対ロシア経済制裁は効いたのか?-久保庭 眞彰

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概要

ウクライナ危機を契機に導入された経済制裁がロシアの経済低迷を招いているという言説がある。だが、ロシア経済低迷の主因は油価下落であり、金融制裁も、ルーブル下落の影響も小さくビジネス環境も改善しており、今のところ制裁に目に見える効果は見られない。しかし世界経済との関連の中で近代化を図るという点から見ると、北大西洋条約機構(NATO)と軍事的に対峙(たいじ)している状況が続くことは望ましくない。

1. はじめに

国際的了解のないままなし崩し的に強行された、ロシアのクリミア自治共和国・セバストポリ特別市編入(2014年3月18日)に対抗するために、米欧諸国や国際機関はロシアに対して経済制裁を実施してきた。1994年12月5日にブダペストで開催された欧州安全保障協力機構(CSCE)の首脳会議で締結された「ブダペスト覚書」では、ウクライナの核兵器放棄と引き換えに、調印当事者である米国、英国、ロシア政府はウクライナの領土一体性に対して、軍事力を行使しないことを保障するという義務が課されていた。ロシアのクリミア併合は明らかにこの約束に反している。

米国の対ロシア経済制裁は、米国企業によるロシアの主要金融機関とエネルギーメジャーへの与信制限とエネルギー新技術供与停止を中心とする一連の措置からなる。欧州連合(EU)もこれに追随している。2014年7月16日の経済制裁当初から、2017年8月2日の新規経済制裁に至っている。新規経済制裁は、与信期間の短縮(金融機関は1カ月から2週間へ、エネルギー企業は3カ月から2カ月へと短縮)と対象企業の4社から10社への拡張を図っている。

また経済制裁には、巨大軍事企業ロステクへの1カ月以上の与信禁止や石油・ガスパイプライン向け与信制限(1件当たり100万ドル超ないし年間500万ドル超の与信禁止)・機材供与禁止、さらにシェールオイル向け機材供与禁止やロシア国営企業の民営化への参加制限も含まれている。パイプライン与信や民営化参加制限には、米国企業だけでなく外国企業も対象となっている。経済制裁解除も米議会の承認やロシア政府による「ミンスクⅡ」履行措置証明の提出義務を条件とするなど強化されている。一方、旧ソ連共和国内ロシア人の擁護を大義とするクリミア併合をプーチン政権が放棄することは、ロシア世論の圧倒的なクリミア併合支持から見ても、当面あり得ない政治状況である。そのため、米国の対ロシア経済制裁の長期化は避け難いといえよう。

経済制裁のロシア経済への影響はどの程度であろうか。米国の経済制裁は当然のことながら、ロシアの中枢企業を対象としている。対象中枢企業は、与信から見て、ロシアの超優良企業である。超優良企業は、制裁制約条件が加わるとはいえ、これまでもボーダーレスな金融連鎖関係やサプライチェーンを利用して活動してきたので、大きな影響を受けるとは考え難い。米国の経済制裁には、米国企業だけでなく外国企業も対象とされているが「大統領が同盟国との調整の上で発動決定」というただし書きがある。EUや中国の同調を得にくい項目であるため外国企業には大きく及ばないと見るのが妥当であろう。
新規の民営化参加制限も「ロシア政府当局とその関係者に不当な利益を与える場合」という直ちに判定困難なただし書きがあるので、実効性はないと思われる(そもそも大規模民営化は現在のロシアの関心事ではない)。シェールオイルプロジェクト参加制限も第三国や第三国経由で切り抜けられるので、ダメージを多少なりとも受けるのは米国企業本社だけだと考える向きもある。

2. 経済制裁のロシア経済へのマクロ的影響

図1に見られるように、経済制裁の効果の観測を難しくしている要因は、経済制裁開始のすぐ後の2014年の第4四半期から、油価の大幅下落が生じたことに大きく起因している。ロシア経済成長は、油価の動向に大きく依存する。油価下落により、2014年末から成長率大幅減速が生じたのであり、経済制裁の影響とはいえない。ロシアでは長期的に見て、10%の油価上昇(下落)は約2%の国内総生産(GDP)成長率上昇(下落)をもたらす。ところが、図1の直近期間については10%の油価下落は約0.5%のGDP成長率下落をもたらすにすぎない。製造業生産についても同様である。従って、経済制裁と油価下落の下で何らかの要因が成長率の一層の下落に歯止めをかけているのではないかという疑問が生じる。

図1 ロシアのGDP成長率と原油価格

図1 ロシアのGDP成長率と原油価格

出所:ロシア国家統計局、国際通貨基金(IMF)、筆者によるGDP季節調整を基に筆者作成

ロシア国家統計局の最近のデータによると、油価下落の対抗要因は軍事産業(自動車以外の輸送機械、武器・弾薬、核処理)ということになる。軍事品の付加価値は、GDP全体の1%以上、製造業の付加価値全体の10%を上回るようになっている。その成長率は、GDP全体の成長率が0.7%に減速した2014年には7.8%、GDPマイナス成長に陥った2015年も5.4%の高成長率を示した。2016年は減速したとはいえ、GDP成長率マイナス0.2%の中で、軍事品の成長率は1.3%を顕示して全体の成長率低下に歯止めをかけている。

筆者作成の図2と図3によると、ロシアにおける軍事品部門のGDP成長率寄与度は、2014年は10%水準に達している。同部門の製造業成長率寄与度は、2014年は80%以上にも上っている。軍事産業は、毎年200億ドル以上を輸出している(総輸出額の4%弱、GDPの1%強程度)。軍事品輸出を独占しているのが、国家コーポレーション・ロステクに属するロスオボロンエクスポルトであり、制裁対象になっている。しかし、輸出先がインドや中国などの米国非同盟国なので制裁対象外である。

図2 ロシアにおける軍事産業のGDP成長率寄与率

図2 ロシアにおける軍事産業のGDP成長率寄与率

出所:ロシア国家統計局を基に筆者作成

図3 ロシアにおける軍事産業の製造業成長率寄与率

図3 ロシアにおける軍事産業の製造業成長率寄与率

出所:ロシア国家統計局を基に筆者作成

ロシアの企業と消費者への影響の大きい、ルーブルの対ドル為替レートと油価の動向についてはどうであろうか。直近の2014年から2017年までをサンプルとする回帰分析によると、ルーブル価値(対ドル為替レートの逆数:ドル/ルーブル)は油価10%下落により6.8%下落する。回帰の当てはまりも優れている(自由度修正済み決定係数は0.96)。従って、為替レート下落に影響したのは、油価下落がほとんどで、経済制裁の影響は見られない。為替レートについては、油価変動を相殺するような対抗要因は観察されない。

経済制裁はロシアのビジネス環境指標にどのような影響を与えているのであろうか。代表的指標である世界銀行のEase of Doing Business(EDB)指標について見ておこう。

2012年にプーチン大統領は2018年までにロシアのEDB指標ランクを20位にまで高めるという目標を設定した。実際、2014年のEDB指標ランクは189カ国・地域中62位で2013年の92位から30位も引き上げられた。2015年はさらに36位にまで急上昇した。2016年は上昇の勢いが止まり、若干下げて190カ国・地域中40位につけた(米国8位、日本34位、中国78位、ウクライナ80位)。2015年の状況から見ると、経済制裁はロシア大都市におけるビジネス起業環境に全く影響していないことになる。2016年のランク下落はロシア内部の規制とコストによるので、経済制裁とは無縁である。

3.結び

以上に見たように、今のところロシアに対する経済制裁は目に見える形では作用していない。もともと超優良銀行・企業とそれら主導の優良プロジェクトに関する経済制裁なので、特定の個人を狙った制裁はともかくとして、経済分野別の経済制裁は有効性が初めから疑わしいものがあった。欧州がロシアからの石油・ガス輸入禁止措置を取れば経済制裁は実効性を持つが、それはEUなどの自殺行為ともなるので、冷戦時代にもなかったことである。返済の確実な超優良企業へのファイナンス禁止措置は、米欧日の政府系ならびに民間の金融機関・企業(特に国際協力銀行(JBIC))にとっても利益はない。

問題は、ロシアが北大西洋条約機構(NATO)と対峙(たいじ)する軍事的プレゼンスを求めていることである。1990年代のロシアは、旧ソ連から継承した対外債務のため、米国、国際通貨基金(IMF)に押さえ込まれてきた。そして、域内のインフレ・財政赤字や分離独立の問題で手一杯で、クリミアのことは意識されていたが、米国との協調体制下にあったためひとまず棚上げされた。また、対ウクライナについても米ロ協調路線で誘導政策を進め、核の行使を管理できないウクライナの核廃絶を実行した。

2000年代に入って油価の持続的上昇という天恵と域内引き締めの影響によって、対外債務削減・軍事生産近代化・域内統一という一連の難題をクリアすることができた。遅れていたサイバー戦の備えもでき上がりつつある。ここで、プーチン大統領は一層の民主化・開放化ではなく、NATOと対峙するロシア核大国の軍事的プレゼンスの確保に走った。NATOと対峙しなければ、ウクライナのEUへの接近の妨害やクリミア黒海艦隊へのてこ入れも不必要であろう。

近隣外国の同胞支援を訴えれば、ロシア民族主義が一挙に盛り上がることはプーチン大統領によって明確に自覚されている。第2次世界大戦の対ドイツ苦境下で最後にスターリンがロシア国民に懇願したのも「ロシア死守」ということで「社会主義死守」ではなかったのである。この強固な解き難いロシア民族主義の伝統にプーチン大統領は守られていると同時に縛られている。しかしロシアにとって、対欧米で軍事的プレゼンスを強化することは、新たなグローバルバリューチェーンの構築を伴う経済の近代化において長期的な制約となる可能性があり、望ましくないだろう。

[執筆者]池久保庭 眞彰(一橋大学名誉教授)

※この記事は、2017年11月9日付けで三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。


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