ロシアのビジネス教育-菅原信夫

ロシア国旗

概要

ロシアでもビジネス教育が盛んだが、残念ながらそこで学んだ知識が役に立たないことも少なくない。ロシアのビジネス環境がテキストで習う米国などのモデルと異なっているためだと思われる。しかし「私塾」や第三セクターによる実践的なビジネス教育が始まり、この中から新しいロシアの青年実業家が育っていくかもしれない。

要旨

ロシアでもビジネス教育が盛んだが、残念ながらそこで学んだ知識があまり役に立たないことも少なくない。いまだに膨大な量の紙を消費する経理、代表取締役と経理主任の2人による責任体制など、ロシアのビジネス環境がテキストで習う米国などのモデルと異なっているためだと思われる。しかし「私塾」や第三セクターによる実践的なビジネス教育が始まり、この中から新しいロシアの青年実業家が育っていくかもしれない。

ソ連崩壊後、ロシアに誕生したビジネススクール

ソ連がロシアに変わった1990年代、多くの国立高等教育機関は運営に必要な資金を確保できず、その門を閉じた。そのため多くの教育者が職を失い、教育現場を去り、ロシアの教育水準は急激に低下したといわれた。
 社会主義から市場経済へと、何の予備知識も与えられることなく押し出されたロシア国民を対象に、西側諸国の教育機関は、われ先にとロシアにパートナーを求め、ビジネススクールを開設した。1995年ごろのモスクワ、サンクトペテルブルクは、米国政府による「米国産業センター」をはじめとして、西側諸国各国政府による市場経済移行支援のための2国間協定に基づく支援センターが乱立。さらに上記のような西側諸国の教育機関とのパートナーシップに基づくビジネススクールが雨後のたけのこのように誕生したため、ビジネス教育とは、それ自身がビジネスだとやゆされたものだった。
日本もモスクワに日本センターを2カ所(モスクワ国立大学、ミルビス)開設し、年間受講生300人を超える規模(日本語専修生を含む)での大型対ロシア教育支援を実行した。その後2000年代に入り、ミルビスの日本センターは閉鎖、現在はモスクワ国立大学にある日本センターのみとなったが、日本センターでの教育活動は継続されている。

その中で、モスクワ国立大学ビジネススクールのビハンスキー学長は、もともと同大学の物理学者で、ソ連が崩壊した1991年に米国ノース・ウエスタン大学に、また1994年からは青山学院大学に滞在している。この海外滞在時に、その後のモスクワ国立大学ビジネススクールのトップとなるための知識、体験を得ていたことは間違いない。事実、同ビジネススクールは1989年の開校だが、躍進を始めるのは1995年、ビハンスキー氏が学長に就任してからのことである。

ロシアのビジネススクールとは

さて、ロシアのビジネススクールというのは、どのようなものなのか。
西側諸国のビジネススクールは、学部を卒業した学生を受け入れ、専門性の高い大学院教育を1年間あるいは2年間施し、経営学修士(MBA)を授与する教育機関というのが一般的な解釈だ。
 一方、ロシアのビジネススクールは、日本の大学における経済学部あるいは商学部に近いといえるかもしれない。
 モスクワ国立大学ビジネススクールは、同大学の学部の一つという扱いになっており、4年間の学部教育が施される。2年間でMBAを取得する大学院コースも併設されてはいるが、学生数は4年制大学に比べ圧倒的に少ない。
授業内容としては、企業の仕組みを全く知らない高等学校卒業生に、西側諸国では常識とされている経理・会社法・人事制度など企業運営の基礎的知識を叩き込む。そして、それらが実際に運用されている企業の様子を2年次あるいは3年次に実施する海外への研修旅行で確認し、西側諸国の企業の原理を一応理解する。
 モスクワ国立大学の授業料は、成績優秀者は無料という制度があるが、ビジネススクールの年間授業料は、西側諸国のビジネススクールとほぼ同額の年間200万~300万円と高額だ。それでもモスクワ国立大学ビジネススクールには毎年定員を大幅に超える受験生が押し寄せる。

ロシアのビジネススクールが抱える課題の数々

それほど人気のあるモスクワ国立大学ビジネススクールだが、他のビジネススクールに目を向けると、実は課題が山積している。最大の課題は、学んだ知識が実際に活用できない、ということである。学習したのはロシアにある外資系企業の話で、企業のほとんどを占める純ロシア企業においては、学んだ知識はほとんど役に立たないことも少なくない。
 幾つかその例を挙げてみよう。

(1) 
ロシア企業の経理というのは、ソ連時代の国営企業から引き継いだロシア型経理と称されるもので、膨大な量の紙を消費する。全ての取引には、まず前提となる契約書が必要となる。この契約書に基づいて納品書、請求書が発行され、さらに、取引が行われたことを売り手・買い手双方で確認する確認書が発行される。支払いを銀行経由で行う場合、銀行との間にも支払指示書をはじめとする各種書類が必要となり、入金に当たっては銀行に当該取引の契約書を提示することも必要である。西側諸国の商取引は今やインターネットを介し、ペーパーレスで可能であることを考えると、いかにロシアの商取引が遅れているか、実感できるだろう。 
(2) 
ロシア企業の最高責任者は、経営を担う代表取締役と、経理を担うチーフアカウンタント=経理主任の2人ということになる。ロシアで要求される多くの書類には、企業の代表者として、この2人の署名が必要となっている。税務署からの呼び出しは、代表取締役よりも経理主任に対するものの方がより深刻であり、経理主任と外部の税理士が呼び出しに応じることが多い。経営上の重大問題が発生した場合、公式書類への代表者と経理主任の署名は必須である。このような2人体制が求められる国は、ロシア以外ないのではないかと思われる。 
(3) 
企業経理の養成は、経理学校で実務的に行われ、ビジネススクールで学習するものとは基本的に異なる。ビジネススクールではグローバルスタンダードとしての会計学を学ぶことができるが、実際のロシア企業では1Cと呼ばれるPCソフトを使用した経理実務がメインの仕事である。従って、在ロシア西側諸国企業においては、ロシア税務当局に提出するロシア型税務申告書と欧州の本社に提出するグローバルスタンダードの報告書の両方を作成する、という二度手間が発生する。ビジネススクールでは、この問題に正面からぶつかっている様子はなく、このあたりにビジネススクールの実務上の有意性が問われると思われる。 
(4) 
次に2000年代初めまで、多くのビジネススクールではパートナー契約を結ぶ諸外国のビジネススクールが作成するケースをそのまま利用して、授業を行っていた。しかし、市場構造が全く異なる国の事例をそのままロシアに置き換えてみても、それはまさに机上の空論以外の何物でもない。さすがに最近はロシア版のケースが使用されるようになり、無意味な授業というのは減ってきたと学生は言うが、ロシアという国家体制にケーススタディーという考え方が合致するのか、大いに疑問を感じるところもある。 

ロシアのビジネススクールに代わるインキュベーションセンター

以上のように、ロシアのビジネススクールというのは、実務的な観点からはあまり実用性がないともいえる。このため、最近ではモスクワ国立大学ビジネススクールなど一部の有名校を除き、概してビジネススクールの人気に陰りが出てきている(親が経費を負担しているケースが大変多いロシアの場合、最近のロシア経済の低迷がビジネススクール入学希望者を減少させる方向に働いているとの説もある)。
 このように既存の大学や高等教育機関に設立されたビジネススクールに対して、実務に携わる人々が集い、後を追いかけるフォロワーたちに自分の経験を話し、理論を共に学び、事業意欲のある仲間を見つけ、事業に引き入れていくという「私塾」のような組織がロシア中で生まれつつある。
 日本でIT系の企業を立ち上げ、その成功例を携えてロシアに戻り、モスクワで再び企業を立ち上げた私のある友人とは、2016年夏からしばらく連絡が取れなかった。先日ようやく携帯電話が通じたので早速カフェで話をしたのだが、2カ月間ニューヨークで仕事をしていたとのことであった。インターネットの呼び掛けに応募したところ、彼に仕事が舞い込み、その業務のために彼自身がニューヨークに行くことになったのだそうだ。彼は今、自身のニューヨークでの経験を仲間の友人たちに開示しつつ、彼の仕事を一緒に進めてくれるパートナーを募集している。
 私はこの友人と、モスクワ国立大学ビジネススクールの講演会で一緒になったことがある。彼はビジネススクールの学生たちに、この時代の変化の速い時期に4年間も座学中心の勉強を続ける時間の無駄を理解してほしいと必死に訴えていた。だが学生たちを見ている限り、彼に同意を示す者は皆無だった。

ロシア最新のビジネスインキュベーション施設について

しかし、時代は彼により近づいているようだ。あるとき、彼の紹介でモスクワ市行政府が出資し、第三セクターが運営している企業研究センターを見学した。ここでは連日のように企業経営に関するセミナーが開かれ、年間のメンバーシップフィーを支払うことで、どのセミナーにも無料で参加することができる。また24時間オープンのオフィス空間では自由に仕事をすることができ、簡単なキッチンで食事を作ることも可能だ。Wi-Fiも使い放題で無償である。この環境がビジネススクールの何百分の1というコストで自分のものになる。こういう中から、教えられる知識ではなく、必要に応じて自らつかみ取っていく知識で武装した、新しいロシアの青年実業家が生まれてくるような気がした。

モスクワ行政府が運営する企業研究センターと案内してくれた筆者の有人。彼もこのセンターのメンバーである(撮影:筆者)

企業研究センター内部の様子。この写真の関は静寂を必要とする人の席。受付で1日あたり数百円の料金を払い不参のpcをつないで仕事をする(撮影:筆者)

[執筆者]菅原 信夫(有限会社スガハラアソシエーツ代表取締役)

※この記事は、2016年11月21日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。


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