
概要
2021年5月5日、欧州委員会は、COVID-19の教訓を踏まえて、2020年産業戦略のアップデートを行い、産官学連携に基づいて、「移行経路(transition pathways)」を具体化すると同時に、重要な分野において国際標準を構築していくことを明確にした。EUは、COVID-19危機を成長軌道の根本的な転換の機会とすべく既に動き出している。
1. 景況感の急速な改善と部門別格差
2021年5月5日、EUは、欧州グリーン・ディールの一環として、2020年3月に公表した新産業戦略のアップデート版1を公表した。これにあわせて公表された「年次単一市場報告書2021年2」によれば、COVID-19危機の影響から、2020年のEUのGDPは6.3%減となり、特に中小企業の60%が事業の縮小を余儀なくされ、中小企業の雇用は1.7%減、140万の雇用が失われた。特に留意すべきは、COVID-19の影響が、とりわけ対面接触の機会の多い観光、食品サービス、文化・芸術活動の分野において大きく、また繊維産業、自動車産業への影響も大きかったことである。ワクチン接種が進むにつれて、各産業分野の景況感は改善しつつあるが、産業部門ごとの落差は依然として大きい(図1)。また、2021年に投資を削減すると想定している企業は実に45%に達する。

図1 改善しつつある欧州企業の景況感と産業部門別の違い
注:*地域経済(proximity economy)=対面サービス、小規模な店舗、バー、レストラン、修理・清掃・メインテナンスサービスなど地産地消のローカルなバリューチェーン。
小売、農業・食品、地域経済・社会経済・市民安全、エネルギー・再生可能エネルギー、健康に関するデータは点線で示されている。これらのデータは一部にすぎないため、慎重に評価する必要がある。
出所:European Commission, Annual Single Market Report 2021, SWD(2021)351 final.
2. COVID-19の教訓を踏まえた産業政策のアップデート
COVID-19危機による経済への打撃を深刻化させた原因は、第1に全般的な需要の減退であるが、特に国境を越える人、財、サービスの移動制限である。2020年第2、第3四半期のEU域内貿易は24%減であった。域内貿易依存度が6割を占めることを考えれば、この域内貿易の縮小の影響が甚大であったことは、容易に想像できるだろう。第2に、グローバル・サプライチェーンの途絶が、重要な製品の確保を困難にしたことである。このため、EU産業にとって域外からの輸入に依存している現実を再検討することが必要になった。
この教訓を踏まえて、欧州委員会は2020年の新産業戦略を改定したのである。その主なポイントは、(1)単一市場の強靱性(resilience)の強化、(2)「開かれた戦略的自律性」の促進、(3)「対をなすグリーンとデジタルへの移行」の加速である。これらの基本構想は、既に2020年3月に公表された新産業戦略3(以下、「2020年産業戦略」と表記)でも指摘されていた点である。2020年産業戦略によれば、グリーンとデジタルヘの移行は「競争の本質に影響する地政学的プレートが動く中で生じる。欧州が、自らの声を確認し、価値観を掲げ、公正な競争の場を求めて戦う必要性が、かつてなく高まっている。これは、ヨーロッパの主権に関わる」として、欧州が「産業の自律性と戦略的自律性(industrial and strategic autonomy)」を維持するためには「単一市場の影響力、規模、統合を活用して、グローバル・スタンダードを設定しなければならない」と主張した。2021年2月に公表されたEUの新通商戦略4は、強靱性と競争力、持続可能性と公正、断固たるルールに基づいた協力という3つの柱を掲げ「開かれた戦略的自律性」をより明確にしている。
3. 産官学連携に基づくビジネスエコシステム5の「移行経路」と国際標準の策定
2020年産業戦略のアップデートでは、第1に、国境が閉ざされたCOVID-19危機の教訓から、将来の起こりうる危機時においても人、財、サービスの自由移動を確保するための緊急対応を行い、主要ビジネスサービス標準の調和・市場監視のデジタル化や中小企業対策を進め、毎年14のビジネスエコシステムを含む単一市場の状況分析を行う方針が示された。
第2に、欧州委員会は、5,200品目について分析を行い、極めて輸入依存度が高く、ビジネスエコシステムに多大な影響をもたらしうる137品目(EUの財輸入額の6%)を特定した。図2のとおり、これら137品目の製品について、EUは、新興経済諸国(中国52%、ベトナム11%、ブラジル5%など)に依存している。

図2 EUの輸入依存度の高い137製品における地域別輸入シェア
出所:European Commission, Strategic dependencies and capacities, SWD(2021)352 final.
この現状に鑑み、欧州委員会は、「開かれた戦略的自律性」の強化を目指し、原料、バッテリー、医薬品の原液、水素、半導体、クラウドと関連するエッジ技術の戦略的重要性の高い6分野について産官学の連携を強化するとした。市場だけではブレークスルーとなる技術革新が困難だと考えられる分野については、「共通の欧州利益プロジェクト(Important Projects of Common European Interest)という政策ツールを活用して公的資金を投入する加盟国の動きを支援することが示されている。バッテリー同盟、クリーン水素同盟、クリティカル・ローマテリアルズ同盟などが立ち上がっており、こうした産学官の連携強化の動きが加速することが予想される。第3に、グリーンとデジタルヘの移行を加速することである。復興基金の37%をグリーンに、20%をデジタルに投資することが定められており、まもなく復興基金に基づいたプロジェクトが始動する。欧州委員会は、この移行を加速すべく、産業界、公的機関、社会的パートナー、その他のステイクホルダーと協力して、各分野のビジネスエコシステムのグリーンとデジタルヘの移行について必要となる行動の規模、コスト、長期的利益と条件などに関する「移行経路」を共同で作成する方針を打ち出している。特に、グリーンとデジタルヘの移行の困難が予想される化学、鉄鋼などの資源集約的な産業分野、COVID-19危機の打撃を受けた建設、観光、モビリティなどの分野を重視するとしている。
4. ピンチをチャンスに
EU経済は、COVID-19の影響により大きな打撃を被った。しかし、2020年7月にEU共同債を原資とする復興基金に合意し、その中核に欧州グリーン・ディールを据えて、グリーン、デジタル、サーキュラー・エコノミーへの移行により、ビジネスエコシステムの根本的転換の機会とする方向性を打ち出した6。今回の産業政策のアップデートでは、産官学連携に基づいて、「移行経路」を具体化すると同時に、重要な分野において国際標準を構築していくことをいっそう明確にしている。このように、EUは、COVID-19危機を成長軌道の根本的な転換の機会とすべく既に動き出している。現状では、日本のワクチン接種は遅れているが、COVID-19後の日本の針路を考えるうえでも、EUから学ぶことは多い。
注:
1 European Commission, Updating the 2020 New Industrial Strategy: Building a stronger Single Market for Europe’s recovery, COM(2021)350 final
2 European Commission, Annual Single Market Report 2021、SWD(2021)351 final.
3 European Commission, A New Industrial Strategy for Europe, COM(2020)102 final.
4 European Commission, Trade Policy Review – An Open, Sustainable and Assertive Trade Policy, COM(2021)66 final.
5 総務省の定義によれば、ビジネスエコシステムとは、「ビジネスの「生態系」であり、企業や顧客をはじめとする多数の要素が集結し、分業と協業による共存共栄の関係を指す。そして、ある要素が直接他の要素の影響を受けるだけではなく、他の要素の間の相互作用からも影響を受ける」。現在は、AI・IoTの時代の到来とともに、ビジネスエコシステムが大きく変化する転換点にある、と考えられる。
(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd122100.html)
6 詳しくは、蓮見 雄「欧州グリーン・ディールのグローバル・インパクト」(2020年9月14日掲載)を参照。
[執筆者]蓮見 雄(立教大学経済学部教授)
(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2021年6月2日付で掲載されたものです)
ISSN 2435-3205