なぜ人の自由移動がEU危機につながるのか?-安藤研一

EU

概要

人の自由移動はEUの基本理念の一つだが、ブリュッセルやパリのテロや移民・難民問題はそれを揺るがし、EU危機の一因となっている。市場統合によって国際労働力移動が活発化したにもかかわらず、EUや加盟国の政策はそれに追いついていない。結果として、国際労働力移動を経済成長に活用できず、むしろ格差を固定化させ社会不安を醸成している。あらためて社会的ヨーロッパについて考えてみる時が来ているのかもしれない。

1. はじめに

欧州連合(EU)は、欧州の国々が何百年も戦火を交えてきた末に、第2次世界大戦後、ようやく形成された。EUは「より一層緊密な連合(ever closer union)」をその目的として掲げた。それから半世紀以上、ヨーロッパでは基本的に平和が維持され、旧共産圏の崩壊という歴史的事件にも、東方拡大という形で比較的平和裏に転換を進めることに成功した。

しかし現在、EUはその存在意義さえ問われる窮地に陥っている。いまだくすぶり続けるユーロ危機や英国のEU離脱決定などを考えれば、EUが直面する事の重大さを理解できるだろう。そうした中、まさにEUの拠点のブリュッセルでテロが起こり、域外から難民が大量に流入し「人の自由移動」というEUを支えてきた基本理念さえも揺らいでいる。

なぜ、こんなことになったのだろう? どんなことにも必ず理由がある。テロなどの突発的に見える出来事にも、それを生み出す客観的な諸条件が醸成されてきたことを忘れてはならない。ここでは、労働力移動に焦点を絞ってこの問題を考えてみよう。

2. EUの基本理念における「人の自由移動」の出発点

現在ヨーロッパでは、広く「人の自由移動」が保障されるようになってきている。1985年のシェンゲン協定により、パスポートなしで加盟国間国境を越えることができるシェンゲン圏が生まれた。さらに、これは1999年のアムステルダム条約でEU法の一部となった。

ただし、シェンゲン圏とEUは必ずしも完全には一致していない。というのも、英国、アイルランドなどのEU加盟国がシェンゲン圏に入っておらず、スイス、ノルウェーのようなEU未加盟国がシェンゲン条約を結んでいるからである。このシェンゲン圏内で、テロリストが自由に国境を越えて行き来していたことが、パリやブリュッセルなどのテロの際に大きく取り上げられ「人の自由移動」がやり玉に挙げられたというわけだ。

シェンゲン協定に先立って、EUの前身である欧州経済共同体(EEC)を設立したローマ条約(1957年)は、既にEU域内における「労働力の自由移動」(第3編第1章)を規定していた。しかし、域外国境についてはEUとしての共通政策権限の所轄外であり、そのことは現在も変わっていない。そもそも労働力の地理的な自由移動は、封建制から産業革命を経て国民国家の下で近代化する過程で、新興産業が必要とする労働力を全国から調達するという重要な役割を果たしていた。その意味で、EUの下での「労働力の自由移動」は、一見すると欧州の戦火の元となった国民国家を乗り越え、より大きな欧州という統一体へと至るための崇高な目的のように見える。

しかし、EECが掲げた「労働力の自由移動」は、当初は実効性もなく、問題視されることもなかった。1960年代当時のEU加盟国は、同質性が高い6カ国だけであり、高度成長を経験していた。1人当たり国内総生産(GDP)で見た各国間の経済格差は、例えば、1958年時点で最低水準のイタリアは5,360ドル、最高水準のオランダは7,482ドルの71.6%であった。このような格差は、1970年には前者が9,689ドルへと上昇し、後者の1万1967ドルの81.0%へと改善していった。その結果、1960年代の高度成長と加盟国間格差の縮小のため、EEC域内での労働力移動も低下していった。

この時期に必要とされた労働力は域外から調達されるようになったが、これはEECとして管理するものではなく、加盟各国が個別に対応していた。しかも、域内外からの労働力供給が1960年代の欧州の高度経済成長を下支えしていたことから、今日ほど社会問題化することはなかったのである。

3. 「労働力の自由移動」を取り巻く状況変化

2010年代に、EUの基本理念が揺さぶられるようになった背景には、国際労働力移動の活発化がある。既に1950年代末からあったEUの「労働力の自由移動」という枠組みが、現実にその機能を果たすようになってきたのには理由がある。第一に、2004年、2007年のEU東方拡大によって、加盟国間の格差拡大を伴いながら、EU全体の労働市場が膨張し、第二に、国境を越える労働力移動のコストが急速に低下してきたからである。

EUの東方拡大は、新たに1億人の人口をEUに迎え入れることになったが、その経済水準は旧加盟国に比べて著しく低くかった。1人当たりGDPで見た加盟国間の経済格差は、旧加盟EU15カ国を100とした場合、全ての新規加盟国が100未満であった。例えば、新規加盟国中最大の人口を抱え、多くの労働力を送り出しているポーランドの1人当たりGDPは、加盟当時の2004年で5,400ユーロにすぎず、EU15カ国平均(2万7200ユーロ)の19.9%しかなかった。確かに、2015年までにポーランドの1人当たりGDPは1万1200ユーロへと上昇し、旧加盟国平均(3万3400ユーロ)の33.5%まで改善している。しかし、ユーロ危機によって経済が崩壊したといわれるギリシャの1人当たりGDPが1万6200ユーロであることからするなら、新規加盟国がいまだ低い水準にとどまっていることが理解されよう。

また、格安航空会社によって欧州域内の旅行は格段に安くなり、ITの発達のおかげで、誰でもどこでも、ほとんど無料で国際的なコミュニケーションができるようになった。つまり、生まれ故郷を離れるという社会的費用は、1960年代などと比べれば格段に低下したのである。他方、EU自身も、知識基盤型社会における成長基盤の整備を目指す「リスボン戦略」に示されたように、労働力移動による生産性改善効果に期待し、各種の移動促進策に取り組んできている。例えば、社会保障関連の権利について、EU域内であれば国際的に移転可能とする制度の改善を進めている。同時に、国際的な求人・求職情報を提供するインターネットサービス、EURES(European Employment Services)が整備された。こうして、EU域内における人々の移動は格段に容易になったのである。

4. 財と異なる労働力市場の特性

21世紀に入り、EU全体としての労働市場が形成され始め、それが移民・難民問題にもつながっている。こうした状況の中で、私たちは、そもそも労働力とは何かを考えざるを得なくなってきている。経済学者は古くから、労働力が普通の財とは異なり、擬制された商品であるが故に内包する問題に気付いていた。例えば、経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは『国富論』において雇用者と被雇用者の力関係が、後者に不利となることを強調している。新古典派経済学の始祖アルフレッド・マーシャルは『経済学原理』において労働力や労働市場の特殊性を考慮する中で、労働力需給の影響は正負のどちらでも累積的であり、同時に、需給調整には非常に長期間を要することを示唆している。経済社会の調整が、市場における価格変動に左右されるようになってきたことを指摘したカール・ポラニーの『大転換』は、労働力商品の担い手である人間までもが、むき出しの市場の力にさらされた場合に生じる人間の弱さに対する懸念を示している。こうした労働市場の特殊性は、国際的に統合された市場においてより増幅されることになる。

5. 受け入れ国・送り出し国における実状

格差を含みながら拡大してきたEU労働市場について、外国市民権保有者を外国人労働者とほぼ同じものと仮定して、その実状を確認していこう。在EU外国人は、28カ国全体で3,504万人、総人口の6.9%(2015年)だが、そのうち他のEU加盟国出身者は1,524万人、総外国人に占める比率はいまだ半分以下の43.5%にしかすぎない。また、最も多くの外国人を受け入れているのは、国土・人口・GDP規模で見たEU5大国(フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、英国)であり、436万人(フランス)から753万人(ドイツ)を受け入れている。しかし、これら5大国でさえも、EU出身外国人比率は、イタリアの29.8%から英国の55.1%まで大きな幅がある。
そのため、移民や外国人労働者がEUの基本理念を揺るがしているとはいっても、その一端は域外からの流入によるものである。既に指摘したように、域外国境管理についてはEUが担っているわけではなく、いまだ各加盟国が所掌している。

確かに、外国人の流入は大規模なものとなってきているが、それには正負両面ある。一般に、受け入れ国では自国民によって補充できない仕事を外国人労働者が埋め合わせ、送り出し国では余剰となっている労働者が国外で仕事を得ることが、ポジティブな効果とみられている。例えば、英国・ロンドンの金融街シティーの発展において高度技能外国人労働者を受け入れてきたことは「ウィンブルドン現象」として有名なところである。他方、2004年EU加盟時点で失業率が19.1%であったポーランドは、EU加盟後の経済成長もあって、2015年には7.5%と著しい改善を見せている。しかし、この間の移出民増もあって労働力人口が2,666万人から2,643万人へと絶対的に減少していることも、失業率改善に寄与していたことを見落とすべきではない。その意味で、国際労働力移動は、マーシャルが示唆した長期の労働力需給調整期間を圧縮するものである。さらに、送り出し国にとっては、在外労働者送金の受け取りという労働力とは反対方向で資金の流れが生まれる。実際、中東欧諸国は2015年に110億ユーロの送金を受け取っている。

話がここで終われば、外国人労働者がEUの基本理念に緊張を強いることはない。だが、現実には労働力移動はネガティブな効果ももたらしている。受け入れ国の未熟練労働者にとって外国人労働者の流入は、賃金への抑制・低下効果をもたらす。イングランド銀行の研究によれば、未熟練サービス労働者のみが賃金低下の影響を受けている。スミスの危惧が、特定の弱者にしわ寄せされる形で現実化しているのである。もちろん、未熟練労働者の賃金低下は、雇用主にとってはより大きな利潤を、そうしたサービス提供を受ける消費者にとっては実質所得の改善を意味する。しかし、このことは国内における経済格差を拡大し、社会的不安定性を高める要因ともなる。

同時に、受け入れられた外国人労働者自身の状況についても考えなければならない。EUによる外国人の社会的統合に関する調査は、彼らの厳しい状況を物語っている。表1から明らかなように、外国人の貧困率は受け入れ国民よりも高く、これは主に彼らの労働条件に起因している。というのも、外国人労働者の就業内容は期限付き雇用やパートタイマーといった非正規雇用の割合が受け入れ国民よりも高く、外国人の失業率も受け入れ国民より高くなっているからである。さらに、外国人労働者は自らが有する学歴以下の資格でも就労できる職に就く(就かざるを得ない)「過剰資格」の傾向が高いことも確認されている。まさしく、スミス、ポラニーの心配が、受け入れ国において現実化してきており、社会への不満やテロに走る前提条件を醸成してきているといえよう。

表1 在留外国人の社会的統合(2013年)

表1 在留外国人の社会的統合(2013年)

 2009年データ

出所:Eurostatの資料を基に筆者作成

他方、外国人労働者の送り出し国においても深刻な課題が生じている。マーシャルが指摘するように、労働者の教育育成は、国家的かつ長期的な課題であり、莫大(ばくだい)な資金を必要とする。しかし、国際労働力移動は、そうした資金を送り出し国の負担によって賄い、その利益を受け入れ国が享受することを意味する。能力の高い技術者や技能労働者であれば「頭脳流出」として非難される現象であり、送り出し国の成長力を掘り崩すことにもなる。確かに、外国からの労働者送金があるにしても、それは本国に残した家族へのものであり、かろうじて生計費を賄うだけである。そのため、同じ外国からの資金流入であっても、直接投資受入のように当該国の生産力拡大に寄与する度合いは低い。しかも、外国で働く労働者が家族を呼び寄せれば、そうした送金すらも途絶えることになる。
実際、ポーランドやルーマニアなどでは送金受取額の停滞が見られる。より深刻な問題として、国外に職を求める人々は若年層が多い傾向にあり、そのことが送り出し国の人口動態に大きな下方圧力をかけることになる。事実、中東欧の新規EU加盟国では既に絶対的な人口減少が始まっている国もあり、受け入れ側である旧加盟国よりも高齢化と人口減少が急速に進行している。これらの問題は、送り出し国の問題であるだけでなく、受け入れ国との格差構造を固定化しかねない。

6. EUと加盟国の共通の課題

設立当初から、EUは「労働力の自由移動」を基本理念の一つとしてはいたが、そのための枠組みが十分に活用される条件の整備は、21世紀に入ってからであった。確かに、EU域内で自国を離れ、他のEU加盟国に移動する人は過去10年間で大きく増えてきた。しかし、受け入れ国では社会的統合が遅れ、送り出し国では頭脳・人口流出が問題となっている。これらの問題のために、EUは国際労働力移動を経済成長に活用することができず、むしろ労働力移動を生み出す格差構造を固定化する危険性を増幅することになってしまった。

この問題は、EUだけでは解決できない。なぜなら、この20年間に経済自由主義へ傾倒してきたEUは、GDP比率1%程度の財政しか持たず、問題解決のための知的・経済的資源を欠いているからである。今一度、労働力市場における人の弱さを考慮した政策の枠組みを再構築することが、EUと加盟国の共通の課題となっている。つまり、EU加盟国が連帯してこの課題に取り組まない限り、EUの理念と存在は危機にさらされ続けることになるであろう。完全な市場統合とユーロ導入にまい進する過程で忘れ去られたかに見える社会的ヨーロッパ(Social Europe)について、あらためて考えてみる時が来ているのかもしれない。

参考文献:安藤研一「「ヒトの自由移動」とEU統合理念の動揺」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』第1014号、2017年

[執筆者]安藤 研一(静岡大学人文社会科学部経済学科教授)

※この記事は、この記事は、2017年3月8日付けで三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。


Comments are closed.

Back to Top ↑