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68.ロシアにおける高齢者ケア事情-サンクトペテルブルクの場合-五十嵐 徳子

ロシア国旗

概要

ロシアでは、少子化とともに高齢化が急速に進み、高齢者ケアが重要な課題となっている。しかし、公的なケアの整備は遅れており、非営利組織(NPO)などが部分的にその役割を担っている。こうした中で、サンクトペテルブルク市とNPOユダヤ人慈善センターの官民連携の事例は、ロシアの高齢者ケアの在り方を示している。人的交流を通じて、高齢者大国・日本の経験を伝えることも役立つだろう。

はじめに

冒頭唐突だが、「最近の研究テーマは『ロシアの高齢者ケア問題』です」という筆者の言葉に「ロシアの人って早死にでしょう? 高齢者ケアは必要ないのではないですか」という疑問を投げ掛けられることがある。また、当のロシア人も「珍しいことに興味を持っていますね。少子化問題の方が重要ですよ」と、あまり関心は高くない。実際に、プーチン政権は、10年以上少子化対策をしている。社会問題が山積しており、高齢者ケアは取るに足りない問題なのかもしれない。同じ高齢者に関わる問題の中でも例えば年金に関しては、全ての人に関係のある事柄であるだけに関心が高い。しかし、現実にロシアでもケアが必要な高齢者は存在している

ロシア人の寿命が長くないというのは、確かにそうかもしれない。特に男性の平均寿命は約65.92歳で(女性は約76.71歳、全体約71.39歳:2015年)、寿命が長いとはいえない。しかし、2005年から始まった優先国家プロジェクト「保健」が功を奏してきているのか、ロシアでは平均寿命が延びている。

では、高齢化率も低くケアの必要がないのかといえば決してそうではない。日本とは比較にならないが、2014年の日本の高齢化率が25.78%であるのに対してロシアは13.09%であり、この水準はヨーロッパの国々と同レベルである。今後ロシアでも高齢化の問題、そしてそれに伴って高齢者ケアは焦眉の問題となってくるであろう。
ロシアにおける高齢者ケア事情について、ロシア第2の都市であるサンクトペテルブルクを一つのケースとしてその一端を紹介しよう。

1. 公的な高齢者ケア

ソ連時代には公的な高齢者ケアは、ほとんどないに等しかったと言われている。公的な高齢者ケアシステムが構築されたのは、1995年になってからようやくである。1995年に「高齢者と障がい者のための社会的サービスに関する連邦法」と「社会的サービスの諸基礎に関する連邦法」が採択された。その後何度も修正がなされ、1995年の二つの法律を一本化する「社会的サービスの諸基礎に関する連邦法」が2013年12月28日に採択され、2015年1月1日に施行された。新しい連邦法では、予防的措置に重点を置くということ、個人のニーズに合ったケアを提供すること、国の組織のみがケアの提供を行っていたのが、国が認定した民間や非営利組織(NPO)などの団体もケアを提供することができるようになったということが最大の改正点である。公的なケアの主な財源は、連邦、連邦構成主体、地方自治体の予算であり、日本のような介護保険制度は取っていない。従って、無料と部分的に有料で公的なケアを受けることのできる高齢者は限られている。

それでは、具体的にどんな人が公的ケアを受けることができるのか。1995年の法律では「困難な生活状況にある市民」と規定されている。詳細な法律には触れないが、かなり大ざっぱな言い方をすれば「一人暮らしの低所得者」がその対象であった。新しい法律では、本人が必要だと感じればケアの申請はできるが、財源が同じであれば、結局これまでと同様に「一人暮らしの低所得者」のみが公的なケアを受けることができるのではないかと考えられる。さらに、サンクトペテルブルクには独自の法律に基づき「戦争ベテランとレニングラード封鎖市民」も公的なケアを受けることができる。しかし、この場合でも一人暮らしあるいは老夫婦二人で生活をしているということが大前提となっている。モスクワやサンクトペテルブルクなど財政的にも潤沢な資金がある市は、ある程度公的なケアを受けることができるようであるが、地方都市や農村地域では、状況は非常に厳しい。

2. NPOによる高齢者ケア

このように、国のケアを利用できる高齢者は限られている。とはいえ、家族だけでは介護は大変であり、外部の手を借りることになる。国のケア補完とはいえないが、例えば、NPOや民間業者のケアや非公式で個人的に雇うホームヘルパーが見られる。サンクトペテルブルクには、民間の高齢者施設や家政婦派遣会社の他、NPO、各種団体、民間が提供しているものがある。例えば2013年には11万3000のNPOが登録されている。年は異なるが、2012年のデータでは、明らかに高齢者支援を行っているNPOだと確認できるのはNPO全体の5.7%。名称からは高齢者支援を行っているかどうかは一見明らかではないものの、高齢者支援も行っている可能性のあるNPOも含まれているが、実態はつかめていない。これらのNPOや団体が手薄な国の公的なケアの補完的な役割を果たしている。しかし、NPOや団体の多くは、特定の民族や特定の宗教信者に限定して高齢者ケアを行っていることが多い。そんな非政府組織(NGO)の一つにサンクトペテルブルクユダヤ人慈善センターがあり、非常にユニークな活動をしている。その活動からサンクトペテルブルクの高齢者ケア事情を垣間見ることができる。

(1)サンクトペテルブルクユダヤ人慈善センター
サンクトペテルブルクユダヤ人慈善センター(以下、ユダヤ人慈善センターあるいは単にセンターと表記する)は、1993年にアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会「ジョイント」の支援の下に創設された。ロシアと海外のスポンサー、個人、慈善基金、サンクトペテルブルク市の支援を受けている。正規の職員は約70人、ボランティアが約600人、ヘルパーとして現在働いているのが約700人である。
ユダヤ人慈善センターは、創設時からサンクトペテルブルクのユダヤ人コミュニティーの高齢者支援を行っている。在宅介護、リハビリ器具の貸し出し、食料品の宅配、高齢者向けの講習会やサークル活動などを行っている。
センターには在宅ケアを受けている約1万7000人のユダヤ人高齢者やその家族が登録されている。彼ら/彼女らは、週に4~25時間の在宅介護を受けることができる。家族がいる場合、介護時間数は少なく、家族がいない場合は限度いっぱいの25時間使うことができるという。家族の有無で差異化が図られているのである。また、利用料金は収入によるが、無料の場合もあれば、有料部分が発生することもある。筆者がセンターでインタビューしている間にも、受付には次々とユダヤ人高齢者やその家族が相談に来ていた。ユダヤ人のみならず、その家族も高齢者ケアを受けることができるということで、大盤振る舞いである。
在宅介護以外にデイケアが約200人枠で行われており、1日当たり25人が送迎バスでセンターに来てさまざまな催しや講座に参加し、昼食を取り午後3時まで過ごす。筆者が実際にデイケアに来ていたユダヤ人高齢者に話を聞くと「ここに来るのがとても楽しみである」という。また、デイケアに来ることができない人のため「食事の宅配」サービスがあり、温めるだけで食べることのできる食事が数食分配達される。それ以外にも、財政的な支援として、低所得者に対して買い物ができるクーポン券が配布されている。活動は介護や宅配、財政的な支援にとどまらず、サンクトペテルブルク郊外に約100種類の歩行器や介護用ベッドなどの介護用品を製造している工場も持っている。さらに、サンクトペテルブルク郊外の保養地に全室2人部屋で98室(196床)の高齢者施設を建設中であり2016年秋に完成予定である。このように非常に広範な慈善活動をユダヤ人コミュニティーのために行っており、その仕事ぶりが市にも評価され、慈善事業以外のビジネス部門にも着手することになった。

(2)サンクトペテルブルク市との連携
ユダヤ人慈善センターは2009年から、サンクトペテルブルク市との契約で高齢者への在宅ケアの一部を請け負っている。市との契約では訪問介護の対象者はユダヤ人高齢者ではなく、すでに述べた連邦法とは異なる市の条例の基準を満たしている高齢者に対して在宅ケアを行っている。市の基準では、家族のいない「戦争ベテランとレニングラード封鎖市民」に限られている。この基準に当てはまる人が市全体で1,500人いるが、そのうちセンターでは300人を任されている。家族(子ども)がいても介護を受けることができる場合があるが、それは子どもに労働能力がない場合である。しかし、サンクトペテルブルクでは実際にはケアを必要とする高齢者が15万人おり、その人たち全員がケアを受けることはできない。センターの代表のコルトン氏は、現在センターが行っていることは最も基本的なことであり、自分たちは一人暮らしの老人を介護もせずに家に寝かせたままにしておくということを見過ごすわけにはいかないのだという。そして、いつか、ロシアでも今自分たちが行っている基本的なことを、自分たちがしなくてもよくなる日が来るのを夢見ているという。しかし、今はまだその時ではなく、高齢者のためにするべきことは山積しているという。

3. おわりに

以上、ロシアの高齢者ケア事情についてサンクトペテルブルクのケースを見てきたが、問題点は、公的な介護を受けることができる人は限られていることである。また、NPOの支援も非常に狭い範囲の人々を対象にしているために、在宅介護を必要とする人にとっては現実的な選択肢ではない。ただ、ユダヤ人慈善センターのように公的なケアの一部を担うようなNGOも出現しており、今後、市との提携がさらに広がっていくのではないかと考えられる。また、多くの場合、家族が高齢者ケアを行っているのが現実である。しかし、男女ともに働くことが一般的であるロシア社会では、家族介護の問題は人々に非常に重くのしかかっている。このような現状を解決する方法として、民間の介護代行サービスやそれよりも安い価格で個人的に介護をしてくれる人を探すといったことが広く見られる。高齢者大国・日本の経験はロシアにとって、大いに参考になるのではないかとロシアでの調査を通して強く感じる。日本・ロシアの人的交流の一つの舞台になるのではないか

参考文献
・五十嵐徳子「ロシアの高齢者ケア事情をジェンダーからみる―ペテルブルグにおけるケーススタディ―」『現代社会と会計』第9号、関西大学大学院会計研究科(2015年)
・五十嵐徳子「ロシアにおける高齢者ケアの現状-ペテルブルグ-」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』第1007号(2016年8月号)

[執筆者]五十嵐 徳子(天理大学国際学部教授)

(※この記事は、三菱UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信しているウェブサイトMUFG BizBuddyに2016年10月13日付で掲載されたものです)

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