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経済危機に耐える労働市場:ロシア的対処法-堀江 典生

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概要

ロシアは経済危機にもかかわらず、政治的に安定している。その理由として、一時帰休なども含めた雇用維持や非正規就労化、賃金未払いなどの賃金の弾力性、移民労働による労働市場の柔軟性が、失業率の上昇を伴わない経済危機に「耐える労働市場」を形成していることが指摘できる。しかし、労働争議が顕在化し始めており、経済危機が長引けば抜本的な対策が求められるようになるだろう。

ロシアへの経済制裁が実施されてから2年余り経過した。市場経済化初期の移行不況、1998年のロシア金融危機、2008年のリーマンショックを経て、ロシアにとって4度目の経済危機を迎えているが、共通しているのは原油価格の下落である。ソ連崩壊に伴う体制転換による経済危機は別として、1998年のロシア金融危機も2008年のリーマンショックも、世界的な経済危機の中で生じたものであったが、今回の経済危機にはウクライナ問題を巡る欧米および日本の経済制裁とロシアによる逆制裁という政治経済的要因も加わっており、原油価格の低迷とともに、経済回復を遅らせる原因となっている。原油価格が持ち直す兆しの見える今、ロシアの景気も底を突いたともいわれているが、2年余りたってもロシア経済に先行きが見えにくい状況であることに変わりはない。
ロシアの公式統計では、実質賃金は2015年に前年比で9.3%減少している。リーマンショックによる2009年の実質賃金の落ち込みが3.5%であったことからすれば、リーマンショックによる経済危機よりも深刻な実質賃金の落ち込みをロシアは経験しているといえる。政府も、2016年になってから最低賃金を2度も引き上げるなど、対策に躍起である1。インフレ、リーマンショックによる2009年の実質賃金の落ち込みを除けば、常に2014年まで実質賃金が上昇してきたことを考えると、ロシアの人々が、ますます消費を手控える傾向が続きそうである。
12016年1月の改定では5,964ルーブル(84米ドル)から6,204ルーブル(87米ドル)に引き上げられ、同年7月に7,500ルーブル(109米ドル)にさらに大幅に引き上げられる。

同じ資源国であり、新興国グループ「BRICS」の一員でもあるブラジルでは、インフレが高水準で進み、実質賃金が低下し、失業率は10%を超えている。また、汚職に絡み大統領が職務停止に追い込まれ、さまざまな業種においてストライキが各地で起きるなど、社会不安が高まっているとされる。一方、ロシアでは政権への支持は安定し、失業率の増加は抑えられ、目立った社会不安は表面化していない。ロシアの労働市場はどのようにこの危機に耐えているのか、探っていこう。
ロシアの失業率は、2016年3月時点で5.6%であり、欧州諸国の中でも比較的失業率は低位にあるといえる。企業の視点から見ても、労働需要はまだまだ旺盛である。ロシア科学アカデミー付属世界経済国際関係研究所(IMEMO)が実施している企業の雇用人員判断では、2015年第2四半期こそ雇用人員判断D.I.(「過剰」(回答社数構成比)-「不足」(回答社数構成比)によって表される)はプラス(過剰感が上回った状態)になったものの、リーマンショック時の悲観的判断から比べると、今も不足感が強い状態である(図1)。企業が雇用の見通しについて、経済停滞の中でも不足感が強いと近い将来を判断していることは、ロシアの労働市場にとって好材料である。
ただし、2015年から公共職業安定機関である国家雇用局の求人は伸び悩み傾向が続き、平素なら冬期に上昇し夏期に低下する傾向にある雇用充足率も高止まりしている。従って、失業すればなかなか仕事を見つけるのが難しくなってきていることも事実である。

図1 2000年以降のロシア企業の雇用人員判断D.I.

図1 2000年以降のロシア企業の雇用人員判断D.I.

出所:The Russian Economic Barometer(IMEMO)各号のデータを基に筆者作成

経済危機にあっても失業率が上昇しない。それは、過去にロシアが直面した経済危機においても共通した現象である。企業は、経済危機にあっても解雇という手段で事業を見直すことなく、現在の危機に対応している。解雇という手段を使わずに、ロシア企業はどのように人件費削減に対応しているのか、それを解き明かすためには、ロシアの労働市場にある三つの柔軟性に着目する必要がある。
ロシアで典型的に見られる労働市場の特徴は、失業の不安が高まっても、それが失業率の上昇には直接結び付かないところにある。オイルマネーが潤沢であったときのロシアの安定は、地方政府が企業に雇用維持の圧力をかける一方で、連邦政府の補助金で恣意的に雇用を維持してきたと論じる研究者もいる。こうした主張に反し、われわれが独自に2015年に実施した企業調査(北西地域と極東地域限定)では、ほぼ9割の企業が連邦政府だけでなく地方政府からも雇用維持の圧力を受けていないと答えている。政府の強い指導があるから企業が危機にあっても大量解雇に踏み切らないという論理は、簡単に通用しそうにない。
ロシアの労働市場は経済危機において「非標準的行動」を特徴とするといわれている。その「非標準的行動」とは、危機に対して人員削減よりも就労者の就労時間や賃金の調整で実施する雇用調整のことを指す。就労者の就労時間調整は、時短から一時帰休までさまざまであるが、会社都合での強制的な一時帰休は、給与支給がなされない場合がほとんどで、見せかけの雇用は維持されている状態である。2009年の不完全就労者数は雇用全体の30~35%に達していた。現在の経済危機においても、2013年第1四半期時短就労者と2016年第1四半期時短就労者を比較すると約27万人も増え(2016年第1四半期の時短就労者数117万6000人)、は賃金支給なしの一時帰休者も約27万5000人増加している(2016年第1四半期の一時帰休者数221万8000人)。
残念ながら、ロシア連邦国家統計庁のこれらのデータの企業での集計方法が毎月集計でなく四半期集計となり、2012年以前とそれ以降との比較ができないため、過去の経済危機との比較はできないが、就労者数が緩やかな増加傾向にあることは確かである。ロシアの従業員の行動様式は、職の確保を優先し、第2就労など非正規雇用で生計を補完しようとする。労働組合の関心も、賃金よりも職の確保にこそある。直感的には立場の弱い第2就労や非正規就労者の失業への不安は高いと想定されがちであるが、ロシアでは非正規雇用における失業の不安は少ないという。第2就労や非正規就労は、労働市場の変動を吸収する調整弁としての役割を持つ。
企業の従業員が賃金よりも職の確保を優先する状況で、企業が採用する短期的危機回避行動は、従業員への賃金未払いである。賃金未払い問題は、被雇用者に対する債務として企業側に蓄積されていくために危機に対応するやむを得ない問題の先送りであるにもかかわらず、ロシアでは伝統的に活用される雇用調整手段である。ソ連時代からの労働組合として支配的な立場にある「ロシア独立労働組合連盟」が伝統的に企業経営陣と近い関係にあり、賃金未払い問題の解決を求める統一的な戦線を従業員側が構築できないといった事情があるといわれている。リーマンショック時の賃金未払い額のピークは、2009年6月で87億8000万ルーブルであった。現在は、まだその半分程度(44億7000万ルーブル:2016年4月時点)であるとはいえ、2015年から再び賃金未払い額の増加の兆しが見えている(図2)。ただし、賃金債権者数は増えていないので、賃金未払い問題が深刻化しているわけではない。

図2 賃金未払い額の推移

図2 賃金未払い額の推移

出所:ロシア連邦国家統計庁ウェブサイトの資料を基に筆者作成

ロシアの労働市場において経済危機のあおりを受けているのが、外国人労働者である。ルーブルの下落によりロシアで就労するうまみが減少している。そもそも旧ソ連諸国からの外国人労働者は、ロシアの底辺労働市場を担っていたために、決して豊かな層ではない。そこにルーブルの下落とインフレの進行が相まって、外国人労働者たちの生活を圧迫している。そうした旧ソ連諸国からの外国人労働者の海外送金の減少は、海外送金に国内総生産(GDP)の多くを依存してきた旧ソ連諸国の経済をも圧迫している。2015年1月1日に施行された一連の新たな移民関連法の改正によって、法人と個人との下での就労に区別なく「労働パテント」を取得しなければならなくなったが、取得手続きの簡素化の側面はあったものの「労働パテント」取得に必要な諸費用がかさむようになった。また、ロシアで就労するためには、ロシア語、歴史、法律に関しての複合試験を受験し合格しなければならなくなった。
近年の地元住民と移民たちとの衝突などを原因とする移民排斥機運の高まりも影響し、政府は不法移民対策に力を入れ、160万人にも及ぶ移民たちがロシアへの入国禁止に処せられているという2。こうした状況下で、ロシアへの最大の労働力供給源であったウズベキスタン移民の数は、2014年3月から2015年3月までの1年間で約21万人も減少。第2の供給源であったタジキスタン移民も約7万人減少した。ある意味、ウズベク人とタジク人の帰国により同時期に約28万人分の雇用がロシアの労働市場に戻されたことになる3。外国人労働力もまた、経済危機においてロシアの労働市場に柔軟性を与える源泉となっている。


224news.com.ua(http://24news.com.ua/14860-rossiya-otpravlyaet-migrantov-domoj/:2016年6月16日取得)。

3一方、ウクライナ問題の影響で、ロシアでは同時期比較で約96万人ものウクライナからの移民が増加している。子どもたちを含む多くの難民が含まれるが故に、彼らの増加がそのままロシアの労働市場に影響を与えるわけではない。

のように、ロシアの労働市場の経済危機対応は、次の三つの柔軟性によるものであると考えられる。第1に、一時帰休や時短なども含め不完全就労化や非正規就労化が労働市場に柔軟性を与えている。第2に、賃金未払いなど賃金の弾力性が労働市場に柔軟性を与えている。第3に、移民労働者が労働市場に柔軟性を与えている。これらが、失業率の上昇を伴わない経済危機に「耐える労働市場」を形成しているということができるだろう。
ただし、この伝統的な「耐える労働市場」の仕組みが失業率の上昇を抑えるとしても、市民の不満に現政権も敏感にならざるを得ない。ロシアの公式統計では労働者の不満の発露としての労働争議件数(争議行為を伴う労働争議)は、2015年には5件しか記録されていない。ただし、幾つかの調査機関が報道などを頼りに勘定した2015年の争議行為を伴わない労働争議件数は最大で445件、ストライキ件数は最大165件であった。日常的にこうした争議が報道されている事実は、経済危機が長引けば、伝統的な「耐える労働市場」によらない抜本的対応がロシア政府に求められるようになることを表している。

[執筆者]堀江 典生(富山大学研究推進機構極東地域研究センター教授)

※この記事は、2016年9月6日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

なぜ社長室には金庫があるのか-ロシアの中小企業と現金-菅原信夫

ロシア国旗

概要

:日本企業はロシアで事業を始めると、特に販売の面でロシアの中小企業と付き合うことが多くなる。そしてロシアの中小企業の有様に驚かされることになる。例えばその社長室には金庫があるが、それにはロシア特有の理由がある。

現在、ジャパンクラブ(モスクワ日本人商工会)に加入している日本企業数は190社ほどで、そのほとんどは東証一部上場企業である。これらの日本企業はロシアで事業を始めると、特に販売の面でロシアの中小企業と付き合うことが多くなる。そして、ロシアの中小企業の有様に驚かされることになる。本稿ではロシアの中小企業経営とその経営者について、私の受けた印象をご紹介したいと思う。
まず、ロシアの中小企業とは、どの程度の規模の会社を指すのか。なんでも法律で規定するお国故、中小企業についても定義が法律で定められている。

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出所:п.1 ч.1 ст.4 209-ФЗ «О развитии малого и среднего предпринимательства в Российской Федерации»より筆者作成(1ルーブルは1.5円(2016年6月))

これらの中小企業は、法的には多くが有限責任会社(общество с ограниченной ответственностью-OOO)の形を取るので、法律面では企業規模にかかわらず、その義務と権利は同じと考えてよい。また、企業と資本の関係など、法的原理は日本の企業法制とそれほど変わらないので、日本企業には付き合いやすい相手といえる。
次にロシアには、いわゆる個人事業者に当たるIP(индивидуальныйпредприниматель-ИП)という、個人が商業活動する際のステータスがある。会社組織はつくらないが、個人が継続的な商業活動を目指す場合、税務署に営業届を出して、納税義務を果たすことを申し出た場合に与えられるステータスだ。

本来ロシア全土で認められている制度だが、分布を見ると地域による偏りがあり、シベリア・極東方面に多いようだ(図)。

図 人口1万人当たりのIP(個人企業)数の地域分布(2015年1月1日現在)

図 人口1万人当たりのIP(個人企業)数の地域分布(2015年1月1日現在)

注:地図の上部に別掲載されている地域は、左からモスクワ、サンクトペテルブルク、セバストーポリ(クリミアの都市)
出所:Число индивидуальных предпринимателей на 10000 человек населения на 01.01.2015
<http://www.gks.ru/publish/map/2015/ip1115.htm>
(ロシア国家統計局(http://www.gks.ru/wps/wcm/connect/rosstat_main/rosstat/ru/))

筆者の経験でも、サハリン州、サハ共和国の代理店にIPは多い。名刺などにIPと書かれていなくても、人名が会社名の代わりに書かれていれば、これが個人企業IPである。この個人企業というのは、かなり曲者である場合が多い。なぜなら、経営者の個性が商売に色濃く反映するからである。何を決めるのも経営者1人の判断で、その経営者と会うことができないために代理店契約交渉が宙に浮いた例など、筆者自身幾度も見てきた。
IPの場合、銀行融資を受けにくいという問題点があり、そのため、別の事業で十分資金を蓄積した経営者が、第2の仕事としてIPを始めるという例が多い。このようにロシアにおいても、中小企業での資金確保は大問題なので、いかに銀行の融資を受けられる企業に見せるか、これには経営者がいつも悩んでいる。
ここで、中小企業の資金繰りについて少々書いてみたい。ロシアの銀行にとって商売の本質は、高利貸しである。低金利のユーロやドルを短期資金として借り入れ、これを自行の為替レートでルーブルに換算し、自行の貸出金利を適用して貸し出す。この貸出金利は、年利30%を超えることもあった(現在は15%から20%程度まで下がっている)。
しかし、2014年経済制裁が始まり、ユーロあるいはドルの調達に支障が出始めると、特に小型銀行は貸出資金が枯渇するようになる。ロシア中央銀行は経営がおかしくなった小型銀行が倒産する前に、銀行ライセンスの停止という方法で、銀行の営業中止、あるいは大型銀行による救済という方法で、金融界が混乱するのを防いだ。
こういう小型銀行から資金を導入している中小企業には、2014年以降、新規資金はほとんど入ってきていない。そのため、ロシア最大の準国営銀行であるSberbank(ロシア連邦貯蓄銀行)に融資を求めるが、この銀行の貸出審査にすんなり通る中小企業は非常に少ない。
そのような理由もあって、ロシアにも多くの「消費者金融」が誕生することになる。正式な銀行が30%もの金利を取る世界では、消費者金融が50%をとっても、即時に現金を用立てしてくれるならその方がよい、という中小企業経営者はいるものである。100万ルーブル(150万円)とか、300万ルーブル(450万円)という、ある意味では少額の資金を借り入れては、社長室の金庫に保管することになる。

さて、その現金はどのように使用されるのか。われわれが海外に出張すると、クレジットカードの出番が非常に多くなる。ホテルにチェックインするところから始まり、レストランやバー、美術館の入場料からデパートでの買い物まで、全てクレジットカードが活躍する。
東南アジアからヨーロッパ、そして米国まで、多くの国々が同じ状況の中、例外となる大国がある。それがロシアである。ロシアを旅行すると感じると思うのだが、とにかく財布の中の現金がすごい勢いで消えてゆく。そしてその結果として、頻繁に銀行のATMから現金を引き出すことになる。
ロシアでは、都市部を除きカードに対する信任は低く、また仮にVISA、MasterCardといった西欧ブランドのクレジットカードを扱うはずの店でも、経済制裁以降、使えなくなるケースは増えている。モスクワの大型スーパーで、筆者の前に並ぶ外国人がクレジットカードで支払いをしようとするも、キャッシャーの端末は受付を拒否、現金を持たないその客は結局買い物を諦めて去って行く、という場面を何度見たことか。
ロシアにおいては、現金が無ければ企業は回らない。近代化した中小企業においても、現金の利用は経営の潤滑油となっている。筆者の会社と取引のある企業の社長が日本に出張することになった。当社が保証人となり査証を申請するのだが、驚いたことにその出張費用は全て社長の社長室の金庫から、それもドルで支払われた(*ロシア国内においては、ルーブルと同時に、ドル、ユーロも準通貨として流通しており、外国人相手の使用は合法である。そのため、街のATMで現金を引き出す際、引出し通貨がルーブルなのか、あるいはドル、ユーロなのか、指定しなければならない)。
例えば、社長の滞在経費。航空券、ホテル代などは出張経費としてクレジットカード払いが一般的だが、そうすると経理的処理が増える。仮に、社長個人のクレジットカードを使用して航空券を購入したとしよう。カード会社からの請求が上がってきたところで、同額を立て替え経費として社長は会社に請求を上げる。そして会社は、社長の口座に航空券代として立て替えされた金額を振り込むわけだが、ロシアにおいてはこの振り込まれた金額は社長の所得と見なされ、所得税の対象となる。もちろん、いったん支払った所得税を取り戻す手段はあるが、これまた面倒なのでとにかく個人名義のクレジットカードで会社経費の立て替えはしないこと、というのが原則となる。
そこで一般的なのが、現金での処理である。航空券を予約すると同時に、航空会社あるいは代理店はその金額を口頭あるいは「Proforma Invoice」というもので知らせてくる。この金額を銀行から現金で引き出し、航空券を購入する。このとき、販売者は「AKT」と称する取引確認書を出す。これが日本でいうところの領収証である。このような煩雑さを避けるためには、社長室の金庫の中から現金を取り出し、支払ってしまうのが一番早い。それで多くの中小企業はそのようにしているのである。
ロシアという社会において、法律に基づいたルールを縦糸、現実の世界を横糸と考えると、その間を行ったり来たりしているシャトルに当たるもの、これが現金であろう。日本においては幸いにして、銀行経由の支払いも現金払いも、払う側受ける側共に特に大きな違いはないので、最近は小銭さえ持たずにデビットカードで生活を維持している人が増えている。ところがロシアでは、処理の面から現金ほど楽なものはない、ということで21世紀の今日でも、現金の優位性は社会のあらゆるところで感じられる。
もちろん、現金での受け払いが頻繁なビジネスにおいては、キャッシュレジスターの設置が義務化されていて、税務当局への申告にはこの記録を提示することになっている。ところが、キャッシュレジスターには税務署への登録が必要で、また、四半期ごとにその登録を更新せねばならない。これはインチキを防ぐため、登録業者が登録を行うことになっていて、毎回相当な手数料を支払うことになる。もし、6カ月以上キャッシュレジスターを利用していない場合は、税務当局への再登録から始めねばならず、打ち込み時のミスも全て残しておくという面倒な代物である。
要するに、現金といえども、正式な扱いをするキャッシュだけでは日々の生活が成り立たず、社長室の金庫に眠る私的現金こそがロシアでの小規模ビジネスを支える救世主、ということになる。この救世主があまりに栄えると、2016年2月9日に起こったような地下鉄駅広場にある無許可キオスクの取り潰し、という当局の大作戦に至るのである*。
ロシアは、19世紀型の古典的な商売と21世紀の情報テクノロジーが並立する、世界にも例を見ない国になりつつある。

* 2016年2月9日の夜、モスクワの地下鉄駅90カ所において、契約違反のキオスクがモスクワ市当局の雇い入れた土木業者によって見るも無残に破壊されるという事件があった。

[執筆者]菅原 信夫(スガハラアソシエーツ代表取締役兼ロシア法人「Business Eurasia」代表取締役)

※この記事は、2016年5月20日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

ロスネフチの2015年-ロシア最大の石油会社の直近の動向、そして2016年の課題は?-篠原 建仁

ロシア国旗

概要

概要 ロシア最大の石油会社ロスネフチは、株式の約70%を政府が、約20%を英国BPが保有している。経済制裁下でも、BPはロスネフチの主力油田の権益を確保するなどその関係を堅持している。2015年のロスネフチを見ると、アジア向け輸出拡大、借入金残高の減少
、インドへの油田権益の譲渡など新たな動きがあり、日ロ関係を占う上でも今後も目が離せない。

1.ロスネフチとは?

「ロスネフチ」と言われても、日ロ関係あるいはエネルギー産業に詳しくない限り、すぐにぴんとくる読者は少ないのではないだろうか。ロシア政府が株式の約70%を保有する、ロシア最大の石油会社である。その概要を表1にまとめたが、その生産規模は巨大で、2014年の日本の石油とガスの総消費量のそれぞれ9割超および5割超に匹敵し1、世界最大の国営石油会社サウジアラムコ(サウジアラビア)の2015年石油生産量(日量950万バレル)の半分弱(43.3%)、世界最大の民間石油会社エクソンモービル(米国)の同年石油生産量(日量234万5000原油換算バレル)の2倍弱(175.5%)である。

表1 ロスネフチの概要

表1 ロスネフチの概要

(*) 石油の他に、ガス田から液体分として採取される原油の一種である、コンデンセートを含む
(**) 2015年通年のドル・円平均レート121.05円(三菱東京UFJ銀行公表値)を基に換算
(***) 2015年12月30日のドル・円仲値(三菱東京UFJ銀行公表値)=120.61円を基に換算(業績は2015年通年実績;同社年次報告書などを基に筆者作成)
ロスネフチのイーゴリ・セチン社長は、同じサンクトペテルブルク出身のプーチン大統領の腹心の一人といわれ、これまで大統領府副長官、エネルギー担当副首相を歴任し、2012年5月から現職にある2。

ロスネフチの主な特徴は以下である。
(1)英国の国際エネルギー企業BPが、20%弱の株式を保有する。
(2)石油・ガスのほとんどを、ロシア国内の陸上で生産しており、特に西シベリアの主力油田群は、同社の石油・ガス総生産量の60%超を占める。
(3)国境を接するエネルギー消費大国・中国との関係を深めている。中国へ長期にわたり石油を供給する代わりに、輸出代金を前払いで受け取る契約を、複数締結している。
(4)極東開発も重視し、サハリン島周辺での液化天然ガス(LNG)工場建設計画、日本海岸での石油精製・石油化学コンプレックスや造船コンプレックスの建設計画などを推進してきた。

上記(1)に関し、2014年に始まり今も継続する欧米諸国による対ロシア経済制裁下においても、BPはロスネフチとの関係を堅持している。2015年東シベリアで、BPは国際エネルギー企業として初めて、生産中のロスネフチの主力油田の権益20%を取得するなど、関係を強化しているように見える。
上記(2)に関し、日本も参加する極東の「サハリン1プロジェクト」は、ロスネフチが参加する数少ない、海上(オフショア)プロジェクトである。
上記(3)に関し、中国はロスネフチの石油を単に購入するのみならず、購入代金を前払いする形で、ロスネフチの資金調達を支援している。ただし、後述のように2015年、ロスネフチはインドとの関係強化にも乗り出した。
最後の(4)について、ロスネフチは、単にエネルギー企業というだけではなく、ロシア政府の意向を踏まえて極東の総合開発を行う、巨大な「地域開発公社」の役割を担ってきたともいえる

2.近年の動向

2013年まで、ロスネフチはセチン社長の強力なリーダーシップの下、それまでの石油・ガスの生産基盤だった西シベリアに加え、新たに東シベリア、北極海はオホーツク海を含むロシア大陸棚での石油・ガス開発、さらにはロシア国内の陸上部におけるタイトオイル・ガス3開発を実現しようとした。
低温や流氷といった厳しい気象条件下にあるロシア大陸棚や、タイトオイル・ガスに関し、必要な技術や経験が少ないロスネフチは、それらを有する欧米のエネルギー企業、例えばエクソンモービル、スタトイル(ノルウェー)などと相次いで提携した。
しかし、2014年2月に始まったウクライナ危機と翌3月のクリミア併合を引き金とした、欧米諸国による一連の対ロシア経済制裁は、国際金融市場におけるロスネフチのドルやユーロ調達を不可能にし、タイトオイル・ガスやロシア大陸棚開発に必要な資機材の調達を困難にした。これにより、ロスネフチとの提携を通じロシアに参入した欧米のエネルギー企業は、一部を除き4、ロスネフチとの共同事業を事実上凍結。外資との連携を前提に発展の絵を描いてきたロスネフチに、大きな誤算が生じた。
このような状況下、2016年3月に発表された2015年通年のロスネフチの業績などで、筆者が特に注目したのは、以下の諸点である。
(1) 石油生産量は、前年比で若干の減少(前年比▲1%)
(2) アジア向け石油輸出の大幅増加(前年比+18.5%)
(3) 借入金残高の大幅減少(前年比▲38.6%;約545億ドル)
(4) インド国営企業による東シベリア主力油田群の権益取得(正式発表は2016年3月)

上記(1)に関し、ロスネフチは、西シベリアの主力油田群の生産量減退を、新規油田の生産増などで補えなかった。今後3年にわたり、毎年1兆ルーブル(現時点の為替相場で換算すると約150億ドル)の投資をすることで、生産量維持を狙っている。同社は2016年の石油生産量を、前年比横ばいと予想している。
上記(2)は、プーチン大統領が2015年9月に国際会議の場で述べた、アジア向けエネルギー供給の重視と整合する。
上記(3)に関し、ロスネフチは、2012年のロシア大手石油会社TNK-BP買収資金などを、国内外の銀行からドルやユーロといった外貨建て借入で調達した。返済のピークが2014年および2015年に訪れる中、ロスネフチは2015年、複数の国際的なエネルギー商社や中国企業と相次いで長期の原油あるいは石油製品供給契約を締結し、前払いで得られた資金(154億ドル相当)を、既存債務の返済に充てた可能性がある5
上記(4)は、ロスネフチが東シベリアで有する最大の油ガス田ヴァンコールの権益を最終的に49%まで、同じ東シベリアのタース・ユリャフ油田の権益29.9%を、それぞれインドの複数の国営企業に譲渡するものである。特にヴァンコール油田は、2014年9月にプーチン大統領自ら、中国企業への権益譲渡を示唆していた。順調な経済発展を背景に、エネルギー需要が伸びつつあるインドによる同権益取得は、ロスネフチあるいはロシアが、これまでの中国重視姿勢を変化させたのではとの憶測を呼んだ。
  上記以外で日ロ関係の観点から特筆すべきことは、2015年11月に日本の民間団体の招きでセチン社長が来日し、東京で開催された国際会議において、日本政府や企業に、東シベリアや極東への投資を自ら呼び掛けたことである。
セチン社長が具体的に挙げた複数のプロジェクトには、サハリンから北海道へ電力を供給する「パワーブリッジプロジェクト」も含まれていた。電力事業を営んでいないロスネフチが、日本への電力供給を提案すること自体、驚きである。しかし2015年、先に挙げたLNG工場や石油化学プラントといった極東の主要プロジェクトの進捗が見られない中、少しでも極東でプロジェクトを実現しようとするセチン社長個人の想いあるいは焦りが、その背景にあったのかも知れない。
3 タイトオイルおよびタイトガスは、頁岩(けつがん:シェール)や砂岩などの高密度な岩盤層から採取される、非在来型の原油あるいは天然ガス。1980年代後半から米国で開発が進展した。
4 各種報道によれば、ロスネフチとスタトイルとの提携は現在も継続しており、2016年オホーツク海上の2鉱区で、試掘を行う模様。この2鉱区が、現行制裁(主な条件;大水深(500フィート≒150メートル以深)および北緯66度33分以北の北極圏内における石油関連プロジェクト、シェールオイルプロジェクト)に該当しないためと推測される。
5 ロスネフチのこのような前払い付き長期供給契約締結は、結果的に、同社の財務諸表にある長短債務(銀行借入など)を簿外債務、すなわち財務諸表へ掲載しない形へ転換しただけとの見方もある。

3.2016年の課題

2016年4月にスイスで開催された国際会議の場で、セチン社長は今後2年間、原油の供給過剰状態が続くとの見解を示した。換言すれば、今後2年間は原油価格の低迷を見込んでいることになる。このような状況下、ロスネフチは市場シェアを維持し、既存の長期供給契約を履行すべく、当面は国内主力油田における生産量維持に注力するであろう。アジア重視の観点から、2015年に比べさらに多くの石油を、アジアに向けることも考えられる。
また、プーチン大統領が重視するものの、インドによる東シベリア主力油田への参入以外、大きな成果が見られない極東開発を、改めて動かそうとする可能性がある。
2016年は5月6日にロシア・ソチで非公式の日ロ首脳会談が行われるなど、政治レベルで日ロ関係の動きが見込まれる。対ロシア制裁緩和あるいは解除のめどは立っていないが、ロスネフチはさまざまな場面で極東開発に関し、日本に秋波を送り続ける可能性はある。今後の日ロ関係を占う上で、ロスネフチそしてセチン社長の動向に、引き続き注目したい。

※本稿は、全て筆者個人の意見・見解であり、筆者の所属する国際石油開発帝石株式会社の見解などを示すものではない。

[執筆者]篠原 建仁(国際石油開発帝石株式会社 ユーラシア・中東事業本部 業務企画ユニット シニア・コーディネーター)

※この記事は、2016年5月19日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

経済制裁下のロシア経済-リスクと新たな可能性-岡田 進

ロシア国旗

要旨

< ロシアの経済危機は、油価低迷や経済制裁など外的要因に影響されやすい資源輸出=輸入依存モデルの限界を示している。しかし、経済制裁下の輸入代替を契機として、自立的に再工業化=イノベーション・モデルへの転換が模索され始めている。これは長期的に見れば、ロシアが製造業分野の国際分業に参加していく新たな可能性を生み出すかもしれない。

はじめに

ロシア経済は1年以上落ち込みが続き、原油価格の暴落や経済制裁の影響が指摘されている。だが留意すべきは、こうした外的諸要因に影響されやすい資源輸出=輸入依存モデルそのものが行き詰まっていることである。しかし、経済制裁下の輸入代替を契機として、自立的に再工業化=イノベーション・モデルへの転換が模索され始めている。これは長期的に見れば、ロシアが製造業分野における国際分業に参加していく新たな可能性を生み出すかもしれない。

1.落ち込みが続くロシア経済 2015年と2016年第1四半期


2015年に、ロシアの国内総生産(GDP)は3.7%のマイナス成長を記録したが、これは2008~2009年の経済危機当時とは異なって、主要国の中ではロシア経済だけが落ち込んだ。工業生産は3.4%減少し、固定資本投資は8.7%低下した。特に大幅に減少したのは貿易額で、輸出は37.7%、輸入は32.1%減少した。実質賃金は前年に比べて9.5%、可処分貨幣所得は4%減少し、国民生活を直撃した(最低生活費以下の所得人口は2008~2009年の経済危機以来の13.3%に上昇)。購買力の低下から小売商品流通高も10%減少した。その一方で、ルーブル安の影響もあって、不況にもかかわらず年間の消費者物価上昇率は15.5%にも達した。ただし、一部で強制休暇や賃金未払いが復活しているとはいえ、失業率は5.6%と欧米諸国に比べて特に高いわけではなく、またこの間、企業財務は全体として黒字基調であった。
2016年に入って低下のペースは多少鈍化したが、依然としてマイナス成長が続いている。同年第1四半期のGDPは前年同期比マイナス1.4%で(経済発展省推計値)、工業生産は同0.6%減にとどまったが、固定資本投資は同8.4%減と高水準で、住民可処分所得は同3.9%、小売流通高は同5.4%それぞれ減少している。所得の減少や節約志向による消費需要の減退により、インフレ率はようやく年率7.3%に下がった。住民の貯蓄率は15.7%に急上昇し、不要不急の支出を控える「生き残り指向」が鮮明になっている。
歳入減と歳出増により、2015年の連邦予算はGDP比2.6%の赤字であったが、すでに2016年1-3月期には赤字は3.7%と2016年度予算で定められた3%を上回っており、このままの状態が続けば、オイルマネーを貯めた赤字補填のための予備基金は2017年中に底をつくと見られている(以上の数字は連邦国家統計局の公式データおよび経済発展省のモニタリング・データによる)。国際通貨基金(IMF)は2016年のロシアの成長率をマイナス1.0%、2017年にはようやく回復してプラス1.0%と予測している(同年4月改定値)。

2.経済危機のロシア特有の原因 資源輸出=輸入依存モデルの行き詰まり

近くは中国経済の減速をはじめとした世界経済の低迷もさることながら、こうしたロシア経済の際立った落ち込みにはロシア特有の原因がある。ここでは、資源輸出国ロシアを襲った原油価格の暴落、ウクライナ問題に端を発した西側諸国による対ロシア経済制裁といった外的要因が挙げられるが、むしろこうした外因によって深刻なダメージを受けたロシア経済の脆弱な体質にこそ問題があるといえよう。
欧米諸国が2008~2009年の経済危機からの立ち直りを見せた2013年には、早くもロシアのGDPは2012年の3.5%から1.3%に下がり、まだ外的影響がなかった2014年上半期には0.8%にまで低下していた。ロシア産原油の輸出価格が1バレル当たり120ドルに達し、同年は年間でほぼ100ドル水準を維持していたにもかかわらず、である。これは、石油・ガス輸出に依存して高成長を遂げたロシアの成長モデルの潜在力が尽きたことを意味した。
資源輸出収入によって増大した消費・投資需要はもっぱら輸入に向けられて、国内産業活性化の要因とはならず、その結果、輸出価格が不断に上がり続けて輸入が増えない限り成長が見込めなくなっていた。ここでは大量の資源輸出収入が自国通貨高を招き、国内製造業の価格競争力を低下させるという、いわゆる「オランダ病」が指摘される。だが、そもそも世界の原料供給源となることで自らの富裕化を目指したオルガルヒ(新興財閥:彼らはまた利潤の多くを海外に逃避させた)の支配と、市場が全てを解決するとして産業政策や科学技術政策を放棄した1990年代以来の政府の新自由主義政策によって、機械・設備生産は20年以上たってもソ連時代の半分にも満たないなど、すでにロシアの製造業自体が壊滅状態に陥っていた。
そして、資源輸出=輸入依存モデルが行き詰まっていたところに外因が作用した。途上国を含めた高成長時代の終焉による燃料エネルギー需要の低下、再生可能エネルギーの急増、省エネやシェール革命の進展などによって石油の世界的過剰が明らかとなり、ロシア産原油の輸出価格は2014年末には1バレル当たり61ドルに下落し、2015年末には36ドルにまで下落した。原油価格が一挙にピーク時の3分の1にまで暴落したことが、輸出額の70%、国家歳入の50%、GDPの40%を石油・ガス輸出に依存していたロシア経済にいかに深刻な影響を与えたかは想像に難くない。資源の主要輸出先を従来のヨーロッパからアジアにシフトさせるという方向で、中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)市場にも接近しているが、転換には時間と巨額のインフラ投資を必要とする。
 ほぼこれと同じころに起こったのが、ルーブルの下落である。ルーブルは2014年半ばまでは1ドル=33~35ルーブル程度で安定していたが、同年末にかけて一挙に値を下げ、68ルーブルにまで落ち込んだ。その後も不安定な動きが続いているが、経常収支の黒字にもかかわらずルーブルの価値が半減したことは、石油に依存したロシア経済に対する市場の不信の表れであったといえよう(原油価格とルーブル・レートとの相関は70~80%と高い)。またここでは、同時期にロシア中央銀行によって取られた自由変動相場制への移行、為替投機や海外への資本逃避が放任されたことも少なからぬ影響を与えた。ルーブル下落は輸出企業の利潤を増やし、原油の値下がりによる国家歳入の減少をカバーし、輸入代替への刺激ともなり得るが、輸入品価格や海外旅行費用の高騰という形で国民生活にも否定的影響を及ぼした。

3.西側諸国による経済制裁の影響

ロシア経済危機のもう一つの原因として挙げられるのが、ウクライナ問題に関連して西側諸国が発動した対ロシア経済制裁(また、これに対するロシアの逆制裁)である。2014年7月には、欧州連合(EU)や米国が、ロシアの主要銀行・企業に対する金融取引の制限、軍事技術や汎用品の輸出禁止、また北極海・深海大陸棚での油田探査や掘削、シェールオイル掘削に使われる先端技術の提供禁止などの措置を取り、ロシア企業との技術提携なども大幅に制限した。これに対抗してロシアは、同年8月に一連の農産物の輸入禁止に踏み切った。グローバル化が進んだ現在、経済関係の断絶や縮小は双方にとって打撃となるが、現在に至るまで経済制裁緩和の兆しは見えず、ロシア経済は事実上冷戦時代の孤立状態に立ち戻っている。
これまで、ロシアの企業はヨーロッパの金融市場からの信用に大きく依存してきたが(2007~2013年の借入額は年間1,500億~2,000億ドル)、経済制裁によりこれが大幅に制限されることになった。その結果、国内信用財源からの資金調達に切り替えざるを得なかった(アジアなど代替市場はなお極めて限定的)。しかし、もともと投資源泉としての銀行信用の割合は低く、しかも利潤率をはるかに超える高金利の下で、主に自己資金に頼る企業(特に中小企業)の投資の縮小は避けられなかった。海外からの直接投資も2013年の690億ドルから2014年には220億ドル、2015年には48億ドル(ヨーロッパからの投資はマイナス73億ドル)に激減した(ロシア中央銀行のデータ)。
借り入れの返済などは企業の準備金からなされ、資本流出も3分の1にまで減少し、外貨準備高は4,000億ドル近くの水準を維持するなど、ロシアは短期的には金融面で経済制裁に適応しているが、制裁が長期にわたれば、国内投資の縮小や直接投資を通じての技術導入の困難などの影響が深刻化することは避けられない。
実体経済面では、資源輸出モデルに基づいてハイテクを中心に製造業の主要部門がヨーロッパからの輸入に大きく依存している(医薬品の50%、機械類の20%、化学工業品の25%を輸入に頼っており、数値制御付き旋盤の輸入量は国内生産の実に15倍にも達する)ことから、経済制裁による先端技術・機械設備・部品などの供給の停止や制限の影響は小さくない。輸入元の他国への切り替えには品質などの問題もあり、この分野での制裁は長期的に見て、西側諸国と肩を並べるために不可欠なロシアの再工業化や国際競争力強化にとって大きな障害となろう(これによる損失は年間200億ドルと見積もられている)。特にロシアの燃料エネルギー産業では、旧産地の産出効率が低下している中で、北極海などでの新油田開発やシェールオイル開発に期待がかけられていたが、西側諸国による経済制裁はこうした開発プロジェクトの実現を困難にしている。これにより、2030年のロシアの原油採掘量は現在より15%減少するとの予測もある。

4.輸入代替を契機にイノベーション・モデルへの転換は実現できるか

西側諸国の経済制裁によるハイテク分野の輸入停止やロシアの対抗策としての農産物輸入禁止は、輸入代替問題を提起した。折からのルーブル安がその追い風となり、代替需要があり、資源的にも技術的にも国内生産が可能で稼働率に余力のある部門では、経済不況の中にあって一定の伸びを示した。すなわち2015年に農業生産は前年より3%増大し、化学工業は6.3%(製品によっては11~12%)、食品工業は2%(肉製品は10.8%、チーズは17.1%)伸びた。これまで農業保護が軽視され、穀物などを除き食料品の多くを輸入に依存してきたロシアにとって、自国産の農産物の比重が増大したことは、食糧安全保障の観点からも制裁(逆制裁)による予期せざるプラス効果であった。一方、自動車や航空機製造などでは多少の動きはあるものの、ハイテク分野では西側諸国からの立ち遅れは歴然としている。国産化には巨額な投資資金も必要であり、当面、なお輸入に頼らざるをえない状況にある。
今ロシアでは、為替レートが変わればまた元に戻ってしまうような一時的な輸入代替ではなく、より広く、国際分業の利点を利用しつつも国家主権を支える自立的な再生産構造を構築することが求められている。これは長期的に見れば、ロシアが製造業部門における国際分業に参加していく新たな可能性を生み出すかもしれない。原油価格の低落や西側諸国による経済制裁を奇貨として、今後、政府の意識的な取り組みを通じて、資源輸出=輸入依存モデルからの脱却と、ロシアの再工業化=イノベーション・モデルへの転換が実現できるかどうか、注目されるところである。

参考文献
Угрозы и защищенность экономики России.: опыт оценки. Новосибирск : ИЭОПП СО РАН, 2016.
А.А.Широв, А.А.Янтовский, В.В.Потапенко. Оценка потенциального влияния санкций на экономическое развитие России и ЕС // Проблемы прогнозирования. 2015.No.4.
В.К.Фальйман. Импортозамещение в отраслях экономики России. // Проблемы прогнозирования. 2015.No.5
蓮見 雄「油価低迷・経済制裁とロシア」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』第1002号(2016年3月号)
岡田 進「新たな危機を迎えたロシア経済」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』第992号(2015年4月号)

[執筆者]岡田 進(東京外国語大学名誉教授)

※この記事は、2016年6月22日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

女性駐在員の進出が目覚ましい在ロシア日本企業-労働許可取得の新条件が追い風に ー菅原 信夫

ロシア国旗

概要

モスクワの女性駐在員数が増加している。総合商社の業界でいえば、女性駐在員が活躍するようになったのは2000年以降と、本当につい最近である。増員の追い風になっているモスクワの労働環境の変化、特に労働許可取得の新条件について取り上げてみたい。

女性駐在員が少なかった時代

最近のロシア経済指標は、ご存知の通りマイナスの羅列で、心をワクワクさせるような数字はどこを見ても出てこない。だからと言って、元気が出る数字がないこともない。例えば、モスクワの女性駐在員の数だ。
私のいた総合商社という業界において、女性駐在員が活躍するようになるのは2000年以降で、本当につい最近の出来事である。それまでは、女性社員が出張に来たりすると、大変な歓迎とともに、臆することなくロシアに乗り込む女性として、男性陣の尊敬を一身に集めるような時代だった。

ロシアに女性駐在員が少なかった理由は、
1)かつて物資の少なかった旧ソビエト連邦(ソ連)/ロシアでは、駐在員の生活を担うのは駐在員の夫人であった。また、娯楽の少ない中、家庭に来客を招き接待するのも、駐在員とその家族の大きな仕事だった。単身の女性駐在員には、対応が難しい面があった。
2)ロシアのお酒といえばウオツカ。ロシア人の中には、ウオツカの飲み干し度合いで友好度を測ろうとする人も多かった。アルコール耐性を買われてモスクワ勤務となった男性駐在員でもひるむほどだ。
3)旧ソ連時代、商社駐在ビザは外国貿易省に許認可権があり、駐在員交代ともなると、所長が新駐在員の略歴を持参し、ロシア側のアグレマン(承諾)を取得してから初めて交代となったものだ。女性の場合、このアレグマンがほとんど取れなかった。
今、手元に1986年度版「モスクワ日本人会会員名簿」がある。以下、勤務先と人数、カッコ内が女性会員数だ。

―大使館:53(4)、商社:157(3)、日本航空:13(1)、報道:21(0)

本当に小さな日本人社会だったわけだが、それにしてもあまりに少ない女性駐在員の数を見ると、これでよくぞ事務所が維持できたものだと思う。しかし、そこはうまくできたもので、ハルピン育ちで日本語が堪能なロシア人女性が日本人駐在員の商談を通訳として援護したり、駐在員夫人が事務所でのパーティーの準備をしたり、まさに一体となって業務にまい進したものである。

今では70人を超える女性が活躍

時代は変わって2016年。「ジャパンクラブ」のホームページ掲示板には、「働く女性の会」の活動が毎月掲出されている。2007年に「モスクワ日本人会」と「モスクワ日本商工会」が合体する形で成立したジャパンクラブには、現在法人会員として、197社700人ほどの会員が登録している。その中の50人ほどの女性会員を対象に「働く女性の会」が昨年結成された。特にメンバー制を取っているわけでもなく、都合がつけば会合に参加するという緩い組織だが、それでも常に30人ほどの女性達が顔をそろえるという(以上の数字はジャパンクラブ事務局より2016年3月にご提供いただいた)。
さらに個人会員として40人ほど登録しているが、そのうち女性会員は20人以上になる。合計すると、ジャパンクラブだけでも70人を超える女性が現地で活躍中という状況が分かる。

増加の追い風になった、モスクワの労働環境の変化

2010年あたりから女性会員が増加に転ずるが、その理由は次のようなモスクワにおける労働環境の変化が挙げられる。
1)東京外国語大学、上智大学といった、ロシア語専攻のある大学において、女子学生の占める割合が圧倒的に高くなりつつある。その結果、毎年ロシア語要員を定期的に採用する企業においても、女性の占める割合が自然に高くなっている。
2)ロシアでは、新しい移民法の規定により、ロシア語の総合力テストに合格することが労働許可取得の要件の一つに定められた(2015年1月より)。このため、駐在員にはロシア語に一定能力を持つ候補者を送り込むことが必要となり、語学で才能を示す女性の登場機会が増えつつある。
3)ロシア全体のビジネス環境が変わりつつあり、ロシア側でも女性が躍進している。また、酒宴の席などは大幅に減り、女性にも営業担当を任せやすい世の中になった。
4)1990年代のソ連崩壊後の混乱期を経て、2000年代から今日までの、特にモスクワにおける都市インフラの改善は特筆に値する。これにつれて、都市の安全という面においても、女性の一人暮らしへの心配が減り、会社としても女性を派遣できる環境が整った。

筆者の個人的な見解としても、モスクワ、サンクトペテルブルクの2大都市は、今や男女を問わず日本人には快適な勤務地といえよう。ソ連の崩壊で廃虚のようになった都市インフラも立派に再構築され、交通、住居、通信など世界の大都市の中で間違いなく上位に数えられるほどになった。モスクワの場合、多くの日本人は環状線の内側に住居を構えていて、どこへ行くにも地下鉄が簡単に利用できる。零下20度の厳冬でも、建物内は集中暖房が効き薄着で過ごせる。経済制裁のために新鮮な乳製品、海産物が入荷しなくなったと騒いでいたのはもう2年も前の話で、今ではスーパーに欠品はない(逆に経済制裁対抗輸入代替え商品、というものがあふれている)。

快適な都市を支えているのは外国人

こういう快適な都市になったが故に、ロシア外部からモスクワに向かう就労希望者は後を絶たない。モスクワから見ても、この都市環境を維持するには、大変な数の労働者が必要となる。夜中の2時頃、私の住むアパートの外には大型のゴミ収集車がやってきて、生ゴミから大きな家具まで、コンテナに入った全てを持ち去っていく。トラックのドライバーも入れて、5、6人のチームが手際よく各アパートの入り口を回る。ゴミの入ったコンテナを建物のダストシュート底部から、ゴミ収集車まで運ぶ仕事は、各アパートにいるコンシェルジュと呼ばれる管理人の役目。彼らはまた、アパート1階の出口に面した小部屋に待機して、朝は6時頃から夜10時すぎまでアパート住民のこまごまとした用事を手伝う。雪が降ると、各アパートのコンシェルジュは早速雪かきショベルを手に、アパート入り口前の除雪にかかる。道路では、モスクワ市役所から派遣された除雪隊がいつの間にか作業を始めている。
こうしてモスクワで生活していると、都市のインフラを守るのはやはり人力なのだと思う。では、その人力はどこから来るか。これが時々報道される中央アジアのマンパワーである。ちなみに、私のアパートのコンシェルジュはキルギス人、隣のアパートはガザフスタン人である。何人かのチームで勤務しているが、メンバーがすっかり変わることはないので、どうやら、家族やグループ単位で担当の契約が決まっているものと見える。

ロシア語の総合テストが労働許可取得に導入された背景

ロシアは、旧ソ連構成国であった国々とは、現在も独立国家共同体(CIS)諸国として、特別な関係にある。その一つが、カザフスタン、ベラルーシとの間で2007年に締結された3カ国関税同盟である。これらの国々からロシアに就労目的で入国する移民に対しては、ロシア入国ビザを不要とする一方、労働パテントと呼ばれるCIS諸国限定の労働許可が発給される。労働許可は毎年連邦により割り当てられる許可枠数量と結び付いていて、この割り当てを「クオータ」と呼ぶ。ただし、入国ビザを不要としているCIS諸国からの労働者にはクオータ制限がない。このため、中央アジアからの労働者が無制限にロシアに流入する恐れがあった。
そこでロシア政府は、ロシアにおいて「善良なるロシア市民として生活できる」資質をロシア語の能力で確認しようと、労働パテント取得にロシア語、ロシアの歴史、ロシア法の試験への合格を義務化した(2014年からスタート)。このあおりを受け、日本人に対しても、通常のクオータ枠内で労働許可を取得するためには、この試験に合格することが必要となった(2015年1月より)。

マネジャーとスタッフで、労働許可枠を使い分ける日本企業

例外的に、高度熟練専門家(Highly Qualified Specialist=HQS)というカテゴリーで労働許可を申請する場合においては、このロシア語試験合格の条件はなくなる。ただし、本人の年間所得が200万ルーブル(月次所得16万7,000ルーブル)以上であることが条件だ。このような法的条件を満たすべく、日本企業においては、マネジャークラスについては社宅扱いのアパート家賃なども含めて、年収200万ルーブルを実現してHQSカテゴリーでの労働許可申請を行っている。また、スタッフクラスについては、ロシア語試験に合格できるロシア語力を持つスタッフを東京より呼び寄せ、従来の若手スタッフは交代させる、という動きが出ている。その結果として、外国語大学などでロシア語を専攻した女性たちが、駐在員として送り込まれる現象に結びついていく。
このような過程を経て「女性の海外駐在が実現する可能性が高い国がロシア」という認識がにわかに広まり、2015年あたりから新卒の就職活動において露文系女子学生の会社訪問対象がだいぶ変化してきていると聞く。
2016年3月、当社が東京ロシア語学院と共催した「就職準備セミナー<ロシア語で働くということ>」には、大学でロシア語を専攻する現役学生が多数参加した。そこにも女性の姿をたくさん見ることができた。また、現地採用日本人枠を持つ会社も増えつつあり、その枠を目指して、モスクワで日本企業回りをする日本人女子学生に会ったこともある。今後、在ロシア日本企業で活躍する女性駐在員は、ますます増加していくことだろう。

[執筆者]菅原 信夫(スガハラアソシエーツ代表取締役兼ロシア法人「Business Eurasia」代表取締役)

※この記事は、2016年4月13日三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに掲載されたものです。

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