
概要
欧州グリーンディールは脱炭素の移行経路を具体化できておらず、ガス価格高騰の一因とさえなっている。これに、ウクライナ危機による地政学リスクが加わった。EUが、ロシア依存を避けるには高価なLNG輸入に頼らざるをえない。だが、そのコストを軽減するために脱炭素化を加速すれば、再エネやEVに関連する資源・技術の中国依存を強めるという経済安全保障問題に直面することになるかもしれない。
<1. 欧州ガス市場自由化とガス価格高騰
2021年秋、欧州の天然ガス価格の代表的な指標であるオランダTTF先物価格が急騰し、10月5日には1メガワット時(MWh)当たり59ユーロとなり、12月21日には133ユーロに達した(図1)。2021年初旬までは14ユーロ前後で推移していたことを考えれば、驚くべき高騰である。

図1 欧州ガス価格(Dutch TTF Gas Futures、ユーロ/MWh)の推移
出所:インターコンチネンタル取引所(ICE)資料に加筆。
図2に示すEUの米国産液化天然ガス(LNG)の輸入動向からもわかるように、2020年後半にいったん減っていた輸入が、2021年に入り増加している。これは、アジアよりも欧州が高値となったことで、米国産LNGなどが欧州に向かい始めたからである。その後、ガス価格は、いったん下落して小康状態を保つかに見えた。

図2 EUの米国産LNGの輸入動向(2022年2月2日現在)
出所:European Commission, EU-US LNG TRADE, US liquefied natural gas (LNG) has the potential to help match EU gas needs ,February 2022.
ところが、2022年2月末以降、ロシアのウクライナ侵攻という地政学リスクが加わり、3月7日には227ユーロに高騰した。翌8日の北海ブレント原油は128ドルである。
こうした状況を考えると、価格高騰の原因はロシアだという議論に陥りがちだが、それではエネルギー問題の本質を見誤ることになる。戦闘が続き、ロシアの主要銀行のSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除など経済制裁が科されている最中でさえロシアから欧州へガスは流れている(3月10日時点)。少なくとも、ロシアのウクライナ侵攻が生じる前までは、ロシアの行動のガス価格に対する影響は副次的なものに留まっていた。
実は、ガス価格高騰には、複合的な要因が作用しているばかりでなく、後述するように、欧州連合(EU)が推進している欧州グリーンディールそのものが一因となっている。2020年秋以降、COVID-19危機からの景気回復に伴いエネルギー需要が回復し、石炭価格やEU-ETS(欧州温室効果ガス排出量取引制度)価格の高騰から、天然ガス需要が高まり始めた。しかし、スポットLNGの大半は2020年末の寒波で価格が高騰していた日本、中国、韓国に向かい、欧州には入らなかった。欧州が頼りにしていたノルウェーでも2021年9月末にLNG液化プラントでガスタービン火災が発生し、供給が滞った。さらに、北海の風力発電の発電量が悪天候によって減少し、ガス火力発電に頼らなければならなくなった。その結果、EUのガス備蓄は2021年9月10日時点でわずか70%、前年同期比で2割減、過去10年と比べても1割減となってしまった(図3)。

図3 EUにおけるガス備蓄の状況(%)
出所:https://www.reuters.com/business/energy/cusp-europes-winter-season-gas-storage-hits-10-yr-low-2021-09-22/
しかも、過去10年の間に、欧州のガス市場は自由化が進みスポット取引が主流となり、ロシアとの取引でも7割がスポット取引になっていた。厳冬が予想されガス需要が逼迫することが誰の目にも明らかであった以上、ガスヘの投機が発生し価格が急騰するのは当然の結果であった。
欧州経済の今後を考える上で、より重要なことは、欧州グリーンディールという成長戦略そのものが、エネルギー価格高騰の一因となってしまったことである。この点について、次に説明しよう。
2. 欧州グリーンディールの加速と欧州新産業戦略のギャップ
欧州グリーンディールは、(1)サーキュラー・エコノミー(循環型経済)への転換に焦点を当て、(2)脱炭素社会への移行に伴い影響を受ける地域や人々に対する社会政策についてEUレベルで取り組む姿勢を示し、(3)資金の流れを持続可能な経済活動へと誘導するルール設定(サステナブル・ファイナンス)を示したという3つの点において、これまで十分な成果を上げることのできなかった過去の成長戦略(リスボン戦略、欧州2020戦略)と異なっている1。つまり、上記(2)によって「市民の声」の信頼を、上記(3)によって「市場の声」の信頼を確保しながら、上記(1)を実現するために産業構造転換を図ろうとするものであった。

図4 EUで消費・供給される総エネルギー*(TWh換算)とその構成変化の予測-2020年公表参照値とFit for 55シナリオ】
注:*エネルギー、産業、建築、交通など全部門で使用されるエネルギーの合計。Eurostatでは「総利用可能エネルギー」と分類される。
1)石炭・廃棄物には、製造ガス、泥炭製品、オイルシェール・オイルサンド、再生不可能な廃棄物が含まれる。
出所:https://visitors-centre.jrc.ec.europa.eu/en/media/tools/energy-scenarios-explore-future-european-energy により表示される図を元に作成。2005年、2019年について、原図に表示されない数値はEurostatで確認して補ったが、不一致の部分については誤差とした。
これは当然かもしれない。しかし、これは、「市場の声」から見れば、化石燃料産業関連投資が座礁資産となりかねないリスクであり、投資を手控える動きが広がった。
しかも、これだけ大きくエネルギーミックスが変わるということは、長く化石燃料に依存してきたさまざまな産業の構造を根本から変革していくということに他ならない。そのため、欧州委員会は、それを具体化することを目指して欧州新産業戦略を打ち出し、「産業界を総動員」し、機動的な産官学連携で脱炭素社会への移行経路を具体化するという方針を示していた。この方針は妥当だとしても、その試みは始まったばかりで何の成果も上げておらず、当然、「市場の声」の信頼を得ることはできなかった。
欧州新産業戦略の行方は不透明で、2020年秋以降に世界中でLNGトラブルが頻発し、しかも石油やガスの開発が滞るかもしれないとなれば、当然、エネルギー不足を予感させ、投機を刺激し、エネルギー価格が高騰することとなり、欧州グリーンディールは「市民の声」の信頼も失ったのである。
この出来事は戦略の見直しを迫り、欧州委員会は、2022年1月1日、「再生可能エネルギーを主とした将来への移行を促進する手段としての天然ガスと原子力の役割」を認め、2月2日には、先送りされていた天然ガスと原子力をタクソノミーに加える補完的委任法を採択した。
欧州グリーンディールの魅力的な目標にもかかわらず、欧州新産業戦略を実現するために、「産業界を総動員」し、産業部門ごとの特性を踏まえた移行経路の具体策が動き出さない限り、その実現は難しいことがわかるだろう。現時点では、欧州グリーンディールは、「市場の声」の信頼、「市民の声」の信頼、「産業界の総動員」のいずれも達成できていない。
3. 欧州グリーンディールと地政学リスク
これに、ロシアのウクライナ侵攻と対ロシア経済制裁という地政学リスクが加わり、エネルギー価格が急騰している。ウクライナ危機がどのように収束するかにもよるが、長期的な影響として考えられるのは、次の点である。
第1に、ロシアに原油の3割、天然ガス輸入の4割を依存してきたEUは地政学リスクを低減し、エネルギー安全保障を確保するために、根本的に供給源の多角化を進めなければならず、LNG輸入を拡大せざるを得ない。既に、ドイツでも新規のLNG輸入基地建設の動きが出ている。だが、これはパイプラインガスに比べて高価なLNGに長期に依存することを意味し、米国などLNG輸出国は利益を得るが、欧州諸国にとっては負担が増す。また、EUもロシアも、石油・ガスの相互依存関係を低減するには、一定の時間がかかるので、その間の協力関係を、経済制裁を継続しつつ、どの程度、維持するかという経済安全保障問題が生じる。
第2に、高価なLNGへの依存を減らすためには、脱炭素化の実現を目指して欧州グリーンディールをさらに推進することが必要となるだろう。もちろん、再生可能エネルギー由来の水素やバイオ燃料の利用の拡大や原子力発電の増設などの選択肢も考慮しながらということになるが、いずれも法整備、インフラ整備、膨大な投資が必要となる。
第3に、ところが、実現が望まれる欧州新産業戦略が目指すグリーンとデジタルへの移行は、再生可能エネルギー、電気自動車(EV)、バッテリーなどのために必要なレアアース、アルミニウム、ニッケル、コバルト、リチウムなど、クリティカル・ローマテリアルズ(CRMs)の需要を激増させ、新たな資源輸入依存をもたらす可能性がある。
しかも、欧州委員会は、COVID-19の教訓と経済安全保障を念頭に5,200品目を調査し、極めて輸入依存度が高く影響が甚大な137品目を特定している。これらの供給国の内訳を見ると、中国52%、ベトナム11%、ブラジル5%、韓国4%、シンガポール4%、ロシア3%、香港1%であり、米国、英国、日本がそれぞれ3%となっている。つまり、EUが推進するグリーンとデジタルへの移行は、実は中国の資源や技術への依存を高めるリスクをはらんでいるのである。この結果を踏まえ、欧州委員会は、2020年に公表した欧州新産業戦略を見直し、2021年に戦略を更新し、原料、バッテリー、医薬品原液、水素、半導体、クラウド関連技術の6分野において産官学連携を強化する方針を打ち出した。だが、それはまだ始まったばかりである。
ロシアが、世界のパラジウムの44%、プラチナの13%、ニッケルの9.5%、ニッケルの6%、セレンの7%、アルミニウムの6%を生産していることも付け加えておこう3。また、半導体生産に必要な希ガスでは、ウクライナとロシアのシェアが高く、特に重要なネオンガスは70%といわれる4>。
4. EUが直面する経済安全保障
以上から、ウクライナ危機がどのように収束するかにかかわらず、EU経済は大きな岐路に立たざるを得ないだろう。EUにとってロシアは貿易の5%、ロシアにとってEUは貿易の33%を占めることを考えれば、経済制裁の痛みは圧倒的にロシアの方が大きい。しかし、ウクライナ危機がさらに深刻化し、もしガスなどエネルギー分野への制裁が一層強化され、外資の協力が得られなくなるとすれば、ロシアの資源開発そのものが滞り、長期的にエネルギーが逼迫し、エネルギー価格がさらに高騰するかもしれない。
こうした影響を受けるのは、日本も同様である。ロスネフチに出資していた英BPの撤退、米エクソンモービルのサハリン1、英シェルのサハリン2からの撤退が始まろうとしている。サハリン1には伊藤忠商事、丸紅、INPEX、石油資源開発、経済産業省が、サハリン2には三井物産と三菱商事が参画している。Arctic2の開発には、仏トタルとともに、三井物産と独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が出資している。国際協力銀行(JBIC)は融資を中止しており、日本企業にも撤退の圧力がかかっている。仏トタルは保有権益を維持する方針を示しているが、事態の推移によっては撤退というシナリオも考えざるを得なくなるかもしれない。
3月8日、欧州委員会は、年内にロシアへの天然ガス依存を6割低減し、2030年以前にゼロにする計画を公表した。さりとて、EUが、欧州産業の脱炭素化の道筋を明確にしえないままに、脱炭素化を加速しようとすれば、先に指摘したように、風力、太陽光、バッテリー関連の資源や技術の中国依存を強めることになりかねない。
日本も、同様の経済安全保障に直面していることを考えれば、日EU協力の深化が活路となるかもしれない。日本は、EUと経済連携協定(日EU・EPA)と戦略的パートナーシップ協定(SPA)を結び、グリーンアライアンスで合意している。また日英EPAも締結している。
5. 欧米主導の対ロシア経済制裁と中国の利益
はっきりしていることは、ロシアのエネルギーや小麦が、今まで以上に中国に向かい、中国は潤沢な天然ガスと食料を手にすることである。2014年のウクライナ危機後、ロシアは中国と年間最大380億立方メートルの天然ガスを供給する30年契約を締結し、「シベリアの力」ガスパイプラインが建設された。2022年2月4日、北京オリンピック開会式のために訪中したプーチン大統領は習近平国家主席と会談し、極東からの天然ガス供給を追加して年間最大480億立方メートルに増やすことに合意し、また、「シベリアの力2」の建設について協議している。その実現には、まだ5年以上の年月がかかるとみられ、しかもロシアは中国に買い叩かれるであろうが、これが実現すれば欧州に送られていた西シベリアや北極海に面するヤマル半島のガスが中国に向かうようになる。しかも、次々と欧米や日本の外資が撤退すれば、そこに中国資本が入り込むかもしれない。事実、2014年の制裁で頓挫しかけたヤマルLNGを救ったのは中国のシルクロード基金だった。
実は、中ロ間では貿易建値通貨の脱ドル化が進んでおり、ユーロ決済が多くなっている5。SWIFT排除の対象が拡大されユーロ決済もできないとなっても、人民元決済で石油、ガスを購入し、CIPS(人民元国際銀行間決済システム)の利用を拡大することが考えられる。上海先物取引所の傘下にある上海国際エネルギー取引所では、人民元建て原油先物が取引されていることも付け加えておこう。つまり、欧米が主導する対ロシア経済制裁は、中国に漁夫の利をもたらすのである。もちろん、中国は、国際的に孤立しつつあるロシアの道連れとならないように慎重に対応するであろうが、もはやロシアは中国を頼る以外に選択肢はない。ロシアが中国の安定的な資源供給源となることは、EUや米国にとって、中国がより手強い「体制的ライバル」となることを意味している。
1 蓮見 雄「欧州グリーン・ディールのグローバル・インパクト」ユーラシア研究所レポートNo,131。(http://yuken-jp.com/report/2020/09/14/131/)
2 以上について、詳しくは、蓮見 雄「欧州グリーンディールの隘路」『世界経済評論』Vol.66、No.2、2022年を参照。
3 独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)「ロシア鉱物資源データ集(2021)」
4 大場紀章「ウクライナ侵攻、ロシアの石油・ガス輸出が途絶する4つのシナリオ」『日経エネルギーNEXT』2022年3月4日
5 詳しくは、蓮見 雄「中ロ接近とユーロ」(蓮見雄・高屋定美編『沈まぬユーロ』文眞堂、2021年、所収)を参照。
付記:本稿は、市村清新技術財団地球環境研究助成、立教SFR研究助成に基づく研究成果の一部である。
[執筆者]蓮見 雄(立教大学経済学部教授)
(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2022年3月14日付で掲載されたものです)
ISSN 2435-3205