族の大きな仕事だった。単身の女性駐在員には、対応が難しい面があった。
2)ロシアのお酒といえばウオツカ。ロシア人の中には、ウオツカの飲み干し度合いで友好度を測ろうとする人も多かった。アルコール耐性を買われてモスクワ勤務となった男性駐在員でもひるむほどだ。
3)旧ソ連時代、商社駐在ビザは外国貿易省に許認可権があり、駐在員交代ともなると、所長が新駐在員の略歴を持参し、ロシア側のアグレマン(承諾)を取得してから初めて交代となったものだ。女性の場合、このアレグマンがほとんど取れなかった。
今、手元に1986年度版「モスクワ日本人会会員名簿」がある。以下、勤務先と人数、カッコ内が女性会員数だ。

―大使館:53(4)、商社:157(3)、日本航空:13(1)、報道:21(0)

本当に小さな日本人社会だったわけだが、それにしてもあまりに少ない女性駐在員の数を見ると、これでよくぞ事務所が維持できたものだと思う。しかし、そこはうまくできたもので、ハルピン育ちで日本語が堪能なロシア人女性が日本人駐在員の商談を通訳として援護したり、駐在員夫人が事務所でのパーティーの準備をしたり、まさに一体となって業務にまい進したものである。

今では70人を超える女性が活躍

時代は変わって2016年。「ジャパンクラブ」のホームページ掲示板には、「働く女性の会」の活動が毎月掲出されている。2007年に「モスクワ日本人会」と「モスクワ日本商工会」が合体する形で成立したジャパンクラブには、現在法人会員として、197社700人ほどの会員が登録している。その中の50人ほどの女性会員を対象に「働く女性の会」が昨年結成された。特にメンバー制を取っているわけでもなく、都合がつけば会合に参加するという緩い組織だが、それでも常に30人ほどの女性達が顔をそろえるという(以上の数字はジャパンクラブ事務局より2016年3月にご提供いただいた)。
さらに個人会員として40人ほど登録しているが、そのうち女性会員は20人以上になる。合計すると、ジャパンクラブだけでも70人を超える女性が現地で活躍中という状況が分かる。

増加の追い風になった、モスクワの労働環境の変化

2010年あたりから女性会員が増加に転ずるが、その理由は次のようなモスクワにおける労働環境の変化が挙げられる。
1)東京外国語大学、上智大学といった、ロシア語専攻のある大学において、女子学生の占める割合が圧倒的に高くなりつつある。その結果、毎年ロシア語要員を定期的に採用する企業においても、女性の占める割合が自然に高くなっている。
2)ロシアでは、新しい移民法の規定により、ロシア語の総合力テストに合格することが労働許可取得の要件の一つに定められた(2015年1月より)。このため、駐在員にはロシア語に一定能力を持つ候補者を送り込むことが必要となり、語学で才能を示す女性の登場機会が増えつつある。
3)ロシア全体のビジネス環境が変わりつつあり、ロシア側でも女性が躍進している。また、酒宴の席などは大幅に減り、女性にも営業担当を任せやすい世の中になった。
4)1990年代のソ連崩壊後の混乱期を経て、2000年代から今日までの、特にモスクワにおける都市インフラの改善は特筆に値する。これにつれて、都市の安全という面においても、女性の一人暮らしへの心配が減り、会社としても女性を派遣できる環境が整った。

筆者の個人的な見解としても、モスクワ、サンクトペテルブルクの2大都市は、今や男女を問わず日本人には快適な勤務地といえよう。ソ連の崩壊で廃虚のようになった都市インフラも立派に再構築され、交通、住居、通信など世界の大都市の中で間違いなく上位に数えられるほどになった。モスクワの場合、多くの日本人は環状線の内側に住居を構えていて、どこへ行くにも地下鉄が簡単に利用できる。零下20度の厳冬でも、建物内は集中暖房が効き薄着で過ごせる。経済制裁のために新鮮な乳製品、海産物が入荷しなくなったと騒いでいたのはもう2年も前の話で、今ではスーパーに欠品はない(逆に経済制裁対抗輸入代替え商品、というものがあふれている)。

快適な都市を支えているのは外国人

こういう快適な都市になったが故に、ロシア外部からモスクワに向かう就労希望者は後を絶たない。モスクワから見ても、この都市環境を維持するには、大変な数の労働者が必要となる。夜中の2時頃、私の住むアパートの外には大型のゴミ収集車がやってきて、生ゴミから大きな家具まで、コンテナに入った全てを持ち去っていく。トラックのドライバーも入れて、5、6人のチームが手際よく各アパートの入り口を回る。ゴミの入ったコンテナを建物のダストシュート底部から、ゴミ収集車まで運ぶ仕事は、各アパートにいるコンシェルジュと呼ばれる管理人の役目。彼らはまた、アパート1階の出口に面した小部屋に待機して、朝は6時頃から夜10時すぎまでアパート住民のこまごまとした用事を手伝う。雪が降ると、各アパートのコンシェルジュは早速雪かきショベルを手に、アパート入り口前の除雪にかかる。道路では、モスクワ市役所から派遣された除雪隊がいつの間にか作業を始めている。
こうしてモスクワで生活していると、都市のインフラを守るのはやはり人力なのだと思う。では、その人力はどこから来るか。これが時々報道される中央アジアのマンパワーである。ちなみに、私のアパートのコンシェルジュはキルギス人、隣のアパートはガザフスタン人である。何人かのチームで勤務しているが、メンバーがすっかり変わることはないので、どうやら、家族やグループ単位で担当の契約が決まっているものと見える。

ロシア語の総合テストが労働許可取得に導入された背景

ロシアは、旧ソ連構成国であった国々とは、現在も独立国家共同体(CIS)諸国として、特別な関係にある。その一つが、カザフスタン、ベラルーシとの間で2007年に締結された3カ国関税同盟である。これらの国々からロシアに就労目的で入国する移民に対しては、ロシア入国ビザを不要とする一方、労働パテントと呼ばれるCIS諸国限定の労働許可が発給される。労働許可は毎年連邦により割り当てられる許可枠数量と結び付いていて、この割り当てを「クオータ」と呼ぶ。ただし、入国ビザを不要としているCIS諸国からの労働者にはクオータ制限がない。このため、中央アジアからの労働者が無制限にロシアに流入する恐れがあった。
そこでロシア政府は、ロシアにおいて「善良なるロシア市民として生活できる」資質をロシア語の能力で確認しようと、労働パテント取得にロシア語、ロシアの歴史、ロシア法の試験への合格を義務化した(2014年からスタート)。このあおりを受け、日本人に対しても、通常のクオータ枠内で労働許可を取得するためには、この試験に合格することが必要となった(2015年1月より)。

マネジャーとスタッフで、労働許可枠を使い分ける日本企業

例外的に、高度熟練専門家(Highly Qualified Specialist=HQS)というカテゴリーで労働許可を申請する場合においては、このロシア語試験合格の条件はなくなる。ただし、本人の年間所得が200万ルーブル(月次所得16万7,000ルーブル)以上であることが条件だ。このような法的条件を満たすべく、日本企業においては、マネジャークラスについては社宅扱いのアパート家賃なども含めて、年収200万ルーブルを実現してHQSカテゴリーでの労働許可申請を行っている。また、スタッフクラスについては、ロシア語試験に合格できるロシア語力を持つスタッフを東京より呼び寄せ、従来の若手スタッフは交代させる、という動きが出ている。その結果として、外国語大学などでロシア語を専攻した女性たちが、駐在員として送り込まれる現象に結びついていく。
このような過程を経て「女性の海外駐在が実現する可能性が高い国がロシア」という認識がにわかに広まり、2015年あたりから新卒の就職活動において露文系女子学生の会社訪問対象がだいぶ変化してきていると聞く。
2016年3月、当社が東京ロシア語学院と共催した「就職準備セミナー<ロシア語で働くということ>」には、大学でロシア語を専攻する現役学生が多数参加した。そこにも女性の姿をたくさん見ることができた。また、現地採用日本人枠を持つ会社も増えつつあり、その枠を目指して、モスクワで日本企業回りをする日本人女子学生に会ったこともある。今後、在ロシア日本企業で活躍する女性駐在員は、ますます増加していくことだろう。

[執筆者]菅原 信夫(スガハラアソシエーツ代表取締役兼ロシア法人「Business Eurasia」代表取締役)

※この記事は、2016年4月13日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205

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