
概要
輸入化石燃料に依存し、温室効果ガスの4分の1、雇用の4分の1を占める交通部門の脱炭素化の
実現は、欧州グリーンディールと脱ロシア依存の実現を占う試金石である。EUはスマートモビ
リティ戦略を打ち出しているが、産業界からの反発も強く、欧州委員会は産業界との対話を続
け、現実的な移行経路の共創を目指す必要に迫られている。
1. REPowerEU (リパワーEU)と移行経路問題
2019年末、欧州連合(EU)は新たな成長戦略として欧州グリーンディールを打ち出し、2020
年にはCOVID-19危機を契機として創設された7,500億ユーロの復興基金の後押しを受けて、一
連の政策が動き始めた。EUの「持続可能なスマートモビリティ戦略」はその一環である。2021
年7月には、2050年までの気候中立を義務化する欧州気候法が成立し、それを実現すべく炭素国
境調整メカニズム(CBAM)を含む包括的な強化策Fit for 55が打ち出された。これには、2035
年までに、事実上、ハイブリッドも含めて内燃機関車(ICE)を禁じる措置が盛り込まれてお
り、自動車業界に衝撃が走った。
EUは、産官学連携に基づいて各産業の脱炭素化の移行経路(transition pathways)を共創しよ
うとする新産業戦略を打ち出していた。ところが、2021年秋、EUはガス価格の高騰に直面し
た。一方で、経済活動の回復に伴いガス需要が拡大し始めていたにもかかわらず、脱炭素化の
強化は、化石燃料投資を手控えさせ、供給不足のリスクを感じさせた。他方で、風力発電の稼
働率が落ちて、それを補うためにガス火力発電に頼り、ガス備蓄が減少した。つまり、冬を前
にして、ガス先物価格が急騰するのは当然のことだった。
EUの方針は妥当だとしても、移行経路の具体化に「産業界の総動員」ができておらず、市民
生活にも影響が出て「市民の信頼」も確保できず、Fit for 55は「市場の信頼」を得ることがで
きず、むしろ市場の不安を高めた。今後の課題は、産業ごとに脱炭素化の移行経路を具体化
し、それをステークホルダーに対して可視化できるかどうかである。
これに加えて、ロシアのウクライナ侵攻による地政学リスクが加わった。化石燃料をロシア
に依存してきたEUは、REPowerEUという戦略を打ち出し、2030年よりできるだけ早い段階で
(フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長の発言によれば2027年までに)脱ロシア依存を実
現すべく、特に依存度の高い天然ガス代替策を打ち出し、少なくとも数字上は脱ロシア依存が
実現することになっている(図1)。これによれば、当面、EUは、多角化によってロシアの天
然ガスに代わる供給源を確保し、省エネを進めると同時に、石炭火力発電所の稼働延長や原子
力発電所の段階的廃止の放棄を想定している。2021年の秋のガス価格高騰の経験を踏まえて、欧州委員会は、2022年1月1日に、「再生可能
エネルギーを主とした将来への移行を促進する手段としての天然ガスと原子力の役割」を認
め、2月にこれらを組み込んだEUタクソノミー委任規則改正案を提出している。これは、欧州
議会で否決が過半数、もしくはEU理事会で特定多数決(20カ国、EU人口の65%以上)によっ
て否決されない限り成立する。中期的には、エネルギー効率の改善、太陽光発電・風力発電、
産業部門における需要削減が主たる対策とされており、長期的に再生可能エネルギーを利用し
て水素を製造、実用化していくことが示されている。

図1 Fit for 55+REPowerEU計画の追加措置によるEUのロシア依存脱却構想
出所:European Commission, REPowerEU plan, COM(2022)230 final. 一部省略。
しかし、前途は多難である。2022年6月14日、欧州議会の経済金融と環境の合同委員会は、
EUタクソノミー委任規則改正案に反対する文書を採択した。これは、7月上旬に予定されてい
る欧州議会採決にも影響することが予想され、結果次第では、改正案が修正されるかもしれな
い(『日本経済新聞』2022年6月14日)。
中期、長期の対策は、これまでも示されてきたものであり、新機軸が打ち出されているわけ
ではない。Fit for 55シナリオが実現すれば、2050年までには自ずと脱ロシア依存は実現するは
ずであった。重要なことは、各産業の実情を踏まえて脱化石燃料=脱ロシアの移行経路を具体
化することである。ところが、2021年秋のガス価格高騰で露呈したように、EUは、その移行経
路を具体化しえておらず、数字あわせに留まっている。脱炭素化の移行経路に対する「市場の
信頼」が確保できなければ、民間投資の活用も想定通りには進まない。
2. EUの持続可能なスマートモビリティ戦略と産業界の対応
とりわけ、「産業の中の産業」とも呼ばれる自動車産業において、いかにして脱炭素化の具体的な道筋を見い出すかが重要である。第1に、交通部門は、輸入に頼る石油に圧倒的に依存しており、温室効果ガス排出量の約25%を占めるにもかかわらず、これまで削減が進んでいなかった。第2に、自動車産業は、産業の裾野が広く、金属、ガラス、ゴム、プラスチックなど石油
化学製品、半導体、さらには関連サービスなどの雇用を支えている。図2に示すように、EUにおいて、自動車関連産業では、1,260万の人々が働いている。

図2 EUにおける自動車関連産業の雇用1,260万人
出所:ACEA, The Automobile Industry Pocket Guide 2021, 2022, p. 7.
当然、電気自動車(EV)へのシフトは、さまざまな関連企業の業態転換のみならず、雇用転換を伴う。また、日常生活における自動車利用のあり方を見直すなど、消費者の行動変容が不可欠なことは、しばしば指摘されているところである。EUが、交通部門の脱炭素化に本格的に取り組むきっかけとなったのは、2015年のVW(フォルクスワーゲン)のディーゼル不正事件とパリ協定の締結である。欧州委員会は、2017年にクリーン・モビリティに関する政策パッケージ(Europe on the move)を打ち出し、それを改正していった。その政策は2020年12月の「持続可能なスマートモビリティ戦略」という形で欧州グリーンディールに組み込まれた1。この戦略文書は、
1)サステナブル、2)スマート、3)レジリエンスの3つを強調している。
1)サステナブル自動車に限らず、船舶、航空機を含む交通部門全体の脱炭素化を達成することである。自動車に関しては、2030年までに3,000万台をゼロエミッションとし、300万カ所のEV充電ステーションを設置することなどが記されている。
2)スマート
モビリティデータを活用し自動化されたマルチモーダルシフトを実現することによって、交通部門全体の気候中立を目指すことである。
3)レジリエンス
公正で安全なモビリティの提供のことである。
(ICE)の事実上の禁止である。
これに対して、産業界は、脱炭素化を目指すEUの方針は支持しつつも、それを実現するための具体策が乏しいとして厳しく批判している。例えば、欧州自動車工業会(ACEA)や欧州自動車部品工業会(CLEPA)は、次のような点を指摘している2span class=”attention”>2。
・ICE禁止は、再生可能燃料(E-fuel、クリーン水素等)の普及による気候中立の機会を奪う。
・充電インフラや水素インフラの整備計画が極めて不十分である。
・バッテリー式電気自動車(BEV)のみでは、特に中小企業の雇用への影響が大きい。
ACEAは、自動車産業がFit for 55目標を達成するには、
(1)乗用車・小型商用車の二酸化炭素(CO2)排出量削減やゼロエミッション化だけでなく、
(2)公的なインフラとして充電ステーションや水素ステーションを整備し、(3)自宅や職場での充電設備の充実、(4)税制や購
入補助金などによる経済的インセンティブの導入、(5)再生可能エネルギー指令とエネルギー
税指令による脱炭素化の促進という5つの施策をうまく連携させていくことが不可欠であり、特
に欧州委員会提案の充電インフラの390万基では全く足りず、EVの普及には700万基が必要だと
指摘している(図3)。

【図3 Fit for 55に対するACEAの見解:5つの施策の連携が必要】
出所:ACEA , Fact sheet -Review of CO2 targets for cars and vans, 24 January 2022.
https://www.acea.auto/files/fact_sheet_review_CO2_targets_cars_vans.pdf同時に、各社は脱炭素化への対応に着手しており、さらにSONY(日)、アップル(米)、Amazon(米)などファブレスメーカーの新規参入の動き、ボッシュ(独)、デンソー(日)、現代モービス(韓)サプライヤーなど伝統的サプライヤーがEV生産にまで乗り出す動きもあり、競争は激しさを増している3。興味深いのは、ボッシュの動きである。同社は、CASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)全領域にわたるリーディングポジションを確保すべく、非自動車部門を含めてAIoT(=AI+IoT)という経営ビジョンを掲げ、ダイムラーやBMWなどと戦略的提携を結び、高級車セグメントにおいてCASE技術を提供することによってTier1としての成長を確保しつつ、産業全体の脱炭素化を成長機会として捉えようとする動きを見せている4。
. 経済安全保障とCO2排出規制のLCAアプローチ問題
しかし、再生可能エネルギーやEVが増えたとして、資源そのものが不要になるわけではないし、自動的に脱炭素化が実現するわけでもない。第1に、グリーンとデジタルへの移行の加速には、バッテリー、太陽光パル、電極、発電機など機械・設備に不可欠な金属鉱物資源が必要であり、既に争奪戦が始まっている。しかも、その賦存は著しく偏っており、EUは、戦略的に重要な資源と指定している金属鉱物資源の44%を中国に依存している(2016-18年)。脱ロシア依存=脱炭素を急ぐことは、結果として、EUの輸入依存のリスクを深刻化させることにつながりかねない5。
したがって、EVシフトを経済安全保障と切り離して論じることはできない。だからこそ、EUは、新通商戦略において「開かれた戦略的自律性(Open Strategic Autonomy)」を強調し、デジタルやグリーンに関連する製品規格や市場のルールの国際標準化を目指しているのである。だが、EUの経済的地位は長期的に低下傾向にあり、その実現には日EUグリーンアライアンスなど国際協力が不可欠であろう。第2に、欧州委員会は、自動車のライフサイクル全体をカバーするCO2排出規制(ライフサイクルアセスメント:LCA)の導入を検討している。ACEAは、これに反対し、既存のTtW(Tankto Wheel:走行時のCO2)ベースの規制を維持し、CO2排出についてTtWとWtT(Well to Tank:燃料から給油まで)とで応分の負担をすべきであると主張している。一方、CLEAPは、LCAアプローチに賛成し、WtW(Well to Wheel:燃料から走行まで)ベースの排出量規制、つまり車両、エネルギー、燃料を別々の枠で規制するよりも、バリューチェーン全体で脱炭素化を進めることが望ましいとしているる6。
欧州委員会は、2023年までにLCAアプローチに関する報告書を提出することになっているが、個別製品のライフサイクルごとのミクロな分析が必要であり、LCAアプローチの具体化にはまだ時間がかかる。欧州委員会は、産業界との対話を通して、現実的な脱炭素化への移行経路の共創を目指すべきであろう。いずれにしても、企業としては、ライフサイクル全体の脱炭素化という流れが強まることを想定した対応を考えておく必要がある。それは、容易なことではないとしても、産業全体の脱炭素化を新たな成長機会とする可能性を開くことにもつながるかもしれない。
1 European Commission, Sustainable and Smart Mobility Strategy – putting European transport on track to the future, COM
(2020)789 final.
2 FOURIN『日米欧韓自動車メーカーのカーボンニュートラル化戦略』2022年、13頁。
3 『週刊エコノミスト』2021年9月7日、39頁。
4 FOURIN『Boschの生き残り戦略』2021年。
5 FOURIN『Boschの生き残り戦略』2021年。
6 FOURIN『日米欧韓自動車メーカーのカーボンニュートラル化戦略』2022年、13頁。
付記:本稿は、市村清新技術財団地球環境研究助成、立教SFR研究助成に基づく研究成果の一
部である。
[執筆者]蓮見 雄(立教大学経済学部教授)
(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2022年7月4日付で掲載されたものです)
ISSN 2435-3205