121. プーチンは、何を考えていたのか? ―大統領教書から見たロシアの経済戦略(前編)石郷岡 建

ロシア国旗

概要

ロシアのプーチン大統領は、状況に柔軟に適応する現実主義者である。20年間の大統領年次教書等を見ていくとよくわかる。彼は、資源に依存しながらも脱資源の必要性を意識し、市場経済を重視しながらも国家調整の必要性を意識しながら、ソ連崩壊後の荒廃したロシアの再生を目指してきた。プーチン氏は、「独裁者」と言うような単純な人物ではないのである。

状況適応能力の高い現実主義者プーチン

今から20年前の1999年末、小柄で柔道好きで、スパイ活動をしていた男が、ロシアの権力の座の頂点についた。プーチン現大統領のことである。
ロシア権力の中枢に、20年間にわたり、座り続け、ロシアを支配し、統括し、指揮し、ソ連崩壊後のロシア国家・経済・社会を立て直し、ロシア国家再生を押し上げた人物でもある。ロシアでは圧倒的な人気を誇り、政治的に対抗できるライバルは、今のところ見当たらない。
少年時代に、第二次大戦中の対独情報活動のスパイ映画を見て、感動し、自分もスパイになると決意し、当時の治安組織の中核にあったソ連国家保安委員会(KGB)のサンクトペテルブルク(当時の町の名前は、レニングラード)支部を訪れ、「スパイになりたい」との希望を出した。面接した係官は「スパイになるのならば、大学へ行き、法律を学びなさい」と、諭したと言う。
そして、プーチン氏は、レニングラード大学の法学部を卒業し、KGBに入り、東ドイツ在住のスパイ(情報機関員)になった。しかし、ソ連崩壊という大きな波が押し寄せ、サンクトペテルブルク市役所に移り、経済改革派の市場経済主義の洗礼を受けることになる。結局、副市長から大統領府勤務へと出世し、当時のエリツィン大統領の目に留まり、後継者に指名された。
大学時代の成績は優秀で(だから、KGBに受け入れられた!)、大統領になっても、記者会見や演説などでは、抜群の記憶力を示し、メモなしに、世界経済のデータ数字を滔々と話すことができる。
大学時代の成績は優秀で(だから、KGBに受け入れられた!)、大統領になっても、記者会見や演説などでは、抜群の記憶力を示し、メモなしに、世界経済のデータ数字を滔々と話すことができる。
プーチン氏は2011年初め、地方行政府関係者を集めた会議で、突然、KGB内部ではやっていた小話をしたことがある。以下が、その内容である。
ある時、モスクワのルビャンカ(KGB本部の場所)にアメリカのスパイになった男が自首してきた。そして、KGB本部の受付で、「私はスパイです」と告白した。すると、受付は「どこのスパイですか」と尋ねた。「アメリカのスパイです」と答えると、受付は「それでは、5番の部屋に行ってください」と促した。5番の部屋に行くと、「あなたは武器を持っていますか」と聞かれた。男は、素直に「はい、持っています」と答えた。すると、「それでは、7番の部屋に行ってください」と指示された。7番の部屋に行くと、「特別な通信手段を持っていますか」と聞かれた。「はい、持っています」と答えると、「では12番の部屋です」と言われた。12番の部屋にたどり着くと、「あなたは、何か特別の課題を命ぜられていますか?」と聞かれた。「はい、受けています」と答えると、「そうなら、まず、その課題を速やかに解決してください。とにかく、私たちは忙しいんです。仕事の邪魔をしないでください」と告げられたと言う。
小話を終えたプーチン氏は、「ロシア皇帝時代からソ連社会主義時代、そして現在のロシアにいたるまで、官僚主義の腐敗が一向に解決されていない」と、集まった役人たちに説教したとされる。この小話をするプーチン大統領のYouTube映像は、現在もネットを通じて、簡単に見ることができる。
プーチン氏が、小話やユーモアが好きだということは、自らを客観的に見ることができるということで、ある意味、KGBのスパイ訓練の賜物だったかもしれない。そして、どのような事態でも、自らを変身させて、さまざまな問題に対処できるという特別な技能を持っている。つまり、多重な人格を持つ者であると考えると、わかりやすいということでもある。 逆に言うと、状況や立場によって、自らの立ち位置を自由に変えることができる現実主義者でもあるといえる。

プーチンが目指す「強靭な国家」とは

では、プーチン政権下の約20年間の経済戦略は、いったい何だったのだろうか? この問いに、一言で答えるのは難しい。さまざまな発言をするプーチン氏の考えを簡単にまとめることは難しく、そのプーチン氏が指揮するロシア戦略は何だったのかとなると、さらに、難しくなる。
そして、ソ連崩壊以後、社会主義計画経済体制から市場主義自由経済へ転換するいばらの道を歩いたロシアは、部外者には理解できない凄まじい変化と混乱を経験している。20年前、プーチン大統領が直面した問題は、壮大なもので、一言では言えないものだった。
ということで、「プーチンが何を考えたのか」という問題は簡単には説明できない。しかし、これまでに発表してきた大統領の発言を比較すれば、何か出てくるかもしれないと思い、調べてみた結果が以下のようになる。
大統領の論文、教書を読んでいくと、まず、何を話したのかというよりは、ロシアで何が起きていたのか、という変化の方が興味深く浮かびあがってくる。
その例として、プーチン氏が大統領の座につく直前に発表していた「ロシア経済発展における鉱物・原料資源」という論文がある。論文というよりは、メモ書きといった方が近いかもしれない。
冒頭に、三つの基本的な考え方が取り上げられていた。 (1)資源の潜在力がロシアの経済を決める。 (2)ロシアの国家安全保障は、資源の発展で決まる。 (3)ロシア経済の成長率は、年4~6%でなければならない。さもないと、先進国からの“遅れ”が取り戻せない。―――だった。
つまり、(1)と(2)は、「ロシアの資源は、ロシア経済と国家安全保障の将来を決める」と主張し、(3)では、国家の最終目標を、「ロシアは先進国には追いつかなければならない」と説明し、先進国の生活水準に達しないと、安定した国家にはならないと主張していたことになる。
いずれも、ロシアにとって、一番大事なことは、「強靭な国家」を作ることで、国家優先主義の世界観だったといえる。KGBスパイという安全保障重視の治安組織に育ったプーチン氏らしい考え方だったと言える。
ちなみに、欧米では、この「強靭な国家」を、「強い国家」と解釈することが多い。しかし、プーチン大統領の主張は、攻撃的な「強い」ではなく、内向きの「強靭な国家」の構築で、すぐに崩壊するような国にしてはならないということだった。

“脱資源”を目指したプーチン

実は、この三つの命題に加えて、6項目の追加説明も書かれてあった。今となると、驚くような結論も出されていた。一つは、「ロシアの資源が国家に十分な収入をもたらすことはない」。もう一つが「ロシアの資源がわが国の人々の生活水準をあげることはない」との主張だった。いずれも、「資源に誇大な期待を持ってはならない」という説明で、「ロシアの石油ガス資源によって、ロシアが豊かになることはない」と断言していたのだ。
なぜ、こんなことを主張していたのか? 今となっては不思議な話になるが、それだけ、ソ連崩壊以後のロシア経済は絶望的な混乱状況にあり、誰も、簡単に再生するとは思っていなかったとなる。
そして、もう一つの側面が、プーチン氏は、「ロシアは資源に頼ってはならない」という考え方が根底にあり、ロシアの国家目標はエネルギー大国になることではなく、豊かな技術発展の先進国型経済に追いつくことで、“脱資源・脱石油ガス戦略”が必要だという主張だった。資源は、あくまでも、経済と国家発展の手段で、目標ではないという考え方である。そして、資源経済からの脱却を一貫して叫んでいた。石油ガス資源を信用していなかったということにもなる。

油価高騰と“脱資源”の先送り

しかし、大統領に就任して、数年後、ロシアの石油生産が回復し始め、さらに、国際石油価格の高騰が始まり、どん底状態にあったロシア経済は、あっという間に息を吹き返し、経済の再生が始まることになる。
 プーチン大統領のロシアには、石油ガス輸出代金があふれるように流れ込み、びっくりするほど潤った。結果的に、誰もが、“脱資源戦略”を語らなくなり、逆に、石油ガス資源への依存が、どんどん進むことになる。プーチン大統領にとっては、大きな“誤算”だったかもしれない(図 石油価格とロシア各政権の活動期間を参照)。

図 石油価格とロシア各政権の活動期間

出所:筆者作成。

結局、“脱資源経済戦略”は、一向に進まず、技術発展の先進国型発展経済への夢は遠のいていく。そこへ、石油価格の下落という思わぬ事態がやってくる。特に、2009年と2014~2015年の2回の石油価格の暴落騒ぎは、衝撃的だった。ロシア経済にとっては、破滅的な結果を呼び入れることにもなった。
世界市場の動きに振り回される国家経済を脱するには、“脱資源”が必要だとの大統領の主張は正しかったということでもあり、なのに、あれほど大統領が“脱資源戦略”を叫んだのに、誰も努力しなかったし、今後も、先進国的経済への発展の見通しは、ほとんどないということにもなる。

[執筆者]石郷岡 建(ジャーナリスト)

(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2020年3月23日付で掲載されたものです)

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205


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