ユーラシア研究所について
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設立の経緯
ユーラシア研究所は、ソ連におけるペレストロイカのさなかの1989年1月、「ソ連の国民生活と文化、芸術ならびに経済、社会、政治の総合的研究の振興を図るとともに、ソ連にかんする正確な知識の普及につとめること」(「ソビエト研究所要綱」)を目的に、当時の日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)によって、ソビエト研究所として設立されました。準備室は、日ソ協会創立30周年に当たる1987年に発足し、設立趣意書は、将来は「協会と協力関係にある独立の機関として発展させる方針」であるとしています。
その後、ソ連解体(1991年12月)を経て、1994年にユーラシア研究所と改称し、自立的に活動する組織として今日に至っています。
理念と性格
ロシアはその魅力的な文学や音楽などの文化によって、古くから多くの人々を引きつけてきました。同時にロシアやソ連は、革命、社会主義、戦争、改革と解体など世界史的に見て大きな出来事に満ちており、それぞれの関心から熱い視線が注がれてきました。また、言うまでもなく、ロシアは領土問題を含むさまざまな接点をもった隣国のひとつであり、隣国としての良好な関係を維持する特別な必要性のある国でもあります。
このようなことから、ユーラシア研究所は、ロシアをはじめとするユーラシア地域について、「研究者の営みと市民とをつなぐ」、「バランスのとれた認識を共有する」という理念のもとで活動しています。「研究者の営みと市民とをつなぐ」とは、研究者の研究成果を市民に伝えるだけではなく、研究を職業とはしていない人々も研究所のさまざまな事業の担い手ともなる、ということを意味しています。「バランスのとれた認識を共有する」とは、この地域について関心や評価の違いを超えて、冷静な議論を可能とするような多面的な知識の共有を、日本社会に広げてゆくことを意味しています。
ユーラシア研究所は、専任の研究員や固有の研究施設をもつという意味での研究所ではなく、以上のような理念に共鳴し、会費とボランティア的活動によって支える人のネットワークです。人のネットワークという点では学会に類似した面がありますが、「研究者の営みと市民とをつなぐ」ことを重視している点や事業の多様性という点で、主として専門家によって構成される学会とは異なります。
ユーラシア研究所は、その設立の経緯から、主として旧ソ連諸国を関心の対象としています。しかし、今日では、旧ソ連諸国を「ユーラシア地域」として一体的にとらえることは妥当かを問わざるを得ないさまざまな変動が生じています。また、この地域は他の地域から孤立して存在しているのではなく、近隣地域をはじめ、流動的な世界の中にあることから、関心をもつ地域的対象も多かれ少なかれ広がっています。このようなことから、「ユーラシアとは何か」ということ自体、さまざまな答えのありうる“問い”のひとつであると考えています。
以上のようにユーラシア研究所は、〈研究者の営みと市民とをつなぎ、ユーラシアについてともに学び研究するプラットフォーム〉として、次のような事業を展開しています。
事業
ユーラシア研究所の主な事業は、出版と行事です。
出版活動としては、ユーラシア地域についての多様なテーマを扱った、幅広い読者を対象とする総合誌としての『ユーラシア研究』(年1回刊)と、政治・経済・教育・社会など広義の「社会」についてのテーマを取り上げる、専門誌としての『ロシア・ユーラシアの社会』(季刊)を刊行しています。また、群像社から刊行されている「ユーラシア文庫」の企画・編集を担当しています。さらに、三菱UFJリサーチ&コンサルティング社と提携して、「ユーラシア研究所レポート」を公開しています。
行事としては、「ユーラシア・セミナー」(年6回程度)と「総合シンポジウム」(年1回)などのシンポジウムを行なっています。
ユーラシア研究所の運営体制(2024.5.18現在)
所長 | 小森田 秋夫 |
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運営委員 |
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監事 | 竹森 正孝 |
顧問 | 藤田 勇 |
事務局 |
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『ロシア・ユーラシアの社会』 編集委員会 |
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『ユーラシア研究』 編集委員会 |
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「ユーラシア文庫」 編集委員会 |
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「MUFGユーラシア研究所レポート」 編集委員会 |
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研究員(2024年度) | 富樫マハバット |