
概要
ハンガリー国立銀行(MNB)は、中東欧証券取引所グループ(CEESEG)からブダペスト証券取引所(BSE)の経営権を握るべく過半の株式を買い取った。しかし、IT化の進展とともにリスクの多い不透明な分野に投入するリスクマネーが必要になる。この再国有化の成否が注目されている。
2015年11月20日ハンガリーの中央銀行であるハンガリー国立銀行(MNB)は、中東欧証券取引所グループ(CEESEG)からブダペスト証券取引所(BSE)の経営権を握るべく過半の株式を買い取った。中小企業の育成や新規上場が進まず、証券市場の規模も拡大しないことに業を煮やしたMNBは異例の措置に踏み切った。証券取引所運営は中央銀行の金融政策の円滑な遂行や中央銀行の独立性と反する点もある。しかし、IT化の進展とともにリスクの多い不透明な分野に投入するリスクマネーが必要になる。これには間接金融よりも直接金融の発展を促す必要がある。MNBによるBSEの経営権取得、いわば再国有化の行方はハンガリー経済のキーを握る面もあり、成否が注目されている。
1.証券取引所買収への経緯
ハンガリーは体制移行後、近隣の体制移行国の中では以前より先進的であったことを生かして1990年代に外国資本を引き付け、資本不足を補い、投資主導の経済成長を遂げた。その後、近隣国のキャッチアップなどもあったが、IT危機後の米国の金融緩和や欧州連合(EU)の拡大、新興国の台頭などによる2000年代の世界景気の好況にも救われてきた。1998年に成立した第1次オルバン政権の最低賃金の引き上げや、公務員給与引き上げ、家族重視の政策が消費、住宅投資を喚起し、2000年代初頭に消費が経済を引っ張り、その後も住宅投資ブームとなった。しかし、民族主義的傾向への反発もあり、2002年の総選挙では社会党が勝ち、自由民主連盟との連立でメジェシ内閣が成立した。その後、その助言者であったジュルチャーニ氏による政権(2006~2009年)と社会党中心の政権が続いた。
2004年から2007年の世界経済は「大いなる安定」の中にあり、ハンガリーでは金利が低いスイスフラン建てローンがブームとなった。住宅ローンに加え消費の好調を背景に自動車ローン、個人ローンでも外貨建てローンが伸びた。2008年9月のリーマンショックの際には、世界的な資金引き揚げの中でショックが広がり、2008年10月には国際通貨基金(IMF)の緊急融資(スタンドバイ取り決め(SBA))を要請するに至った。同年11月に承認されたが、同時期にウクライナ、ラトビア、半年後にルーマニアなども救済を受けるに至った。
2009年3月にはジュルチャーニ政権が崩壊し、バイナイによる危機管理内閣を経て、2010年4月の総選挙ではフィデス・ハンガリー市民同盟(以下、フィデス)が8年ぶりに政権を奪取し、前述の1998年から2002年まで首相を務めたオルバン元首相が返り咲いた。その後、選挙制度の変更、野党となった社会党の分裂、台頭した極右勢力のヨッビクも支持層が広がらず、2014年、2018年の総選挙も制する長期政権となった。
オルバン新政権は付加価値税増税や銀行税、外貨建てローンの一括返済を認めるなどの政策を実施した。政策発動余地のある金融政策ならびに金融当局への圧力は強まった。2011年には新政権の任命した4人の新任委員が政策委員会に入り、総裁、副総裁から成る執行部が投票の際に少数派となることもあった。さらに金融監督庁(FSA)が持っていた金融監督機能をFSAごと中央銀行に移管するなど、中央銀行の政治との関係が深くなっていった
2013年3月にはシモル総裁の任期満了に伴い、オルバン首相側近のマトルチ経済相が中央銀行総裁となった。マトルチ総裁は就任後すぐに大規模な緩和措置である成長のための資金供給スキーム(FGS)、(1)中小企業向け貸し出しを行う銀行に低利で中央銀行の資金を提供(2)中小企業の外貨建て融資をフォリント建てに返還する金融機関への低利融資(3)国の短期対外債務の削減、を打ち出した。当初、総額5,000億フォリントで始まった規模も翌月4月には7,500億フォリント、2014年9月には総額1兆フォリントと拡大した。また対象もリース目的や農業従事者、省エネ建築などへと広がっていった。さらに2015年3月には「FGS+」が発表され、中央銀行が民間銀行の潜在的な貸し倒れ損失の半分を保証するとされた。
こうした非伝統的金融政策は、バランスシートの拡大の過程で何らかの資産を増やすと同時に負債側でマネタリーベースが増加する。一方で、銀行仲介機能の低下などから信用乗数が低下し、マネーサプライ(マネーストック)が伸びないなど、将来的に国債保有削減といった中央銀行の資産と両建てでマネタリーベースを減らす過程の難しさに比して割に合わない点がある。
FGSが始まった後もハンガリーの株式市場は揚力を欠いていた。大型株がさえない中で中小企業向けの緩和措置の中で新規株式公開(IPO)も増加しなかった。銀行貸し出しはどうしても景気後退期に資金供与に慎重になる。中小企業が、自由にIPOができれば銀行貸し出しを補完することができる。FGSにおいて外貨建てで借りていた中小企業は確かに救済された。しかし、もともとハンガリーの伝統的な中小企業群は進出してくる外国大企業とのビジネスでのマッチングで不具合な部分があり、競争力に資するものであったかは分からない。ハイテクのベンチャー企業など社歴の浅いハイリスクの主体への資金供給が求められていた。そうした中で冒頭のMNBのBSEへの合併・買収(M&A)がなされ、欧州のみならず、世界を驚かせた。
2.証券取引所の買収
1990年に体制移行により再開されたハンガリー証券取引所においては、民営化された旧貯蓄銀行(OTP)やハンガリー石油ガス会社(MOL)、マジャールテレコムらが上場し、いち早く資本主義体制を整え、先進各国の投資を呼び込んだ。
BSEの代表的な株式指数のブダペスト証券取引所指数(BUX)は大企業を中心に構成されているが、時価総額1,250億フォリント以下の中小型銘柄のインデックスであるBUMIXも2004年1月から作成されている。いずれも流通時価総額ベースで加重平均して作成される指数で、BUXが1991年1月2日を、BUMIXは2004年1月5日を1,000として作成されている。
1990年代後半から2000年にかけて株価は上昇し、BUXは1万の大台に乗った。第1次オルバン政権の前半は資本流入効果で上昇したものの、後半は資本流入の一巡化で株価も下落した。現在の政権にとり、こうした経験も忘れられないものになっている可能性がある。
2008年のリーマンショックとそれに続く金融危機では大きなダメージを受け、BSEは極端な下落と流動性不足に陥り、2010年にCEESEGに入った。このことはBSEの信用補完に役立ち、一定の投資家を確保するのに寄与した。
2015年11月にMNBは68.8%の株式を買い取り、BSEの大株主となり経営権を握った。買収後すぐに新たな中期計画(2016~2020年)が示され量的、質的な拡大を目指した。
3.買収前後のBSE
(出所)世界銀行
買収前後の上場企業数を見ると、買収効果は大きくは顕在化していない。全体としてはIPOも株式取引量も低水準である。それでも2015年に比べ2016年の日次取引量は7%、日額92億フォリント増加した。経済の回復の中で株価は上昇に転じ、時価総額も回復しているが、さらなる流動性の創出が課題である。
上場企業数を増やすには新興市場で上部市場に移ることのできる企業を育てなければならず、相談業務も強めている。2017年にBSEが発表したペーパーでは50社ほどをリストアップし、IPOを促すことを示している。現在でも前述のOTP(1949年設立)、MOL(1991年設立)、マジャールテレコム(1991年設立)に加えて製薬会社のリヒター・ゲデオン(1901年設立)の伝統企業4社でBUXのウエートの約9割を占め、新興勢力の台頭が待たれている。
BUX、BUMIX共にハンガリーにおける金融緩和と景気回復、世界的な量的緩和にも恵まれて、買収後上昇した。特に2017年のBUMIXの急上昇には、BSEの諸施策が影響しているとも見える。
(出所)CEIC
現在のBSEの議長兼最高経営責任者(CEO)のヴェーグ氏は2004年から2013年までBSEでさまざまなポジションに就いて働いた後に、2013年から2015年にMNBで資本市場監督部署の部長として勤務、BSEの買収がなされるとボードメンバーとして復帰した。
3.EU、欧州中央銀行(ECB)への離反の観点
MNBのBSE買収は欧州の資本市場の不均一性につながり、資本市場統合、資本市場同盟からは遠ざかるものである。欧州金融危機では国家レベルでの債務危機と銀行の信用危機が相まって危機が進んだ。格付け機関が銀行の信用格付けを引き下げると、資本注入などで救済した国のソブリン債の長期信用格付けが引き下げられる。逆にソブリン債の長期信用格付けが引き下げられるとその国債を多く保有している国の銀行のバランスシートが悪化し、信用格付けが引き下げられる。国別の監督機関では十分に対応できなかった。
また個別の国による救済がソブリン債に与える影響も絶たなければいけなかった。そのため、金融同盟を進める必要があり、銀行同盟を進めていくとともに資本市場同盟が議論された。資本市場同盟は銀行同盟を強化するもので金融同盟や金融統合を深化させるものである。特に監督を一元化するようなものではなく、投資を促進することでそのような効果を期待する。そのためにも域内のルール統一などを図る必要があった。金融同盟の中で間接金融主導の欧州金融を直接金融も融合したものに変える。そのためには銀行同盟だけでは不十分で、資本市場同盟を完遂する必要があった。
大陸欧州では預貸率が高く、負債に占める短期性の市場性資金の比率は高かった。そのために、一度短期金融市場が混乱すると流動性を欠くという傾向があった。円滑な企業の資金調達を可能にして競争力のある市場にするためには、資本市場の安定が必要であった。しかし、資本市場が安定するための十分な規模は各国の資本市場にはなかった。国内総生産(GDP)比で見ても、欧州は米国に大きく劣後していた。
長年、ハンガリーはインフレ率や財政でマーストリヒト基準を満たせなかった。増税や私的年金の改革などでようやく財政基準を満たした。なお為替の安定を犠牲にしても金融政策の独自性を守りたいという理由もあり、当初は2008年にも導入したいとしていたユーロを導入せず、徐々に先送りし、現在のアジェンダでも導入時期を明示していない。それどころか、オルバン政権下で改正した憲法のArticle Kでは公式通貨はフォリントであることが明記されている。
危機時には金融緩和、自国通貨であるフォリント安、輸出増加というルートがワークすることから、積極的にユーロを導入する機運にない。実際に2009年に急減した輸出はフォリント安の中で2010年以降回復し、2014年には2008年の水準を上回った。ユーロ非参加国は欧州中央銀行制度(ESCB)の特別な地位を有しており、MNB総裁も政策理事会のメンバーではないが、一般理事会のメンバーである。EU加盟国には法的かつ人的、業務運営などさまざまな側面での中央銀行の独立性が担保されることになっており、MNBの現状はその幾つかの点に抵触しかねない状況になっている。そのためECBも警戒を強めている。
ECBは2014年の年次報告でMNBが財政ファイナンスを行わないか継続的に見ていく旨を表明し、警戒感を示した。加えて、2015年の年次報告で中央銀行の資源を経済政策の目標達成に使わないようにさらに警戒感を示した。2017年の年次報告でもMNBのBSE買収の意味するものをモニターしていく旨、さらに示した。
4.おわりに
MNBはベンチャー企業のファイナンスのためには預金を主な原資とする銀行貸し出しを促す金融措置を取ってきたが、大胆な金融緩和措置を取ったことは逆に銀行貸し出し促進型の政策の限界を中央銀行が自覚する契機にもなった。証券市場の関与の下地は大胆な金融緩和にあったともいえよう。ベンチャー育成にはリスクマネーを呼び込む証券投資が必要とされる。その証券投資には証券取引所の果たす役割が大きい。大国の証券取引所の傘下に入る証券取引所が多い中で、MNBが筆頭株主として運営するBSEの取り組みは、証券取引を活性化する一つのモデルとして注視されるであろう。しかし、この試みもEUの各種同盟やECB、中央銀行の独立性との関係の問題を抱え、流動性も低迷している。早期に活性化を図り、諸環境と整合的な戦略を取る必要があろう。
[執筆者]高橋 智彦(拓殖大学政経学部教授)
(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2019年2月13日付で掲載されたものです)
ユーラシア研究所レポート ISSN 2435-3205