110.ワイン産業から見た、ロシアでのモノづくりの難しさ-菅原信夫

ロシア国旗

概要

ソ連崩壊後、多くの産業が消滅し、ソ連型のワイン産業も消滅しました。生き残った古くからのワイン工場はあるものの、実際には西側の技術と民間による投資で、まったく新しいワイン企業に生まれ変わりました。しかし、西欧の専門家を雇用しても、その知識の受け皿となる人材育成が欠けていること、国内流通の未整備に加え高コストであることなどの課題が残されています。
1991年のソ連崩壊からすでに28年もの時間が経過しました。その間ロシアは、世界に追いつき、そして追い越すべく、産業の各分野で投資と先進技術の導入が行われました。それなりの結果が出た分野もあれば、残念ながら産業そのものが消滅してしまった分野もあります

大きな進歩を示したのは、食品産業、小売業、住宅産業、エンターテインメント・旅行産業、スポーツ・医療、飲食業などです。一方、ソ連崩壊時点で、彼らの技術水準が西側とはあまりに差がありすぎて投資そのものを諦め、工場を西側企業に売り渡してロシア企業が消滅した産業もあります。それは、完全に消滅したテレビや家電製品の製造業であり、一部が海外企業に買収されることで形だけは残っている自動車産業、民間航空機産業などです。実は今回のテーマであるワイン産業も、実際のところソ連型は消滅しています。生き残った古くからのワイン工場はあるものの、西側の技術と民間による投資で、まったく新しいワイン企業に生まれ変わったものなのです。

それでは、ソ連型のワイン産業がなぜ消滅したか、という観点から見ていきたいと思います。1980年ごろの統計を見ると、ソ連のワイン生産高はイタリア、フランス、スペインに次ぐ世界第4位でした。そのソ連産ワインの生産地は、ウクライナを筆頭に、モルドバ、グルジア(現・ジョージア)という南部にあるソ連に属する共和国でした。モスクワや当時のレニングラードといった大都市のあるロシア共和国には、グルジア産ワインが大量に輸送され、販売消費されていました。

もう少し詳しくいえば、大変人気のあったグルジア産の「ツィナンダリ」という白ワインの場合、グルジアからロシアまではバルクで輸送され、それを大量消費都市圏にある酒造工場でボトリングされ、市場に出回るのです。ボトルのバックラベルを見ると、製造国こそグルジア共和国と書かれているものの、製造者は異なる都市の異なる工場名が書かれていました。1991年のソ連崩壊により、ソ連産ワインというカテゴリそのものがなくなり、それぞれの共和国が自国産ワインとして製造販売するようになっています。

在、ロシア産ワインとしては、黒海沿岸、ドン川流域、クリミア半島の3カ所が産地として有名ですが、クリミア半島のワインは2014年まではウクライナ産ワインとされていたものです。特に超熟型ワインで有名なマサンドラワイナリーの熟成庫の在庫を巡り、ロシアとウクライナが所有権争いをしたのは、昨日のことのようです。

酒類の流通を担当していた国営企業が軒並み倒産した影響で、ロシアには雨後のたけのこのように民間資本による酒類輸入卸業者が誕生し、彼らは安い外国産ワインを大量に購入するようになります。この結果、ロシア産ワインは競争に負ける形で一度は市場から淘汰されていきます。この時期、1993年から2000年あたりまでが、ロシア産ワインの不運期といえると思います。

ところが2000年を過ぎると、再びロシア産ワインが市場にゆっくりとしたテンポで戻ってきます。ソ連崩壊後、市場に流通した輸入ワインは、フランス産、イタリア産、チリ産、南ア産などで、それも価格の安いものでした。原料のブドウ品種は、赤ワインならカベルネ・ソービニオン、メルロー、白ワインならシャルドネ、リースリングといったインターナショナルバラエタルというカテゴリに入るブドウで、世界で広く栽培されている種類です。

ロシア人のワインに対する味覚もソ連型ワインのような水っぽく、やたら甘いワインから、しっかりとしたボディと酸味のあるワイン、そんな世界基準に近づいてきています。そうするとロシアでもこれらのインターナショナルバラエタル種のブドウを栽培し、欧州の技術でワインを生産しようとする企業投資家が出てきたりします。これが新時代のロシアワインのスタートであり、ロシア経済が爆発的な成長を始める2000年初めと重なります。

まとめると、ロシアワインの成長の背景には、ロシア人のワインに対する嗜(し)好の変化、国際標準種のブドウの導入、ワイン先進国のフランス、イタリアからのワイン製造技術と機材の導入があります。そして何よりも大きいのは、ロシア経済の拡大とワイン投資家の出現にあるといえるでしょう。これらの新しい要素は、ロシアにまったく新しいワイン産業の種を植え付けたといえます。

筆者はこのようなロシアワイン産業の変化を、ある一つのワイナリーを見続ける定点観測で感じてきました。

筆者が黒海沿岸の町アナパ近郊にあるワイナリー<Chateau Le Grand Vostock>を初めて訪ねたのは、2009年6月でした。このワイナリーは、2003年にサンクトペテルブルクの投資家グループが提供した資本を元に、フランス人の醸造責任者とフランスから輸入したブドウの苗木、フランス製の機材をそろえました。そしてやはり、フランスの著名ワイナリー設計者フィリップ・マゼール氏による醸造所をセットとして、オールフランス型ワイナリーをスタートしました。従って、筆者が訪問した時は開業から6年目に入った時期で、すでに自社ブドウ園で収穫された果実による醸造が商業ベースで始まってから2年が経過していました(ちなみに、ブドウ樹木が4年齢に満たない幼木のうちは、原料ワインをフランスから輸入してボトリングしていたそうです)。

このワイナリー<Chateau Le Grand Vostock>で、当時ワイン醸造責任者であったフランス人フランク・デュセナー氏にインタビューをすると、ロシアでのモノづくりの難しさ、ロシア人の考え方がいかにモノづくりに合っていないか、などが感じられたのですが、そこでの気づきを2、3明記しておきたいと思います。

1)外国人をワイナリー責任者に迎えながら、明確な形で自国人No.2を置かない体制
一般にワイナリーでは、ブドウ果樹園責任者とワイン醸造責任者をそれぞれ分けています。その理由は、ブドウ園管理は通年を通した仕事になるのに比べ、ワインの醸造はブドウが収穫されてから、醸造過程を終えるまでの6~7カ月の仕事だからです。従って、ブドウ園管理者は年間契約で住み込み、ブドウ園を管理するのに対して、ワイン醸造者は通いでの勤務が可能。著名なスター醸造家ともなると、年間数回の訪問で、とてつもない契約料を要求するため、新興ワイナリーには大きな負担となります。以上が欧州スタイルのワイナリーの普通の姿です。

ところが、このロシア南部の新興ワイナリーの場合、フランス人醸造家のフランク・デュセナー氏は2003年の赴任当初から家族帯同、年間居住を条件として、契約を交わしたそうです。筆者が訪問した2009年では、すでに6年間、この土地に居住しながらワイン作りを夫妻でやっているということでした。

こういうフランス人の醸造家がロシアにいるということ自体珍しいのですが、お二人は息子さんのサミュエル君を村の幼稚園に通わせながら生活していました。

ワイナリーのNo.2であるサローキン氏と話をしたところ、彼はサンクトペテルブルクから送り込まれた財務責任者で、ワイン専門家ではありませんでした。なぜなら、デュセナー氏がブドウ園とワイン醸造についてはすべて自分でやるため、ワイン専門家は彼1人で十分と親会社が判断、財務面での面倒をみるために数字に明るいロシア人専門家が送り込まれたというわけです。彼の前職を聞くと、宇宙空間での推力となるイオンプラズマの研究者で、ワインとはまったく無縁。いくらデュセナー氏と仕事を共にしても、ワイン作りのイロハを学ぶことは難しいでしょう。

この国の産業史を見ると、このような考え方がソ連成立前のロシア帝国時代から根強くあります。専門家を西欧から雇うも、その知識を伝授する受け皿の組織や人を養成しないため、お雇いの外国人が去ると、その知識と体験は霧消します。ロシア政府や投資家は、お雇い外国人の契約期間が終了すれば、また新しい外国人と契約し、事業を継続することが当たり前と思っています。しかし特にワイン作りなど、専門家ごとに考え方の異なる事業では、ワイン作りのポリシーが変わることはワインの性格の変更につながります。これは、事業の継続性の点からも、またマーケティング上からも最悪の考え方です。

大変悲しいことですが、現在のロシアの国営企業を見ていても、トップが去るとNo.2を昇格させずに、まったく別の企業から次のトップを連れてくる、ということをロシア政府自身も平気でよく行っているようです。組織はその度に大きな変更を余儀なくされ、それは事業の継続性という面でマイナス要素になっています。

ロシアの中小企業の場合は、創業者社長が去ると、企業は急速に力を失うのが一般的な傾向です。これを避けるため、創業者社長はまだ50歳台で会長に退き、実務を20歳台の息子に譲ったりするケースが多く見られます。筆者もモスクワ大学ビジネススクールで講義をする際に、学生の身の上を質問することがあります。グループのうち何名か、父親が創業した会社ですでに社長になっている、という学生がいて、企業の血縁継承の現実を見せられたものです。

2)国内流通の未整備と販売コスト高
筆者が<Chateau Le Grand Vostock>を初めて訪問した2009年には、モスクワでこのワイナリーの製品を販売している酒販店は皆無、ワイナリーの親会社である「アブローラ」が細々とレストランに卸売をしている状態でした。

そのころ、整備が進みつつあった高級スーパーマーケットチェーンでは、食材の多くが輸入品で、国内で大量に生産されているジャガイモでさえ、イスラエルからの輸入品が店頭に並んでいるのを見て、不思議に思いました。その後、その理由をスーパーの経営者に聞くことができたのですが、個体のサイズをそろえて、網目のビニール袋に定量で詰めることが当時の国内パッカーでは手に負えず、代わりにそれをスーパーが店頭で行うよりは、パックされた商品を輸入する方が手っ取り早いから、ということでした。

在でも、スーパーでの野菜類の多くは客が自分で袋に入れて計量し、単位価格だけ入力されているプリンターから料金ラベルを打ち出し、ポリ袋に貼ってキャッシャーに並ぶ、というセルフサービスが広く行われています。このあたり、小売が進歩しているといえるのか、分からない実態があります。流通のどこかに問題があるようです。
ワイナリーに話を戻すと、最終製品であるワインの販売が、流通網の未整備からモスクワでさえ見つけることが難しいという問題は、実は生産の段階から始まっているのです。まず、ブドウの苗木を専門に販売している国内業者が当時、ロシアには皆無でした。責任者のデュセナー氏は、フランスにある知り合いの業者からシャルドネをはじめ、カベルネ・ソービニオン、メルロー、リースリングといった国際種の苗木を取り寄せ、本人が黒海の港湾都市ノボロシースクまで受け取りに行っていました。

肥料や農薬などブドウ園で必要とされる物資も基本は直輸入品で、また、ワイン容器であるガラスボトルもロシアでは彼の希望に合うものはなく、イタリアから輸入、そしてラベルは自らデザインした国際性のあるものをモスクワで印刷させていました。この結果として、ワインの価格は大変高いものになり、高級品の場合、2009年当時はブドウ園にある小売店価格でさえ1,000ルーブル(当時のレートで3,000円)近くしていて、これでは買う人も稀である理由が理解できました。モスクワのスーパーには、1本400ルーブル程度で、適当なフランスワインが買えたからです。

2019年という現在における物流を見ると、西欧からの経済制裁と、その制裁に対抗するロシア側の輸入禁止令によって流通する商品の種類が減っています。また、従来、フランスやイタリアから輸入されていた食品の多くは、輸入代替品という名の下、ロシア産に置き換えられています。例えば、イタリアのモッツァレラチーズはクラスノダール産に、地中海産のレモンは、クリミア半島産に代わっている、という具合です。

国内流通が脆弱なため、輸入に頼っていた物資の供給が、今やその輸入に制限がかかり、やむなく質的に劣る国産品が発売されていく、というロシア人にはやりきれない連鎖がここには見て取れます。多くの論調では、「この輸入代替が国内生産を刺激して、やっとロシアでもまともな商品が作られるようになった」という説が聞こえますが、実際のところ、輸入が再開されれば、ロシア人が再び輸入品に飛びつくのは間違いなく、ロシアでのモノづくりの難しさを考えないわけにはいきません。

酒類の流通に携わるモスクワの卸会社と親しく仕事をさせてもらいましたが、基本的に彼らは国産酒類には興味がありません。ロシアの国酒ともいわれるウオッカでさえ、国産には目もくれず、フィンランドやポーランド、あるいはフランスやニュージーランド産などというものを輸入して広告するほどです。国産酒類を専門に扱う規模の大きな流通業者は、2019年の現在でも現れず、ロシア産酒類には厳しい状態が未だ続いています。
そんな困難な国内流通の中で、ロシアワインは遅々としてではありますが、その存在感を増しつつあります。2003年に新時代のワイナリー第1号として誕生した<Chateau Le Grand Vostock>の周辺には、すでに20ものワイナリーが生まれ、生産をしています。また、<Chateau Le Grand Vostock>でも、デュセナー氏の跡を継ぐワインメーカーの人間が2人、3人と登場し、新しい機材も導入しています。

ワイン業界では、インターナショナルバラエタルに加え、2014年の経済制裁以降、ロシアやジョージア(旧グルジア)で地ブドウと呼ばれるルカツィテリ、クラスノストップ、サペラビといった品種が人気を集めつつあります。外部との競争、内部でのリーダー交代を経て、<Chateau Le Grand Vostock>は第1号新時代ワイナリーとしての地位を守り続けることができるのか、創設20年を超える企業が少ないロシアで、ロシア産業の一つのモデルケースになれるのか、引き続き見守っていきたいと思っています。

[執筆者]菅原 信夫(有限会社スガハラアソシエーツ代表取締役)

(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2019年5月15日付で掲載されたものです)


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