122.プーチンは、何を考えていたのか? ―大統領教書から見たロシアの経済戦略(後編)-石郷岡 建

ロシア国旗

概要

前回の記事では、プーチン大統領がソ連崩壊後のロシア再生についてどう考え、戦略を練ったかについて考察した。本稿では、大統領による論文、教書演説から見えてくるプーチン政権の国家戦略について論じる。

国家優先か市場優先か

前編では、プーチン政権の経済戦略「脱資源化」について述べたが、もう一つ大きな問題がある。それは、プーチン政権のロシアは、どのような経済を考えていたかという疑問で、「国家優先主義経済」と「市場優先主義経済」の、どちらなのかというものだ。
大統領の論文や教書では、当初は、「ロシアは2流・3流国に落ち込む危機に直面している」(1999年大統領前論文)、「国家として生き残れるのか」(2000年教書)などと悲痛な叫びを上げており、当時は、どちらの経済が目標かというような状況ではなかった。
しかし、プーチン大統領の演説から分かるのは、ソ連型社会主義計画経済の復活はあり得ず、欧米型の市場主義自由経済を求めるしかないという考え方で、「すべての人類が歩む幹線道路に出た。これ以外の道はない(1999年大統領就任前論文)、「ソ連経済の清算に迫られている」(同)という“脱社会主義”かつ“過去との決別”の立場を説明していた。
そして、対外的には、「世界経済への統合なしには、ロシア経済の発展はない」(同)、「個人の自由及び権利の尊重抜きには強靭な国家はあり得ない」(2000年教書)、「欧州志向は優先事項だ」(2002年教書)などと、欧米社会への統合を説明していた。プーチンは、自由主義民主主義者であり、市場経済信奉者だったという一部米研究者の指摘(フィオナ・ヒル氏の著書『プーチンの世界』)も間違ってはいなかったとなる。少なくとも、政権初期のプーチン大統領の考え方は、欧米型自由主義経済の思想が色濃く打ち出されていた。
プーチン大統領は、2001年の米同時多発テロ事件の際には、ブッシュ米大統領の「テロとの戦争」という叫び声に賛同し、「私はあなた方とともにある」と発言し、“米露蜜月”時代を作ることになる。背景には、欧米世界への合流という願望があった可能性が強い。

図 プーチン大統領の代表的発言と国内総生産・石油価格の推移の比較 

出所:筆者作成



出所:筆者作成

多極化の時代と東方戦略の強化

しかし、2003年のイラク戦争では、ブッシュ政権の行動に同調せず、「冷戦後に現れると思った(米国の)一極世界は来なかった」と批判。超大国・米国が世界をリードすることはなかったし、世界は混乱の時代に入ると、プーチン大統領は考えていたことになる。

その考えを、のちに示した発言が、「世界は乱気流に入っている」(2012年、大統領選挙前論文)、「従来の“力の極(米国)”は、地球規模の安定を維持する能力はなく、新しい影響力の中心(中国)は、その準備ができていない」(同)、「これから数年が決定的なものになる」(2012年教書)などである。

その考えを、のちに示した発言が、「世界は乱気流に入っている」(2012年、大統領選挙前論文)、「従来の“力の極(米国)”は、地球規模の安定を維持する能力はなく、新しい影響力の中心(中国)は、その準備ができていない」(同)、「これから数年が決定的なものになる」(2012年教書)などである。

米露関係が急速に悪化し、ロシアにとっては、大きな問題を抱えることにもなる。ロシアは、「世界秩序を乱す国」と非難され、世界市場への参入が拒否もしくは制限されるという事態となっていく。そのことを象徴的に表した事件が、2005年の教書演説だった。経済関連問題の説明が一切なかった。きちんとした理由は説明されていないが、政権内部では、市場主義自由経済派と国家主義優先経済派との対立が始まり、権力闘争や利害対立が広がり、教書演説をまとめるどころではなかった可能性が強い。そして、これ以降、市場主義自由経済派が抗争に敗れ、弱体化していくことになる。

ロシアは、世界市場への参入という希望を否定され、国家主義優先経済へと傾斜し、必然的に、ロシア経済の孤立や鎖国的な経済への収縮が始まる。その脱出策として、中国を中心としたアジア・ユーラシア統合へ動きが強まる。「東方戦略」の発動で、ロシアの西(欧州)から東(アジア)への重心移動で、2012年のプーチン政権第3期以降の論文・教書演説の話となる。

大統領教書から見たプーチン戦略の変化

大統領の論文教書を、すべてをここで説明することは不可能だが、最後に、あまり知られていない観点をまとめると、以下のようになるかもしれない。
(1)国家戦略は、年ごとに大きく変化し、目まぐるしく変わっていた。
(2)教書の根底には、国家は強靭であらねばならないという国家主義論があった。
(3)国家戦略は、欧米との関係、特に米国との関係で大きく揺れた。
(4)プーチン氏の考え方の根底には、世界秩序が崩れつつあるとの理解があった。
(5)国家戦略の最大目標は、先進発展国の生活水準に追いつくことだった。
(6)世界経済の中で生きていくためには、市場経済導入しかないとも考えていた。
(7)しかし、市場経済の発展には、国家調整が必要だとも考えていた。
(8)“脱石油ガスの“非資源経済”を一貫して主張していたが、実現できなかった。
(9)欧州との経済統合を夢見ていたが、これも実現できなかった。

この9項目のまとめを読むと、プーチン大統領は、われわれが思う以上に複雑で、「独裁者」というような単純な人物ではなく、プーチンに導かれるロシアも、多様性にあふれ、複雑で、底が深いと考えた方が良いということになる。

[執筆者]石郷岡 建(ジャーナリスト)

(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2020年3月23日付で掲載されたものです)

ユーラシア研究所レポート  ISSN 2435-3205


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